ドーハの悲劇から20年

 今から20年前の今日93年10月28日に行われた94アメリカW杯アジア最終
予選の最終戦で日本はイラク相手に2-1でリードしていたものの後半のロス
タイムに追いつかれW杯初出場を逃した いわゆる‘ドーハの悲劇’の日である。

 20年前にサッカーのプロリーグであるJリーグが開幕し、平行して代表チームは
前年に行われたダイナスティ杯とアジア杯で優勝してW杯予選に
臨み前回大会
代表だったUAEにホームで勝ちアウェーで引き分け最終予選
進出を決めていた。

 おかげでJリーグはブームとなったし、これまでサッカーなど全く取り上げようと
しなかったメディアまでが‘悲願のW杯初出場なるか’と煽る
始末。

 そして10月15日からカタールの首都ドーハで始まるアジア最終予選は当時と
しては珍しく民放地上波が揃ってOAし初戦のサウジアラビア戦が
NTV、2試合
目のイラン戦はテレビ朝日、3試合目の北朝鮮戦はTBS、4試合
目の韓国戦は
フジTVで最終戦のイラク戦はTV東京という形だった。


 遡る事8年前に日本代表は86メキシコW杯の出場権をかけて韓国と対戦して
敗れたのだが、当時は裏番組のタイガースvsライオンズの日本シリ
ーズの方が
話題になっていてサッカーのW杯最終予選の影は薄かった。


 それが日本シリーズの話題よりもサッカーのW杯予選の方が8年前とは逆に
国民の関心は上になっていた。


 当然ながら私は録画せずにTVの前に正座し日本代表の試合に見入っていた
のだが、初戦を引き分けたのは悪くなかったものの2試合目にイラン
から1-2で
敗れて暗転する。


 それでも21日に北朝鮮に勝って息を吹き返すと25日の韓国戦は得点こそ
1-0ではあったが内容的には圧倒したのでイラン戦に敗れた直後は絶望
的な論調が多かったのだが、北朝鮮と宿敵である韓国に快勝してトップに
立つとW杯への出場が決まったかのような論調の中でイラク戦を迎えた。

 当然のように過去4試合同様TVの前に正座して見ていたのだが、2-1と
リードして最後に相手が疲れてきた場面で交代出場していた武田がボールを
持つと一目散に駆け上がり誰も詰めてないにも拘わらずセンタリングを上げて
相手GKからキャッチされると一気にカウンターからピンチを招き
イラク選手の
強烈なシュートをGK松永がクリアしてロスタイムに入って
いた。

 正直言って あのシュートが入らないならCKからのピンチも大丈夫だろうと
考えていたらショートコーナーから上がったセンタリングがオムラムの
頭に当たっ
て日本のゴールラインを越えていった。


 入った瞬間に放送席は沈黙してしまい約30秒してから‘入ってしまった…’
とアナウンサーが声を振り絞った実況をしていたのだから我々視聴者の
ショックも大きく、当然ながら私も その後1時間ほど布団に入る気にならず
布団に入ってからも同点ゴールのシーンが繰り返し頭に浮かびロクロク眠れ
ないまま朝になったのだからプレーしていた選手やスタッフ達の気持ちは
推して知るべしだった。

 それから4年後に日本はイランとのアジア第3代表決定戦を勝ちフランス
W杯出場を決めてから開催国だった02日韓大会も含めて5大会連続出場を
決めているが、20年前のドーハの悲劇で痛い目に遭ったからこそだと思う
のだ。

 
 だから10,28を日本サッカー界は絶対に忘れてはならないだろう。

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コメント
 
 
 
日本シリーズ (テコンドーを五輪から除外しろ!!)
2013-10-29 23:21:17
「森・西武」と「野村・ヤクルト」が2年連続で戦った1992年と1993年の日本シリーズは、個人的には史上最高の戦いだったと思うね。
1992年は劇的な試合の連続の末に西武が辛うじて3連覇を果たしたが、同時にかつての圧倒的な強さに陰りが見えた。
1993年はヤクルトが15年ぶりに日本一になって、ついにそれが現実となった。
シーズンオフに西武はダイエーとの大型トレードを敢行して秋山が移籍するなど、この1993年は西武の黄金時代が終焉した年のように思えた。

しかし、1992年は「貴りえ婚約」、1993年は「ドーハの悲劇」のおかげで、世間的にはあまり話題にならなかったことがとても残念だった。
同じ真剣勝負でも、サッカーは世界への切符を賭けたアジア諸国同士の戦いだったが、野球は所詮は首都圏のチーム同士の戦いだったから、全国的な盛り上がりを欠いてしまった。

ただ、翌1994年から日本シリーズの土日の試合開始時間がそれまでのデーゲームからナイトゲームに変更し、更には1995年からは全試合を完全ナイターに移行した。
「ドーハの悲劇」は、遅まきながら野球界も「大衆に観られる」ことを少しは意識する切っ掛けになった出来事だったと思う。
 
 
 
スワローズは (こーじ)
2013-10-30 22:51:49
>テコンドーを五輪から除外しろ!!様
 スワローズは93年と97年に日本一になってますけど、いずれもサッカーW杯最終予選と被って扱いが小さかったですよね。

 試合自体は面白かったのですが、やはり世界に出る予選と日本一で終わる野球の違いがモロに出た形で昭和と平成の違いでもあったでしょう。

 野球界も殿様商売ではダメというのが判明したシリーズでもありましたね。


 
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