谷口浩美の世界陸上 金メダルから20年

 テグで行われている世界陸上も後半戦を迎えているが、今から20年前の今日
9月1日は東京で行われた世界陸上で谷口浩美が金メダルを獲得した日で
ある。

 暑さ対策で早朝6:00にスタートとなった男子マラソンは37㌔過ぎまで混戦
模様でソウル五輪の金メダリストのボルディンや銅メダリストのアーメド・サラに
スペンスやフルクらとグループを形成していた。

‘3強’と言われたうちのソウル五輪銀メダリストのダグラス・ワキウリは欠場し
モネゲッティも先頭グループから脱落するなどサバイバルレースの様相を深めて
いた38㌔の上り坂でスパートして抜け出し そのままゴールしての優勝だった。

 83年に始まった世界陸上では五輪よりもレベルが高いため日本のトップ選手で
すら活躍できないケースが多かったのだが、唯一世界のトップグループにいた男子
マラソンは12月に五輪の選考レースである福岡国際マラソンが行われるため
2大会連続で主力が欠場していた。

 ところが88ソウル五輪で‘最強’と呼ばれた中山竹通・瀬古利彦・新宅雅也の
3人が挑んだものの中山の4位が最高でメダルすら逃したのに対し、前年のローマ
世界陸上で3位だったボルディンが金・優勝したワキウリが銀で2位だったアーメド・
サラが銅と表彰台に上った3人が順位を入れ替えただけだった。

 ここで初めて‘タイムだけではダメ、翌年のバルセロナは今回の東京と気候や
コースも似ているから’というのと‘開催国なのにメダルなし’という事態を避ける
べくベストメンバーを組んだのだった。

 ソウルでは暑い中でのレースだったのに持ちタイムだけで選考した日本の3人が
メダルに届かなかったのに対し、暑さに強い谷口と篠原にソウルの代表である中山
という布陣。

 そして中山は途中棄権したものの谷口が金、篠原が5位入賞と素晴らしい成績を
挙げたのだったし、これを見て‘ソウルに谷口が出ていたら・・・’と今さらながら
思ったのだった。

 翌年のバルセロナ五輪は篠原の代わりに前年の世界陸上では1万に出場して
10位だった森下広一を入れた布陣で臨み、谷口は給水所の転倒が響いたものの
8位入賞したのをはじめ中山が4位で森下が銀を獲得しタイムだけでなく‘暑さに
強い’という要素を加味した選考の正しさが証明されたのだった。

 ただしバルセロナ以降マラソンが本格的なプロ化しトラック上がりのスピード
ランナーが次々に参入した結果、駅伝ばかりに うつつを抜かしトラックの強化を
怠った男子マラソンは一気に衰退。

 というワケで20年前の谷口浩美の金と21年前のバルセロナ五輪での森下広一
の銀が日本男子マラソン最後の栄光になってしまっている。

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