村田英次郎のラストファイトから40年

 今から40年前の昨日83年9月11日に後楽園ホールで行われたWBA
バンタム級タイトルマッチで、王者ジェフ・チャンドラーに挑戦し
たOPBF=東洋太平洋王者・村田英次郎は3度のダウンを喫するなど
途中から一方的な展開の末10RKO負けでタイトル奪取ならず。

 これが村田英次郎のラストファイトとなったのだ。

 試合はリーチに勝る王者が右アッパーなどで2R&3Rに立て続けに
ダウンし中盤盛り返したものの、10Rにダウンを奪われKO負けで4度
目の挑戦も失敗に終わった。

 村田英次郎は78年12月に東洋太平洋王者となって防衛戦をこなし
ながら、80年6月にWBC王者ルぺ・ピントールに挑戦するも三者三
様の引き分けでタイトル奪取ならず。

 続いて81年4月にWBA王者のチャンドラーに挑戦するが再び引き
分け、その後12月に再戦するのだが13RTKO負けで失敗しラストチャ
ンスとして83年9
月に3たびチャンドラー挑戦も実らなかった。

 個人的には82年3月に日本王者だった、かつてのライバル磯上修
一を3RKOした試合が初生観戦だったので思い入れがあり83年9月の
挑戦は満を持しての挑戦だけに‘今度こそ’だったのだが・・・・

 ジョー小泉氏によるとチャンドラーは村田戦以外はパッとしない
試合をするのに、村田相手になると不思議と絶好調という相性のよ
さとしか言いようがない展開だった。

 当時の村田はチャンドラー戦3試合はWBA1位で挑戦したのに対し
最後に挑戦した時はWBCでは4位だったのだが、個人的には
絶妙な
カウンターを誇る村田には地力的に上ではあるがWBC王者のルぺ・
ピントールに挑戦させたかったと思うし特にラストファイトになる
ならばと思ったわけである。

 2度も世界王者と引き分け世界に肉薄していた村田を見ていただ
けに3年半後に六車卓也がWBAバンタム級王者になった時は凄く
嬉しかったし、某一家の長男が姦計を用いてWBA王者になった時
は何となくムカついたものだ。

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