昭和にあったバンタムの壁 

 昭和の時代に日本のボクシング界にとってバンタム級は、ファイ
ティング原田が黄金のバンタムと呼ばれたエデル・ジョフレに勝っ
て4度の防衛に成功した以外は高い壁としてそびえ立っていた。

 昭和のフライ級は白井義男から始まり7人もの世界王者を出して
いるのに対しバンタムは原田のみなのだから、あしたのジョーで矢
吹丈が戦う階級もバンタムという事になるのだろうと思ったりする。

 68年2月に原田が敗れたものの既に減量苦は限界に来ておりライ
オネル・ローズとの再戦をせずにフェザーに上げたのと入れ替わり
に東京五輪バンタム級金メダリストの桜井孝雄がローズ挑戦が決ま
ると取ったも同然という雰囲気があったようだが、桜井がダウンを
奪いながら僅差の判定負けで奪取に失敗すると一気にバンタムは遠
くになってしまった。

 70年代のバンタムはルーベン・オリバレスやアルフォンソ・サモ
ラにカルロス・サラテ、ルペ・ピントールらメキシコの怪物王者が
君臨するわけで日本人選手が以降バンタムに挑んだのは金沢和良か
ら始まり沼田剛にワルインゲ中山の3人。

 金沢は怪物王者オリバレスと壮絶な打ち合いの末14Rで力尽き、
沼田はWBC王者ロドルフォ・マルチネスのプレッシャーの前にエ
スケープのみで終わりワルインゲ中山に至ってはサラテに全く歯
が立たず。

 そして80年代最初のバンタム級タイトルマッチが80年4月に磯上
修一がWBA王者ホルヘ・ルハンに挑むも全くいいところなく、血
まみれにされて惨敗していたのでルハン以上に評価の高いピントー
ルに挑む村田英次郎も苦戦は免れないと思われていたのだ。

 それが‘勝てたのでは’と思えるぐらいの健闘の末に引き分けると
翌年WBA王者になっていたジェフ・チャンドラーに挑戦し、1Rに
右カウンターを決めてダウン寸前に追い込むものの引き分け。

 その後2度にわたってチャンドラーに挑戦するもTKO負けし遂に
世界に届かずに終わったし、磯上を1度は1RにKOした日本王者ハ
リケーン照も81年9月にピントールに挑戦し善戦するも15RにKO
負け。

 村田がチャンドラーの前に散った83年9月以降バンタムで世界
に挑戦する者がいなかった中で、3年半後の87年3月に六車卓也が
王者ベルナルド・ピニャンゴが急遽返上したWBAタイトルの王座
決定戦に出場し2位のアサエル・モランを5RTKO勝ちでファイティ
ング原田以来のバンタム級タイトルが19年ぶりに戻って来た。

 ただし六車は初防衛戦で朴賛栄に敗れているので決してバンタム
の壁を破った感は薄かったのだが、それが現実になるのが91年9月
に辰吉丈一郎がWBC王者グレグ・リチャードソンに勝ってからで
以降は薬師寺保栄が4度の防衛に成功し21世紀に入ると長谷川穂積
や山中慎介が2桁防衛する時代になったのだから昭和の時代から見
ている私にとっては感無量だ。

 確かに70年代に比べると統括団体も増えているという事情はあ
るだろうが、井上尚弥のように各団体のタイトル統一に邁進する
王者が出てきているのだから日本のレベルも上がったと見るべき
だろう。

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