日本ボクシング界がラウンドマストを認めて30年

 現在日本のボクシング世界王者は白井義男から始まって実に96人
いるのだが、今から30年前の92年を境にカウントすると面白いのは
91年まで31人だったのに対し65人もの王者が誕生している。

 その理由として2013年4月以降それまでのWBAとWBCだけでなく
IBFやWBOを認めた事もあるだろうが、個人的にはラウンドマスト
システムをようやく認めた事もあるのではないかと思う。

 つまりイーブンラウンドを作らず必ず10ー9と差を付けるという
システムに日本サイドが適応でき始めたのも大きいと思うのだが、
80年代までの日本は世界の趨勢であるラウンドマストシステムから
背を向け頑なに認めなかったのではないかと思ってしまう。

 個人的にラウンドマストシステムを意識したのは80年3月24日に
行われたWBC:Jフライ級タイトルマッチ中島成雄ーイラリオ・サ
パタ戦で、当時一部の解説者を除いて中島の攻勢を取って中島の勝
ちを支持していたのに対しオフィシャルは3-0でジャッジペーパー
を見るとイーブンのラウンドがほとんどサパタに振られていたのだ。

 その後81年にTHE BOXING誌でジョー小泉氏が‘世界タイトルマッチ
の採点基準に注意しよう’というコラムで81年4月に行われたWBA:J
ライト級タイトルマッチ上原康恒ーサムエル・セラノ戦やWBC:Jバ
ンタム級タイトルマッチを例に挙げ、僅差でも10-9に振り分ける採
点法をWBA&WBC共々推奨し始めた旨をレポートしていた。

 ところが日本では相変わらず疑わしきはイーブンとばかりに10ー10
採点を続けた結果、ダメージングブローになりづらいジャブを軽視
し続ける結果になり80年代の日本ボクシング界の世界戦の勝率は惨
憺たるものだった。

 こうした判定で負けるとマスコミは‘せめてダウンの1つも取って
おけば’‘倒しに行かなかったのが敗因’的な論評ばかりで、いずれも
的外れだったのだから勝てるものも勝てるわけがない。

 関係者やマスコミが無視し続けたラウンドマストシステムを結果
的に認める事になったのが鬼塚勝也の世界戦で、特にタノムサク・
シスボーベーとの決定戦は物議をかもしたがラウンドマストシステ
ムで採点すると僅差の勝負になっていたのだからスターとして売り
出したかった鬼塚を擁護するためにも認めざるを得なかったのでは
ないか。

 それにしてもラウンドマストで採点するだけで、ここまで違うの
だからボクシングは奥が深いと実感するものだ。

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