岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

戦争を厭う歌:近藤芳美の短歌

2010年08月15日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
・傍観を良心として生きし日々青春と呼ぶときもなかりき・

 「静かなる意思」(1949年・昭和24年)所収。

 作者は建築技師であった。治安維持法下である。戦争に反対するのは命がけだった。何度も招集され華北戦線の最も激しい戦場・山西省に派遣された宮柊二(大正元年生まれ)より若いせいか(近藤は大正2年生まれ)、近藤は補充兵として工兵隊に編入され、上海に派遣された。

 おそらく建築技師であったためだろか、体力的問題だろうか。近藤の「歌い来しかた」「近藤芳美集・第一巻」「鑑賞現代短歌・近藤芳美」によれば、一度、派遣されたものの、負傷し結核にもかかって、療養していた。

 そうしているうちに、終戦を迎えた。近藤の考えからすれば、「敗戦」ではなく、「終戦」だろう。

 齊藤茂吉が戦中の言動のありかたを問われ意気消沈している時に、近藤芳美は戦後派歌人としての活動を活発化した。被爆した竹山広が断続的に「心の花」へ投稿し始めた時期である。

 戦後も朝鮮戦争・ヴェトナム戦争・60年安保と続くなかで、近藤は積極的に「社会詠」を詠んでいく。それが、近藤にとっての「新しき短歌」だったのだろう。

 近藤のリアリズムは土屋文明のそれとは異なる。実際に従軍した宮柊二とも異なる。(かなり近いが近藤の方が語感が固い。それでも「一緒に出来ただろう」と岡井隆は言う。「私の戦後短歌史」)そこで、岡井隆らの兄貴分的役割を果たしつつ「未来」を結成することになる。
 
 近藤の「社会詠」を幾つかあげておこう。


・国論の統制されて行くさまが水際立てりと語り合ふのみ・「早春歌」

・世をあげし思想のなかに守りきて今こそ戦争を憎む心よ・「埃吹く街」

・みづからの行為はすでに逃る無し行きて名を記す平和宣言に・「歴史」

・反戦ビラ白く投げられて散りつづく声なき夜の群衆の上・「冬の銀河」




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