岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

佐藤佐太郎38歳の感受:紫陽花の歌

2010年01月20日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼・「帰潮」


 この一首のポイントはふたつあると思う。ひとつは「つゆけき」という表現。もうひとつは二つの枕詞の使用、しかも下の句が対句になっていることである。

 「つゆけき」は形容詞「つゆけし」の連体形。「露に濡れてしっとりとなる」の意で、和歌では「涙がちである」の意味を含む。だが和歌での用法を考えにいれなくても、「つゆけき」だけで「雨にの中で湿った量感」が十分表現されている。まるで紫陽花の花の色まで目に見えるようである。「つゆけき」という一語だけで先ず秀逸である。

 次に「ぬばたまの」「あかねさす」という二つの枕詞。「ぬばたまの」は「黒・夜・夕・暗い」などに、「あかねさす」は「日・昼・君・紫」などにかかる。特定の語句を想起させる言葉が枕詞だが、平安時代以降は新しいものが作られなくなり、鎌倉時代にはもはや古語になっていた。
 一首のなかにそれが二つも入っているのは現代短歌としては珍しい。それが逆に斬新に見えるのは、その二つが対句になっているためである。「・・の・・・・」「・・の・・・・」と韻を踏んでいるのも思い切った表現である。
 また語順にも注意が必要だ。「夜」「昼」の順になっていることである。漢語では「昼夜」というが、「夜・昼」という順に注目したい。「夜でも昼でも」で始まる「牢獄」という歌があるが、「いつも」という普遍性をあらわす。つまり紫陽花の花の美しさの永遠性・普遍性のようなものを暗示している。
 古風な言葉を使いながら、斬新な表現。ここに僕は注目している。




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