・地を叩く雨の激しき夕暮にゆずらぬさまに向日葵が咲く・
(日本歌人クラブ会報「風」179号)
夏の雨は急にやって来る。そこに向日葵が咲いている。まるで激しい雨をものともしないように。そういう叙景歌を詠んだ。この一首には、佐藤佐太郎の次の一首がベースとなっている。
・暮方にわが歩み来しかたはらは押し合いざまに蓮しげりたり・「歩道」
東京上野、不忍池の情景である。不忍池の蓮は、正に「押し合いざま」に繁っている。僕も何度か叙景歌にしようと思ったが、佐太郎のこの作品以上のものは出来なかった。それ以来、この一首が、頭から離れない。たちまち暗唱してしまった。特に「押し合いざま」の部分は脱帽だった。
向日葵の歌を詠ったときに、佐太郎の作品を念頭に置いた訳ではない。だが無意識のうちに「ゆずらぬさまに」と表現してしまった。「ゆずらぬさまに」も「押し合いざまに」も擬人法である。
歌集「オリオンの剣」収録して、批評の葉書や手紙が来た時に、「擬人法が気になる」と書いて下さった方がいらっしゃった。佐太郎門下では「擬人法」を避ける傾向がある。そのことに沿った批評だった。
擬人法は、時として「言葉を飾っている」ようになる。しかし、擬人法自体が禁じ手なわけではない。要は使いようなのである。
「現代万葉集」への出詠にあたっては、一つの目標があった。叙景歌を三首揃えたのだ。近年は叙景歌が、軽んじられている様に思ったからだ。そんなささやかな目標がかくも注目されるとは思ってもみなかった。選評を次に記す。
「自然を対象に詠いながら、それぞれ個性を持っている三百首に出会った。月を花を風を描写しても、それらを見つめる作者の目の奥の心情が投影されている。喜び、悲しみ、苦しみが、自然の営みを借りて息づいている作品は、読むものにも感動を誘う。周作ぞろいの中からの十首選であった。」
こういったことを岡井隆は次の様に言う。
「目に見えるものを写すことで、作者の心情をも写すことになるのです。」