‘シンデレラボーイ’西城正三の王座陥落から40年

 今から40年前の昨日71年9月2日に行われたWBAフェザー級タイトルマッチ
で5度防衛中だった王者の西城正三が1位のアントニオ・ゴメスから5RでKO
されてタイトルを失った日である。

 試合前の予想では‘ベネズエラの黒豹’などと言われる強敵なので西城危うし
という声が多々あった。

 5人いた世界王者の中でも1・2を争う人気王者だから何としても勝って欲しい
という思いだったし、7月に世界王者同士のノンタイトル戦で対戦した小林弘が
同じベネズエラのアルフレッド・マルカノから まさかのKO負けを喫してタイトル
が1つ流出していたのも嫌な流れだった。

 試合は1Rから西城が左ジャブを打ちながらサークリングしゴメスがプレッシャー
をかけるという形で進むのだが、時折ゴメスの打つパンチは手元で伸びて被弾
するし飛び込みざまに打ち込むパンチも鋭く打たれモロさのある西城を知って
いるだけにヒヤヒヤしながら見ていた。
 
 迎えた3Rにゴメスは左フックで西城をグラつかせると返しの右ストレートが
ヒットしてダウンを奪う。
 これで目が覚めたように西城は反撃しゴメスをロープ際に詰めて強烈な連打を
浴びせてグラつかせるのだが、ゴメスも巧みなウィービングなどで決定的な一撃を
許さずにラウンド終了。

 解説の田辺清が‘西城君がんばって5-4に戻しましたね’と語っていたのに
対しアナウンサーが‘5-4で西城が取ったのですか?’と勘違いするほどの猛攻
だったのだ。

 これでペースを取り戻したかに思えた西城だったが4Rは再び2Rまでの展開に
なり迎えた5R中盤に西城のジャブに合わせたゴメスの右クロスがモロにヒットし
西城は前のめりにダウン。

 何とか立ち上がったものの既に勝負はついており、2度のダウンを追加されて
KO負けし68年9月にロスで戴冠し約3年守ってきた王座を手放すことになった
のだ。

 事実上勝負を決めた一撃こそ右クロスカウンター。
 個人的にはアニメの あしたのジョーでしか見た事のなかったパンチを初めて
実際に見たのが この試合で、威力の凄さに 唖然としたものだった。

 ゴメスの あまりの強さに10回ぐらいは防衛するのでは?と思われたのだが、
意外にも初防衛戦で11月に柴田に挑戦して不運な引き分けに泣いたエルネ
スト・マルセルに敗れてしまったのには驚いた。

 そして40年経った現在、スパイダー根本・歌川善介・ロイヤル小林・フリッパー
上原・杉谷満・竹田益明・淺川誠二・松本好二・平仲信敏・渡辺雄二・越本隆志・
佐藤修・武本在樹に榎洋之といった日本を代表する選手達がWBAフェザー級
タイトルに挑戦するもののタイトル奪取はできていない。

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (吉法師)
2011-09-04 08:29:12
この試合を生観戦した知人に聞いた話ですが、人気では当時No.1だった西城の試合だと言うのに、当日会場の入りは六分程度。「相手が強すぎる、西城は負けるだろうな」という空気が支配的な雰囲気だったのだそうです。
そんな中、ダウンを奪われた3R、西城の反撃は、王者奪取の頃の「サイジョー・ラッシュ」を髣髴とさせる激しいもので、このRを終えてコーナーに戻ったゴメスは「もうイヤだ、棄権する!」とセコンドに泣き言を言って叱責され、何とか気を取り直して次のRに出て行ったのだとか。この頃の西城は減量の影響が大きくなって、かつてのようなスピードの持続力が無くなっており、3Rの反撃は持ち前の負けん気の強さ(大場政夫にも匹敵するほど気性が激しかったのだとか)が全面に出た“ロウソクが燃え尽きる前の最後の輝き”だったようで、4Rに攻勢を掛ける余力があれば、実はどう転んだか判らない、そんな状況だったようです。
5R、二度目のダウンを奪われ、それでも立った西城が自らのコーナーに追い詰められ、ゴメスの猛攻にさらされる中、リングに飛び込もうとする西城の兄を、後ろから制止するエディ・タウンゼントさんの姿からは「今アナタが入ったら、西城反則負けよ!」というエディさんの声が聞こえそう。タオルを投げるのであれば、エディさんも止めはしなかったでしょう。身を案じるのは当然ながら、ボクサーの名誉を重んじるエディさんらしい姿だったと思います。

この西城との試合中に途中で試合を投げかかった逸話があるように、アントニオ・ゴメスと言う選手、才能・実力のある選手にありがちなムラッ気というか精神的な甘さが表に出るタイプだったようです。対して同時期に柴田国明に惜しい引き分けを演じたエルネスト・マルセルは、判定に対して声高に異を唱える事もなく、対戦相手の柴田に敬意を表してか、自らの子供のミドルネームに“シバタ”と付けるような人物だったそうです。実力もロベルト・デュラン相手に結果はストップ負けでも、中盤までは互角以上に渡り合い、後には若きアレクシス・アルゲリョに“世界王者たる者へのレッスン”とも言える苦いが貴重な敗戦を味合わせた実力者。故に、海外事情に詳しい玄人筋からは、ゴメスが負けた事はさほど意外とは思われなかったのだそうです。
 
 
 
その選手もリアルタイムで見たかった~ (なにわのヒバゴン)
2011-09-04 23:34:30
そのシンデレラ・ボーイというキャッチコピーだけで美男子、センスの良さが伝わってきますね。比較するのは失礼かもしれませんが友利とか飯田のような雰囲気だったのでしょうか?

海外で王座獲得ってホントに至難の業ですからね。平仲が勝ったときも驚きましたけど、特に鳴り物入りでデビューしたわけでもなさそうな西城が以後3年に渡って王座を維持したことは実に素晴らしい。セコンドには若き?エディーさんもいたんですね。ボクシングに賭ける情熱、若者に対する愛情の深さは井岡の頃によく伺えました。それにしてもこーじさん、まだ小学校低学年だったと思われるのによく実況&解説のコメントまでご記憶ですね。きっと生来のスポーツ中継ファンなのでしょう。

西城は引退後はキックボクサーとしても活躍されたのですね。戦績もなかなかのもので格闘家としての才能はやはり抜群だったのでしょう。ボクシング黄金期を彩った時代。。。今も日本人世界王者は多いのですが、当時の世相やヒーローが本当のヒーローだったかのようで各々の個性は強く、70年代初頭のボクシング界はもっと熱かったのでしょうね。ロイヤル小林も惜しまれる引退だったようですが、初防衛失敗後4年以上もリベンジの機会を伺っていたとは知りませんでした。色々と教えてくださり有難うございます~!
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2011-09-05 01:06:05
>吉法師様
 そうでしたか、実は観客データで この試合のみ異常に観客数が少なかったので‘西城人気も落ち気味?’などと思ってましたけど違ったのですね。

‘もうイヤだ、棄権する’というのは金沢と戦った折バレスもコーナーに戻って言ったという話は聞きましたが、両者とも次の試合で負けてますね。

 西城も長身ボクサーだったので減量が限界に来ていたというのもありますね。
 やはり過酷な減量は選手を蝕みますね。

 マルセルが柴田をリスペクトしているという話は聞きましたけど、そこまでの人格者とは思いませんでした。

 デュランにとってマルセルは小林弘同様の恩人というワケですね。

>なにわのヒバゴン様
 西城-ゴメス戦は蒲田時代に朝までスポーツという
NTVの深夜番組で再放送されていたので覚えてました。

 西城は国内でぱっとせず、ロスで修行させていたら
偶然 世界王者とのノンタイトル戦が決まって勝ってしまったため一気にタイトルマッチのチャンスを掴んだという事らしいです。

 ちなみにタイトルを奪取したロハスには本来3階級制覇を狙っていたファイティング原田が挑戦予定だったようで、タイトルを取った試合や防衛戦でもゲスト解説をしてました。

 70年代の世界王者はロイヤル小林の頃で13階級26人以内の世界王者でしたが、それでも当時‘水増し’と
呼ばれてました。

 だからステイタスはかなり高かったですよ。
 
 
 
3回に (屯田兵)
2011-09-05 02:20:05
西城ダウン、立ち上がり猛反撃。でもよくみるとガード固めながらゴメスはインサイドからパンチ返していたんだよね、西城さんの攻撃派手だから見落としてたけど、
西城さん離れて闘って負けた、マルセルはくっついてくっついて攻略したんだなっていうのが感想
西城さんにも柴田さんにもアルゲリョと戦う機会あったんだよね 勝っていたら

ラファエルオルテガの時が底でフリッパーチャンスだったのに・・・
 
 
 
70~80年代の日本人ボクサーの特集また楽しみにしています。 (なにわのヒバゴン)
2011-09-05 20:22:48
そうですか。偶然舞い込んできた世界戦で勝った西城は本当に素晴らしい。よく棚からボタ餅なんて言いますが、ごく平凡なボクサーの見方しかされなかった彼が快挙を成し遂げたわけですから、計りしれない位、たゆまぬ努力があったのでしょう。千載一遇のチャンスは日頃の厳しい修練によってモノにできるのだと思います。赤井やトミーズ雅も常々言うのですが「プロスポーツ数々あるなかでボクシングほどキツく辛いもんはない~!」らしいですね。もちろん野球もサッカーも大相撲も椅子取りゲームですから、その道で生き残るのは大変でしょうけどね

ファイティング原田さんは私などからすると現役時代を知らないのでずーっと解説者のイメージです。リングネームからしてきっと闘志溢れる名チャンプだったのでしょうね。渡辺二郎の試合とかタイソンの来日防衛戦?などでも解説していましたね(確か背広のミスターもゲストでした)‥☆
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2011-09-05 23:56:02
>屯田兵様
 そうなのですよね。
 西城が防衛を重ねていたらアルゲリョと戦えた可能性が高いですよね。

 勝てないでしょうけど、どんな試合になったか楽しみでした。

 WBAフェザー級はラファエル・オルテガが一番の穴王者でしたね。

>なにわのヒバゴン様
 ファイティング原田はパンチ力のなさを旺盛なスタミナを生かした手数で圧倒するスタイルでフライ級を制したのですが初防衛戦で敗れてバンタムに上げ、挑戦者決定戦でカウンターの名手といわれたジョー・メデルにKO負け。

 そこで足を使ったアウトボクシングにスタイルを替え、ここぞという時にラッシュを仕掛けるという戦い方で‘黄金のバンタム’といわれたエデル・ジョフレ
(ホセ・メンドーサのモデルでキャリアでは原田に連敗した以外は負けなし)に勝った後に再戦でも快勝した
のが効いて日本人ボクサーでは唯一の殿堂入りを果たしてます。

 60年代を代表するボクサーで野球では長嶋茂雄のようなタイプでしょう。
 
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