斎藤茂吉『赤光』の作品を巡って(歌人に問われていること)
斎藤茂吉の第一歌集『赤光』。茂吉の代表歌集だが、歌人からしばしば疑問を投げかけられる。一例を挙げよう。
・のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根の母は死にたまふなり
この一首について、小池光は次の様に言う。
「玄鳥は、屋外の梁に巣をつくる。この作品を詠んだときには、玄鳥は屋内に居たのだろうか。そこが判らない。客観写生としては、腑に落ちないのだ。」
「母が亡くなるとき、玄鳥が見下ろしていたという。・・・『死にたまふ母』にはこれ以上立ち入らない。」
小池の読みは、たびたび変わる。短歌総合誌に寄稿するたびに変わる。だがこの作品をどう読むかに戸惑いを感じているようだ。(短歌総合誌を探したが、手元に見当たらないので、記憶に残っている、小池の言葉を書いた。)
これに対し、「斎藤茂吉の写生は、『汎神論的写生』であり、『客観写生』ではない、またモンタージュ法なども用いているので、おそらく屋内と屋外の複数の記憶に基づくものだろう。」とこのブログの記事に以前書いた。
また永田和宏は言う。
「斎藤茂吉は『写生を突き詰めて行けば象徴に至る』と書いているのだが、これが判らない。どうして写生を付き詰めていけば象徴に至るのか。あいだが抜けていて。」『斎藤茂吉ーその迷宮に遊ぶー』(岡井隆、小池光、永田和宏)
これについて、『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』(岩田亨)の中で、僕はこう書いた。
「短歌は化学反応式ではない。写生を突き詰めればというベクトルの方向を定めて作歌していけば、象徴に至る。途中は要らない。」
この二つのことについて、吉本隆明が、次のように書いている。
「わたしの密かな勘案では、死にゆく母の床にのそばで体験された、別々の情景の破片が、しだいに組み合わされひとつに構成されてゆく過程がかならずやあったという気がする。」
「事実や情景を客観的に描写することが、同時に自己劇化をひとりでに進行させてゆく過程であるような表現力の世界である。・・・それはしだいに写実の歌を象徴の歌に転化してしまう過程であった。」(『際限のない詩魂』思潮社刊)
一詩人が理解できることを、結社、同人誌を率いる、運営の中心にいる歌人が何故理解できないのだろう。「ライトバース」のこともそうだが、現代短歌が、現代詩、現代詩人から教えられることは、多いと思う。
これらの事実は、歌人が現代詩からもっと学ぶようにと問われているものではないだろうか。