王貞治の引退表明から40年

 今から40年前の今日80年11月4日に、世界のホームラン王とい
われた王貞治が引退を表明した。

 当時高2だった私は野球部で練習していたのだが監督が来て‘王
も引退する’という話を聞き、大いに驚いたのを昨日のように思い
出す。

 というのも2週間前に長嶋茂雄監督が解任され藤田元司が監督に
就任が決まり助監督を兼任する形での現役続行を表明していたので
正しく寝耳に水状態だったわけで、長嶋がジャイアンツを離れるの
に続き王まで引退する事により1つの時代の終焉を嫌でも実感する
ものだった。

 引退の理由として‘王貞治としての打撃ができなくなっていた’と
語っていたのだが、40歳となった80年も19年連続30本のHRを打っ
ていたし現時点で王以外の4番は考えられないと思われていたのだ。

 王といえば33歳と34歳だった73年と74年に三冠王に輝きハンク・
アーロンの持つ通算MLB記録を更新する756号を打った77年は37歳
で50本ものHRを打っているし、78年以降も39・33・30本と数こそ
減っているものの40歳でも30本のHRを放っているのだから3年は
現役を続けられるのではと思っていた。

 ところが後に王が語った事によると756号を打ったあたりから
モチベーションが切れ始め‘ハンク・アーロンが900本打っていれ
ば1000本に届いたのに’と語っていたのを聞いても、モチベーショ
ン枯渇説を裏付けている。

 そういえば756号を放った77年に記者達が‘王は何本までHR記録
を伸ばせるか?’というアンケートでアーロンが41歳までプレーし
ていたのを引き合いに‘45歳ぐらいまでプレーして1000本打てるの
では?的な説がまことしやかに語られていた。

 それが翌年40本に届かなかったし徐々に本数が減っているだけ
でなく80年の打率は,236と規定打席到達者では最低で打点も84と
2年続けて90打点にも届かなかったという事が引退を決断させた
のだろうし、記録更新のみのために現役生活を永らえさせるとい
う事は絶対にプライドが許さなかったのだろうと思う。

 もっともONがいなくなったジャイアンツだが、この年のドラフ
トで東海大の原辰徳を藤田監督がクジで引き当て入団3年目で打点
王を取るなど新たな4番となるのだから正しく時代の変わり目だっ
たという事だろう。

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