オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

「○○させていただきました」

2011年11月06日 | Weblog
「○○させていただきました」とは変な言葉使いである。

 「○○しました」でいいではないか。「させていただきました」と言うことの利点は何だろう。まずは、断定口調ではない事である。この頃は断定口調を嫌う風潮にある。断定されると「いかがわしい」「疑わしい」「胡散臭い」「威圧的だ」「不遜だ」などとなるようである。要は信頼されていないために断定的な表現は避けなければならない事情があるようである。反対に信頼されているような人には断定的な表現が好まれるようである。次に、一見謙虚で控え目で丁寧な印象を与えることである。「私」を横において、立場や役職上やらせていただきました、という感じになる。権限を振り回して強制的に従わせるのではなく、みんなと一緒になって物事を行っていると言う印象も与える。自分の地位を下において謙遜した表現は耳障りはいいが、自己の責任を回避していることにもなる。

「○○させていただきました。」と言われて、どう反応すればいいのだろう。

 発表している人は何らかの組織の代表である。その代表にそう言われても、「しないで下さい」「して欲しくないです」とは言えない。しかもすでに過去形で事後報告になっている。今更取り返しもつかない。「させていただきます」ならまだ意見する余裕があるが、組織の代表が決めていることに、周囲の人が意見することなんてできない。意見できるのはまだ検討中のときであり、しかも意見を聞く姿勢がある時であるが、通常は周囲の意見をあまり聞くこともなく、組織内で検討した結果を押し付けるだけである。我慢に我慢を重ねて堪忍袋の緒が切れて「実家に帰らさせていただきます」とやむにやまれず旦那に決意表明する嫁さんには同意できるが、立派な肩書きのあるお偉いさんが「○○させていただきました」では困ったものである。

だいたい、「○○させていただきました」を多用する人は、肩書きが実力に相応していない人である。

 実力相当で、自己の職務に自信があれば、胸を張って「○○しました」と断言できるはずであるし、「○○させていただきました」と言っても「○○しました」と言っても結果はほとんど変わらない。強烈に推進しようとしているのか、恐る恐る様子を見ながら進めようとしているのかの印象の違いである。一旦決めたのなら自信を持って推進してもらいたいし、自信を持てないような事は実行に移してもらいたくない。組織内でも意見が一致せず、代表で発表している本人も自信がなく、とりあえずは周囲の反応を見てみようと言う態度は、到底リーダーシップを発揮しているとは考えられない。前向きに説得しようと言う意思もないし、説得できる確固たる考え方も感じられない。ただの中途段階での一方的な結果発表では困ったモンである。

ただ単に結論を出すだけでは意味がない。

 問題は、結論に至ったプロセスであり、考え方であり、因って来る所以である。その部分が欠落しているし、説明責任を果たしていない。「責任」とは「任を責める」ことであり、責められても反論し説明できる事のできる人が「責任者」である。英語の「responsibility」も「反応(response)できる能力(ability)」であり、説明責任を果たせる人が「リーダー」であり「責任者」だと思う。日本のリーダーは自信を持って説明する事や世論を説得できる力量が不足していると思う。右か左かを決めることがリーダーではなくて、右でも左でもいいけれども、利点欠点が何で、何を重視し、優先順位がどうなってて、どのような考えで結論に至ったかを明らかにして世論を説得できるのがリーダーの資質である。これができなければリーダー失格なのである。

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