オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

幸福とは何だろう?

2019年12月09日 | Weblog
幸福を感じる時はどんな時なんだろう。

 自分が期待した以上の結果が出た時ではないだろうか。過去にある程度の価値を期待したものがある。その期待値に対し現時点でそれ以上の結果が出た場合幸福感を感じる。期待値と結果が同等であってもそれほど幸福感を感じないし、それ以下であれば反対に不幸感を感じて落ち込んでしまう。あくまで過去と現在の相対的な比較によって幸福か不幸かを感じるのであろう。人間とは単純なものである。

人間は不幸な結果が出た時の記憶が強く残ってしまう。

 不幸な結果を出さないように強烈に記憶に残し、二度と不幸な結果を出さないように努力する。これは原始的な動物として生存競争の中で生き残るための知恵でもある。現代社会の人間は生死にかかわるような不幸な失敗はそれほど多くはないが、その気質は動物的本能として保有している。そのために人間としては間違った反応をしてしまう。そのことをよく理解しておく必要がある。

幸福感を感じないのは、生き方に対して慎重になっているのである

 高揚感よりも反省を重視しているのである。精神が高揚している時の自制を促しているのである。高揚感が高ければ高いほど「いい気になるな」「うぬぼれるな」と水を差しているのである。そうであれば、幸福感は程々がちょうどいいのかもしれない。そしてこの小さな幸福が継続することが重要かもしれない。小さな幸福の積み上げの中で幸福感を感じなければならないのだろう。

不幸な結果が出た時、人間は次の期待値を修正し低くする。

 どのくらい低くするかは人それぞれの判断によるのだろうけれども、期待値を低くすれば、次の結果の評価は基準が低くなり、多少結果が悪くても容認できるか変化を少なくすることができる。こうやって結果に基づいて期待値を調整することによって正常な状態を保つことができる。山や谷もあるが、全体を通してみるとどちらかと言うと幸福感を持つことができるのが普通の人達であろう。

異常な人はこの期待値の修正ができない。

 だから少々の良好な結果が出ても達成感も幸福感も持つことができない。いつまでたっても高い期待値を持ち続けてしまう。反対に言うと常に挫折感を味わい不平を持つことになる。そして、時々まれにこの高い期待値を達成することがあるが、この達成感と幸福感を強烈に記憶して、また次の高い目標を目指すことになり、この悪循環が始まる。ギャンブル依存症症候群の人達はたぶんこの迷路に入り込んでしまった人であろう。

うつ病の人もこの期待値の調整ができない人らしい。

 反対に時々まれに感じる達成感や幸福感さえ満足できないで落ち込んでしまう。これでは健常な人でもうつ病になってしまう。対策としては、何でもない小さな達成感でも自分で認識して価値を認めることである。これを積み重ねることによって最終的には幸福感を享受することができる。小さな成果に喜びその幸運を感謝する気持ちが必要なんだろう。そして笑顔で明るく前向きに周囲に感謝して生活できれば楽しい人生が送れるのであろう。私もそう心掛けたい。

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