近所で道路が整備された。
その新しく整備された道路の両端に沿って線状の点字ブロックが設置され、端っこには点状のブロックが設置されている。線状ブロックは誘導対象施設等への方向を案内し、点状ブロックは注意すべき位置や誘導対象施設の位置を案内する。点字ブロックは2種類しかない。なんとなく見ていると特に違和感もないが、視覚障害者の立場になって考えてみると、この誘導に沿って歩いて端っこで止められてそこに何があるというのだろう。古い道路との境だけで、そこで点字ブロックは途切れている。付近に誘導すべき目的の施設もなく、長い道のりを視覚障害者が歩いてきてもそのままUターンして元の位置に戻るしかない。何のためにここまで誘導したのか意味が解らない。
バリアフリーというと、障害者が健常者と同様な生活ができることと勘違いしている。
障害者がどこにでも行けるように整備するのがバリアフリーだと思い込んでいる。障害者が行けない場所もあるし、行動範囲を制限したり、危険な場所には近づけないようにすることの方が重要だと思う。例えば駅のプラットホームの端から端まで点字ブロックを設置して障害者をホームの端っこまで誘導する必要が果たしてあるのだろうか?障害者は階段を下りた付近の駅員が監視できる場所で乗降させるように、点字ブロックで誘導するのが本来のあり方ではないかといつも思っている。点字ブロックをあちこちに設置し過ぎなのである。
視覚障害者は自分の歩行経路を記憶している。
あっちこちに訳の解らない点字ブロックがあると迷路の中にいるようなもので、混乱してしまう。点字ブロックに意味を持たせて、間違いのないように誘導してやらなければならないのである。少なくとも意味のない一貫性のない点字ブロックは最初からない方がいい、いやそんなものは設置してはいけないのである。私は障害者ではないのでよくは分らないが、点字ブロックがあまりにも無造作に義務感みたいに施設の付帯物のように設置されているのを見ると、無用なものが多すぎるのではないかと思っている。
「視覚障害者誘導用ブロック設置指針」を見てみると、
設置対象が「視覚障害者の歩行が多い道路、公共交通機関の駅等と視覚障害者の利用が多い施設とを結ぶ道路等」となっている。少なくとも、視覚障害者の利用が多い場所であり、その利用が多い施設とを結ぶ道路等である。まずはそのポイントを明確にして、そのポイントを結ぶ経路上に点字ブロックを設置すべきである。片田舎の何もないような場所にも使われそうにない点字ブロックがご丁寧に設置してある。設置基準を誤解しているとしか言いようがないし、単に機械的に何も考えないで設置されているとしか思えない。
設置方法の「基本的な考え方」を見てみると、
「視覚障害者の利便性を向上を図るため、歩行上の必要な箇所に、現地での確認が容易で、しかも覚えやすい方法で設置する」となっている。必要でもないところに、覚えきれないほど大量の点字ブロックが設置されていれば視覚障害者の利便性向上とは程遠い結果となってしまう。ただ混乱させるだけならいいが、視覚障害者を危険に晒すことにもなる。すべての経路に点字ブロックを設置することを目標にすることは間違っている。そして、点字ブロックさえ設置していれば安全と言うのも間違っている。
点字ブロックは必要最小限でいいと思う。
そして、解りやすくすることである。視覚障害者が利用する必要の少ない場所には誘導する必要はない。当然、危険な場所は避けるべきである。そして、なおかつ、点字ブロックだけで済ませるのではなく、周囲の人達の手助けで補完してやるのがさらに重要なことである。周囲の人達の目で視覚障害者を見守って状況によっては誘導してあげる思いやりが必要だと思う。道路を作れば点字ブロックがついてくるというおかしな勘違いの整備は是非止めてもらいたい。日本全国を点字ブロックだらけにしてどうしようというのだろう。
その新しく整備された道路の両端に沿って線状の点字ブロックが設置され、端っこには点状のブロックが設置されている。線状ブロックは誘導対象施設等への方向を案内し、点状ブロックは注意すべき位置や誘導対象施設の位置を案内する。点字ブロックは2種類しかない。なんとなく見ていると特に違和感もないが、視覚障害者の立場になって考えてみると、この誘導に沿って歩いて端っこで止められてそこに何があるというのだろう。古い道路との境だけで、そこで点字ブロックは途切れている。付近に誘導すべき目的の施設もなく、長い道のりを視覚障害者が歩いてきてもそのままUターンして元の位置に戻るしかない。何のためにここまで誘導したのか意味が解らない。
バリアフリーというと、障害者が健常者と同様な生活ができることと勘違いしている。
障害者がどこにでも行けるように整備するのがバリアフリーだと思い込んでいる。障害者が行けない場所もあるし、行動範囲を制限したり、危険な場所には近づけないようにすることの方が重要だと思う。例えば駅のプラットホームの端から端まで点字ブロックを設置して障害者をホームの端っこまで誘導する必要が果たしてあるのだろうか?障害者は階段を下りた付近の駅員が監視できる場所で乗降させるように、点字ブロックで誘導するのが本来のあり方ではないかといつも思っている。点字ブロックをあちこちに設置し過ぎなのである。
視覚障害者は自分の歩行経路を記憶している。
あっちこちに訳の解らない点字ブロックがあると迷路の中にいるようなもので、混乱してしまう。点字ブロックに意味を持たせて、間違いのないように誘導してやらなければならないのである。少なくとも意味のない一貫性のない点字ブロックは最初からない方がいい、いやそんなものは設置してはいけないのである。私は障害者ではないのでよくは分らないが、点字ブロックがあまりにも無造作に義務感みたいに施設の付帯物のように設置されているのを見ると、無用なものが多すぎるのではないかと思っている。
「視覚障害者誘導用ブロック設置指針」を見てみると、
設置対象が「視覚障害者の歩行が多い道路、公共交通機関の駅等と視覚障害者の利用が多い施設とを結ぶ道路等」となっている。少なくとも、視覚障害者の利用が多い場所であり、その利用が多い施設とを結ぶ道路等である。まずはそのポイントを明確にして、そのポイントを結ぶ経路上に点字ブロックを設置すべきである。片田舎の何もないような場所にも使われそうにない点字ブロックがご丁寧に設置してある。設置基準を誤解しているとしか言いようがないし、単に機械的に何も考えないで設置されているとしか思えない。
設置方法の「基本的な考え方」を見てみると、
「視覚障害者の利便性を向上を図るため、歩行上の必要な箇所に、現地での確認が容易で、しかも覚えやすい方法で設置する」となっている。必要でもないところに、覚えきれないほど大量の点字ブロックが設置されていれば視覚障害者の利便性向上とは程遠い結果となってしまう。ただ混乱させるだけならいいが、視覚障害者を危険に晒すことにもなる。すべての経路に点字ブロックを設置することを目標にすることは間違っている。そして、点字ブロックさえ設置していれば安全と言うのも間違っている。
点字ブロックは必要最小限でいいと思う。
そして、解りやすくすることである。視覚障害者が利用する必要の少ない場所には誘導する必要はない。当然、危険な場所は避けるべきである。そして、なおかつ、点字ブロックだけで済ませるのではなく、周囲の人達の手助けで補完してやるのがさらに重要なことである。周囲の人達の目で視覚障害者を見守って状況によっては誘導してあげる思いやりが必要だと思う。道路を作れば点字ブロックがついてくるというおかしな勘違いの整備は是非止めてもらいたい。日本全国を点字ブロックだらけにしてどうしようというのだろう。
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