ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
10、21長嶋監督解任の衝撃から40年
今から40年前の今日80年10月21日は修学旅行明け最初の登校
で本来ならば25日から始まる中間テスト休みだったが、既に中間
テストを終えた1年に交じって少しばかり練習をしていたら監督が
来て‘長嶋が監督を辞めた’という衝撃の事実を伝えたのだった。
このシーズンの長嶋ジャイアンツは開幕からチグハグな試合
運びで1点差ゲームをことごとく落としており、中盤ぐらいから
優勝を絶望視されていたのだが前年秋に伊東キャンプで鍛えた
若手が成長し終盤は盛り返してカープとの最終戦を勝って3位は
キープしていた。
当時の論調ではAクラスに入れれば長嶋は続投という話があっ
た事から解任は意外な話で、それまで長嶋采配を批判ばかりして
いたメディアが掌を返したように同情論が沸き起こったのだ。
ジャイアンツの監督は3年間で1度もリーグ優勝をできなければ
解任されるというのは知っていたのだが、当時のジャイアンツは
川上哲治監督時代に9連覇を達成した主力メンバーが年齢的な衰
えを見せていた一方で若手が伸びておらず新旧交代期に突入して
いた。
9連覇のおかげでジャイアンツは日本一になって当然という雰囲
気の中で引退即監督就任した長嶋には日本一奪回と若手育成という
相反するミッションが義務付けられ、76年と77年に張本勲と加藤初
のトレード加入というカンフル剤が効いてリーグ優勝はしたものの
日本シリーズでは当時全盛を迎えていたブレーブスに敗れる。
そして日本一奪回に遮二無二なっている間にベテラン勢の衰えが
見過ごせなくなり、若手切り替えが急務となった79年オフに遅れば
せながら伊東キャンプで若手選手が鍛えられ何とか世代交代の萌芽
が見られるところになっていた。
冷静にみると3年続けてリーグ優勝を逃したのだから解任は仕方
ないとは思うが、川上監督もやってない引退即監督就任で日本一
奪回と世代交代という相反するミッションを請け負わせたのだから
解任宣告の席上で‘あと1年の続投’という長嶋の要望を受け入れても
よかったのではないかという気もする。
もっとも80年のNumberに掲載された長嶋のインタビュー記事を
読んでいると‘V9の時はこうだったのに、今の選手は…’とボヤくコ
メントが見られるので、これこそが引退即監督就任による経験不足
だったのが分かるし視野が狭かったのではないかと思われる。
そういう意味で翌年からの浪人生活でキューバやMLBだけでなく
五輪の取材をしたりして視野が広がったのだろうと思うので、そう
いう意味では12年後に監督に復帰できて日本一に2度なれたのも外
から野球を見る事の重要さを実感するものだ。
« 強敵を倒した... | 溝呂木眞也と... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |