日本代表監督にテレ・サンターナやカルロス・ビラルドは…   

 今から28年前サッカーJリーグの開幕を控え日本代表の監督に
オランダ人のハンス・オフトが監督に就任したのだが、当時の
日本リーグで優勝争いの中心だった読売クラブや日産らは南米
系のスタイルで戦っていた事からブラジルやアルゼンチンから
監督を招聘した方が…という声が上がっていた。

 実際ジーコやソクラテスら黄金のカルテットを擁して82&86
W杯を戦った元ブラジル代表監督テレ・サンターナや、ディエゴ
・マラドーナを擁して86W杯を制した元アルゼンチン代表監督カ
ルロス・ビラルドあたりを推す声があったのだが当時の選手のレ
ベルの問題で日本での監督経験があり結果
を残していたオフトに
なっていたようだ。

 だからドーハの悲劇でオフトが辞任した後釜として94W杯でブ
ラジル代表が優勝していたからか、ブラジル人でジーコらと黄金
のカルテットを形成していたパオロ・ロベルト・ファルカンを監
督に招聘している。

 ただしファルカンは3年後のフランスW杯予選を見越して若手に
切り替える方針で臨んだ事もあり、成績は今ひとつで最終的に優
勝か韓国に勝つ事を義務付けられた広島アジア大会のベスト8で韓
国に競り負け解任された。

 個人的にはファルカンのサッカーをもう少し見てみたかったの
だが、ジーコ監督時代の事を考えると多くは望めないとも思った
ものだ。

 日本では外国人監督を招聘する時にはいい面しか取り上げない
傾向があるのだが例えばサンターナ監督に関して‘彼はメンバーを
固定して長時間一緒にプレーさせただけ’と言う声があったし、ビ
ラルド監督は守備練習ばかりさせていたので攻撃の練習を聞かれ
ると‘戦術はマラドーナ’と答えたのは有名だ。

 つまり当時のマスコミが大いに持ち上げたサンターナとビラルド
は共に選手任せのチーム構成をしていたわけで、ジーコを中心にし
た黄金のカルテットやマラドーナに攻撃を全て委ねるスタイルを日
本人相手に行っても世界はおろかアジアでも勝ち抜けるか微妙だ。

 ジーコ監督が歓迎されたのは鹿島を常勝チームに作り上げた実績
というのがモノをいったワケで、ジーコのやり方は時間をたっぷり
かけられるクラブチームでは有効だが活動期間が短い代表では厳し
かったので冷静に考えるとサンターナやビラルド監督というのは実
現しなくてよかったのかもしれないと思う。

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