SDGsが日本でも取りざたされている。
あっちでもこっちでもSDGsである。一つのブームか熱病みたいになっているが、いろいろ聞いていると、SDGsそのものを勘違いしていたり、ただのエコロジーだけになっている気もする。本当は、国際的な社会問題を解消し持続可能な社会を構築することが目的であり、人と環境がより良く共存できる社会を実現するために2030年を期限とした17個の国際目標のことである。
パートナーシップとプラグマティズム
SDGsを実現するための基本精神である。共に手を取り合って行動の結果の有効性に基づいて考え、正しい選択をすることで将来の世代の暮らしを持続可能な形で改善することを目指している。このままでは人類の将来は危ういとの考えのもとに、開発目標に基づいて具体的な行動を開始しようという決意でもある。環境保護や自然保護だけではないのであり、それ以外の深刻な問題を提起して解決を図っていこうとする取り組みでもある。
日本にはもったいない精神がある。
「もったいない」の「もったい」とは「勿体」で「物体」のことである。世の中にある「物体」の本来の存在意義を見つめ直し最後まで大切にして有効活用しようという精神である。この精神に反する行為を「もったいない」という。「物体」は具体的な物でもあり人間でも環境でも動植物でもあり地球でもあり宇宙でさえある。物体の本来の存在意義を損なう行為は持続可能な社会を否定するものでもある。
「もったいない」はケチではない。
本来の「物体」の価値を認めて、最後まで有効活用する精神である。石ころ一つにも「物体」の存在意義があるし、その石ころを使っていろんなことができるし、いろいろな利用価値がある。それを具体的に活用しようと行動を開始する精神でもある。石ころを単なる石ころとしてゴミ同然に扱うことに反省を促しているのである。当然人間が使い終わったゴミをそのまま捨てるのにも警告を発しなければならない。
まずは、簡単にゴミになるようなものを作り出さないことである。
長きにわたって使い続けることのできる「物」を作らなければならないし、その「物」をいつまでも長く使い続ける工夫と努力をしなければならないし、最終的に使い切ったものは自然界に戻してやらなければならないのである。これにより「持続可能な社会」が実現すると思う。それこそSDGsの根本精神ではないだろうか。人間でも環境でも動植物でも地球でも宇宙でも同じことだと思う。このことをパートナーシップに基づいて一人一人が行動を起こすのである。
つい先日リサイクルショップでオンボロボロのクラシックギターを見つけた。
消費税込み500円の値札が付いていた。興味があって冷やかしに弾いてみるとなかなかいい音がしているのである。思わず衝動に任せて買ってきたが、妻は「これこそ無駄だ!!もったいない!!」とご立腹である。家に帰って調べてみるとギターの本格的な製造が始まる前の1960年代の製作で、材料は高級なものが使われており、作りもしっかりしている。たぶん当時の立派な職人が魂をこめて作ったものであろうと推量した。
ただし、外見はひどいものである。
表板は割れているし、音程は狂っているし、塗装は剥げているし、シールの貼り跡がある。表板が割れているのは合板でなく単板である証でもある。ただ、救われたのは作った時のままで、使った人が何も加工を加えていなかったことである。早速修理にかかって、早一か月が過ぎようとしている。割れはクランプで修正し接着し、塗装は表面の塗装を剥がして塗り直した、そして、サドルとナットを交換して弦高を調整すると音程の狂いもなくなった。昔の作りでネックが太いので、経年による反りはほとんどないし、指版も堅い材料のためフレットも問題ない。
修理が終わってみると、元から持っていたクラシックギターよりも音がいい。
どうせ、元値が500円だからと、ピックアップを装着してアンプで鳴らせるように改造した。60年前のギターが現代のエレクトリック クラシックギターに変貌した。まだ、細部調整は必要だが、十分に実用に供するいいギターに変身した。この頃のギターにない個性的な音が楽しめる。まずは音鳴りがいいし力強くてフラメンコの響きがある。昔の職人さんはいい仕事をしている。より良いギターを作るため専心修行と努力をしていたのだろう。
たぶん、このギターを作った職人さんはすでに亡くなっているだろう。
昔のことだから、最初から最後まで一人の手で作られたものだろうと思う。この時代はギター製造のため日本の職人さんがヨーロッパのギター工房に研修に行ったそうで、本格的に製造が始まったのは1965年以降のようである。このギターはその前に作られたもののようだ。ギターヘッドには日本工業規格のJISマークが燦然と輝いている。使っている木ネジも頭はマイナスである。昔が偲べる。その60年以上前のギターが甦ったのである。
数十年前、たまたま訪問したリサイクルショップで相談を受けたことがある。
色々なギターを中古で仕入れて売っているけれども、その価値がどれくらいか自分では判断がつかないと言う。お宅はギターに詳しいようなので査定をしてもらいたいとのことであった。そこで、店頭にあったギターをすべて査定したが、店側としては有名な製造業者のビンテージものを高い値段をつけていたが実際に弾いてみるとギターとしては評価できないものばかりであった。その結果を店主に告げたが、結局その中の一番いいものを格安で売ってくれた。今でもそのギターは手元にあっていい音色を提供してくれている。
SDGsから変な話になったが、
SDGsとはこんなことだろうと思っている。単なるエコロジーではない。60年前の職人さんの魂が現代にも通用し根付いていることこそ「持続可能」の典型であり、その魂を掘り起こして「もったいない精神」を発揮してまた復活させる努力でもある。そしてまた、何十年後かにもこのギターが生き残ってゆくことであろう。単なる近視眼的な小手先だけのSDGsでなく少なくとも100年後を見越したものでなければならないのだろう。
SDGsの前に2000年にMDGsの宣言もあった。
ミレニアム(1000年)での開発目標であったが、あまりにも先進国主体の観念的なもので具体性がなかったので、特に後進国で評判が良くなかったようである。SDGsは2030年期限の開発目標であり、後進国も含めたパートナーシップに基づいた具体的、現実的な活動目標に修正されているが、その向かうところの観念は同じだと思う。是非ブームや熱病に終わらせないで、足元から本来の目的を達成できる活動にしてもらいたいものである。
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