浜田剛史のタイトル奪取から30年

 今から30年前の今日86年7月24日に両国国技館で行われたWBC
:Jウエルター級タイトルマッチで挑戦者の浜田剛史が、王者のレネ・
アルレドントを1R3:09でKOしタイトルを奪取した。

 浜田はKOキングと言われながら強打者ゆえの拳の骨折に再三ブラ
ンクを作っていたが日本&OPBFタイトルを取り満を持して世界挑戦
となったものの、王者アルレドントは41戦39勝37KOという破格の
ハードパンチャーで将来のスーパースター候補の1人だから21戦19勝
18KOと強打を誇る浜田とて荷が重いと思われていた。

 当時の日本ボクシング界は3月に世界王者がいなくなった事もあり
浜田に対する期待は大きく、前年に新装なった両国国技館で行なわれ
る最初のボクシング興行だったが思えば かつて同じ両国の地にあった
日大講堂で
ジムの大先輩である大場政夫の世界戦全試合が行われていた。

 浜田は試合前に長年 骨折に悩まされていた左拳をようやく打ち抜
ける喜びを語っていたのだが、試合が始まると長身の王者に対して
低い姿勢で懐に飛び込み接近戦に持ち込む事に成功。

 しかし接近戦ではKOパンチを打ち込む事は不可能で中盤に王者の
左フックのカウンターを受けてよろける場面まであった中で、残り
10秒をきった時点で浜田がバックステップした事から左を予測した
王者が右フックのカウンターを被せようとしたところに右フックが
炸裂しよろけたところに連打を浴びせてダウンを取ったのが残り1秒。

 最後に左拳を骨折しブランクから復帰した時に浜田は次にやると
年齢的に厳しいので世界戦以外は左を見せパンチにして右フックで
倒すパターンで戦ってきたのだが、その右フックが本能的に出たわ
けで仮に左ストレートを打っていたら王者の右カウンターの餌食に
なっていたと思われるので1RでのKOとはいえ紙一重の勝利だった
わけだ。

 サウスポーで強打者ゆえの骨折を繰り返したといえば海老原博幸を
思い出すし、KO勝ちの瞬間に国技館という事から座布団が乱舞
したのを見てファイティング原田がポーン・キングピッチをKO
して日本人2人目の世界王者に輝いた時はこんな感じだったのか
と思いを馳せたのだった。

 ちなみに当時としては珍しい2時間枠でOAされた世界戦だが
最初の30分は浜田が拳の骨折を乗り越えて世界戦に至るまでの
道のりがじっくりと紹介されており、こういう番組作りこそ普段
浜田の試合を見られない地方のファンへのプレゼントだと思うし
最近の世界戦中継から失われているものではないだろうか。

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コメント
 
 
 
あれから30年ですか、月日の経つのは早いですね・・・ (ただのスポーツ好き)
2016-07-25 21:45:07
まず、はじめに「アテネ五輪 男子サッカーも死のグループだった」のコラムの高原の件では
お手数とご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
後述しますが今回も同じようなことをお願いしますので、たびたびではありますが、申し訳ありません。
さて本題ですが、浜田剛史の世界王座奪取からもう30年ですか。
綾小路きみまろのネタじゃないですけど、月日の経つのは早いものです。
リーチのあるアルレドンドに浜田のインファイトでの劇的な王座奪取には興奮しましたね。
この試合をテレビで見ていたはずなのに、あまりに劇的だったので浜田‐アルレドンド戦の放送が2時間枠だったという記憶がないんです。芦沢俊美アナが実況だったことだけは覚えているんですが・・・。
ただ、あらためて調べてみたんですが、この劇的な王座奪取のわずか1年半後に暗黒の日本人世界戦挑戦21連敗が始まっているんですよね。この時はそんな時代が来るとは考えてもいませんでしたけど。
最後に当時のスポーツ中継には現在の軽い作りのスポーツ中継とは違い、アスリートと競技への敬意が感じられましたね。それに放送局にもプライドがありました。それが今では・・・。
とくに「東京・赤坂の迷惑放送局」にはそのいずれもありませんが、彼らはそのことを恥だとは思っていないんでしょうね(ちなみに浜田戦の放送は日本テレビですので、迷惑放送局とは無関係ですけど)。
P.S. 日大講堂(旧両国国技館)と現在の両国国技館は同じ両国の地ではありますが、全く別の場所ですので訂正をお願いします。
詳細はウィキペディアの「両国国技館」の項目をご覧になってください。
 
 
 
赤坂TVも (こーじ)
2016-07-26 22:48:29
>ただのスポーツ好き様
 赤坂TVも昭和の時代は具志堅の試合をはじめ真面目に
やってましたし、コング斎藤のヘビー級の試合後は解説の郡司信夫氏が‘コングの試合は2度と解説しない’と激怒するなど気骨のある解説者がいましたからね。

 佐瀬稔氏のようなライターに浜田を語らせるというのは今にしてみると贅沢な話ですし、それこそが世界戦のステイタスだったわけですね。

 21連敗の始まりは井岡弘樹とWタイトルマッチを戦った神代英明のTKO負けからでしたから正しく昭和末期から平成の初めにかけての屈辱でした。

 両国国技館の件修正しました。
 チェックありがとうございました。
 
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