‘柳の下にドジョウは いなかった’中で・・・

 今から40年前の今日91年7月21日に、前年遊びに来た蒲田時代の
お客さん・Gクンが2泊3日の予定で再び遊びに来た。

 昨年も記したように蒲田時代にお客さんとして来店していたGク
ンを7月15日という事で博多祇園山笠の追い山を見に連れて行った
日の夜に、平和台球場で行われたホークスーライオンズ戦をライト
スタンドで観戦するなど福岡の1日を堪能し翌日は大原海岸で海水
浴をして火曜日に喜んで帰って行った。

 その時に‘また来年来ていいですか?’と言うので‘いいよ、ただし
来年は山笠終わっとるけど’と言っていたし、翌年プロ野球のスケ
ジュールを見ると7月の第3日曜である21日は平和台でオリオンズ
戦が組まれたのでゴーサインが出たのだ。

 ところが平和台でのオリオンズ戦は前年のライオンズ戦とは違
い、オリオンズファン自体が少なく観客もライトスタンドは相変
わらずだが全般的に少ないのも事実。

 そういった前年とはうって変わった雰囲気の中で行われたオリ
オンズ戦は吉永幸一郎が2アウト満塁から押し出し四球を選んで
先制するものの、すぐに2ランで逆転されると追加点も奪われて
反撃も再び満塁から吉永が歩いて押し出しで2点目を挙げるがタ
イムリーが出ず2-4で敗れた。

 全く盛り上がらない雰囲気でガッカリしながら宿泊先のカプセ
ルサウナでヤケ酒を飲むハメになったわけだが、唯一救いがあっ
たのは午前中に武田鉄矢の母親・武田イクさんと会う事ができた
ぐらいだ。

 前年あった博多祇園山笠以外に博多ながらではの名物はないか
なと思っていたが、3月に来た友人の二郎クンが武田鉄矢のファン
だったので雑餉隈にある実家に連れて行ったのを思い出した。

 西鉄・雑餉隈駅で降りて歩いて数分の所にあるタバコ屋が武田
鉄矢の実家で、覗くとイクさんがいたのでGクンはタバコを購入
し記念写真を要請すると喜んで応じてくれたのだった。

 翌日は再び大原海水浴場で泳いだりと前年と変わらないスケジ
ュールでもてなしたのだが、やはりメインの平和台での試合が盛
り上がらないと辛いものになると実感したのだった。

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