トレーナー次第でボクサーは変わるのだから

 4月23日に長谷川穂積、5月7日に井岡一翔が日本人ボクサー初の
3階級制覇に挑んだのだが残念ながら2人とも失敗した。

 長谷川の場合こすっからく判定勝ちを狙うスタイルで戦えば勝てる
と思っていたのだが王者が得意とする打ち合いに巻き込まれ、井岡も
王者の変幻自在なスタイルに対処できずに完敗した。

 両者の敗戦は残念だが同時に‘もう少し優れたトレーナーがセコ
ンドに付いていれば’とも思えるのだ。

 長谷川は一時期フランク・ライルスがトレーナーとして指導して
おり新たなスタイルを構築できるかもと思っていたら今回の世界
戦の時には不在だったし、井岡にもミニマム級時代はイスマエル・
サラストレーナーがいたのだがLフライ級時代からサラスは不在で
父親がセコンドに付いていた。

 長谷川と山下会長の関係は親密でよさそうなのだが敗れたフェル
ナンド・モンティエル戦や、ジョニー・ゴンサレス戦などを見ると
長谷川のポテンシャルを全開にできる資質はあるものの対戦相手を
徹底的に分析して勝たせるというタイプではなさそうだ。

 井岡にいたってはリーチの長い王者に対し攻撃の起点となるジャ
ブを放棄したかの如くクラウチングスタイルでファイター化した
姿は父親のトレーナーとしての限界を感じるものだ。

 海外ではオスカー・デラホーヤのように進化するに従いトレーナー
を替えていくケースは多く、長谷川に勝ったジョニー・ゴンサレスも
09年5月に西岡から倒された後にナチョ・ベリスタインにトレーナ
ーを替えていた。

 日本ではトレーナー=師匠という師弟関係があるので、相性が悪く
てもトレーナーを交代するのに抵抗がある選手が多い。

つまり日本人選手の戦術的な引き出しの少なさは‘自分の型’に拘る
だけでなく、トレーナーを替えてでも新しい事にチャレンジしようと
しないという悪い意味の頑固さが影響しているのではないか。

 思えば辰吉丈一郎もナチョ・ベリスタインのようなトレーナーと
契約していれば もう少し長く防衛できたのではないかと思うし、井
岡の最近の劣化ぶりの1つにサラストレーナーの不在が響いている
と思うのだ。

 マイク・タイソンが育ての親であるカス・ダマト門下生のケビン・
ルーニーがトレーナーを降りた途端におかしくなったように、ボクシ
ングにおけるトレーナーの存在は それだけ大きいものだから少なく
とも井岡は父親とのコンビを解消しないと本人が言う‘歴史に名前を
残す王者’にはなれないのではないか。

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