大橋秀行のラストファイトから30年

 今から30年前の今日93年2月10日に行われたWBAストロー級
タイトルマッチで王者の大橋秀行は1位チャナ・ポーパオインと
初防衛戦を行ったが、0-2の判定負けでタイトルを失い試合後
に眼疾が見つかったため今回の試合がラストファイトになった。

 試合はチャナがスピード溢れるジャブから始まるコンビネー
ションを次々とヒットさせたのに対し、大橋は例によって手数が
少なく単発で見劣りがする。

 チャナのパンチは効くような一撃はないが何せ手数が全然違う
しフットワークも軽快でスピードも大橋を圧倒している感じの展
開で進み、ダメージングブローは思ったよりないので解説の沼田
義明は競っている的な採点をしていたがラウンドマストシステム
では完敗だったので大橋の負けは明らかだった。

 今回の試合は指名試合だが実は昨年10月の崔煕庸挑戦時に日本
開催の条件として大橋が勝ったら1位チャナ&2位カルロス・ムリ
ージョと2試合連続指名試合を行い、さらに韓国で崔煕庸と再戦
するという契約付きだったようで崔煕庸に勝ってもかなり厳しい
防衛ロードになっていたと思う。

 大橋自身はもう1度リカルド・ロペスと対戦したかったようだが
仮にロペス戦後の大橋の戦いぶりを見れば勝つのは厳しいと思った
一方、ロペス再戦は統一戦になるのでそれをモチベーションに頑張
ればいいかと当時は思った次第だが最初の関門のチャナ戦で躓いた
形だ。

 ただ試合後に眼疾を原因に引退したのを見ると、個人的にロペス
戦の前あたりから目に異常があったのではないかと思っていた。

 大橋は強打のカウンターパンチャーだがカウンターを打つのに最
も重要なのが動体視力だが、それが眼疾により衰えていた故に拙戦
が続いており崔煕庸戦は王者がカウンターを恐れて距離を詰め接近
戦を挑んでくれたおかげで勝てたもののチャナのようなスピード系
に付いていけなかったのだろう。

 それを考えると前年10月に崔煕庸に判定勝ちし王座に返り咲いた
試合こそ、150年に1人の天才といわれた大橋最後の輝きだったのか
もしれない。

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