岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

ブナの木通信「星座86号」より茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2018年08月21日 18時40分46秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
ブナの木通信「星座86号」


 人間や社会を深く彫りさげた作品をこころがけたい。



 (夕暮れに赤子とともに泣きじゃくる歌)


 泣きじゃくる赤子の様を言い当てた。それを抱く大人のリアクションが面白くも悲しい。この面白さは人間への興味である。


 (心に長年の拘りをもって夜の雪を見る歌)


 何か重いものを背負う作者だろうか。長年持ち続けた思いだが、サラリと表現できた。その思いも雪によって溶けてゆくのだろう。



 (震災が風化してゆく歌)


 東日本大震災より今年で七年。復興いまだ途上だが、忘れ去られてゆくものは、とてつもなく大きいだろう。


 (ゴミの分別が日々の節目となる歌)



 ゴミの歌とは珍しいが、、言われればその通り。曜日によってゴミが分別される。これが生活の節目であると言う。作者独特の視点がここにある。


 (皇居の花見とアンデパンダン展。どちらに行くか迷う歌)


 伝統と権威のあるもの。それを全く認めないもの。その二者択一に作者は悩む。どちらを選んだかは問題ではない。



 (春の風と地蔵百体の歌)


 上の句の擬人的表現が気にならない。下の句の表現の重さが作品を支えているからだ。



 (仲間と方言で声を掛け合う歌)


 オリンピックのカーリングの一場面がそうだが、見ていないものにも共感できる作品。方言が活きている。そこに作品の普遍性がある。


 (不吉な予感を感じて白百合を買う歌)

 心理がうまくすくいあげられている。「不吉な予感」。それを白い花が消してゆくのだろう。

 (雛の日に明日は豪雨の予報を聞く歌)


 この作品も、心理を巧みに表現している。ただし、吉凶が前の作品とは逆なのに注目。

(電気を使う自分を嫁御に責めるな、という歌)


 これも佳作。飾り気のない表現がいい。


 



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