我が高校野球に悔いなし?

 今から28年前の今日、81年7月11日が私の高校野球引退記念日である。 
 北九州市民球場での開幕戦で八幡大付との対戦だったため、 7:00からの
朝練を終えて一応ホームルームに出席して電車で城野まで行き歩いて
北九州市民球場に。 

 ウォームアップで球場のフェンス際を走っていたが、レフト側を通った時に
‘ここに原辰徳がサヨナラHRを打ち込んだのか’ などと言いながら感慨深く
確認していた。

  前記したように福岡はベスト16に入らないと開会式がなかったのだが、
北九州市民球場は我々の所属する北部地区のメイン球場という事で始球
式用が行われるので開幕戦という気がする。
 甲子園同様始球式用のボールをヘリコプターで落として行くのだ。

 嬉しい事に3年間で初めてブラスバンドの応援が付いたため、夏の大会と
いう最高のムードの中で試合が始まった。

 八幡大付は2年前の甲子園で1年生ながら1イニング投げた右投手が
エースで、控えには翌年春夏甲子園出場する2年生の左投手がいた。
 右のエースが先発という事で左の強打者の2年生が5番に入り、私は控えで
スタート。
 6回で0-5となり2年生の左投手に替わったので監督から‘5番に回ったら
代打で行くぞ’と言われていたので準備していたのだが、唯一あった6回の
チャンスを潰した後、7回に翌年甲子園で選手宣誓をする 2年生の4番から
レフトポール最下部に直撃する2ランを打たれ0-7になった。

 実は最初に3塁の塁審がヒットのコールだったのだが相手側の抗議で
審判の協議の結果判定が覆りホームランになったのだ。

 これが私にとって命取り。

 0-7となったため その裏に1点でも返さないとコールドになるが、打順は
2番からで3人とも3年のため1人出塁しないと打順が回らない。
 2者連続三振で4番の日蓮クンが打席に入った時にネクストバッターズ
サークルで控える。
‘家の法事’などといって授業をサボって応援に来てくれた友人達が
‘お~い、打てよ’と言ってくれるが、あえなく4番の日蓮クンも三振して
試合は終わった。

 確かに悔しかったが正直言ってキツイ練習からようやく開放されるという
事で全員ホッとした感じで、事実 泣いていたのは2年生1人のみ。

‘せめて1・2勝したい’とか‘最後の打席に立ちたかった’などという思いは
あったが、欲を言えばキリがない。

  結果的に翌年春夏甲子園出場したメンバーとメイン球場の北九州市民で
開幕戦を戦え、ブラスバンドの応援まで来てもらったというのは、過去の
2年間に比べれば恵まれている。

 しかも2年の秋には元ジャイアンツの小川邦和と一緒に練習できたり、
5月には翌年甲子園で活躍する佐賀商と戦えたり と先輩達や後輩達が
経験できなかった体験までする事ができた。

  我が高校野球に悔いなし・・・・だった。

 なお試合終了後、唯一‘この仇は僕達が取ります’と泣いていた2年生が、
新チームになって夏の練習が終わった頃 なぜか辞めていたのには驚いた。

  ちなみに卒業後に野球部のメンバーで飲み会などをすると必ず私は
‘オマエ達のおかげで最後の打席に立てんかった

やぞ・・・・’と絡んでいる。  

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