76年 選抜高校野球1回戦・豊見城3-4土佐

 大会屈指の好カードが初日の第3試合に登場。
 前年の選抜でベスト8に進出し強打の東海大相模相手に 9回裏2アウト
ランナー無しまで追い詰めて名前を上げた赤嶺を擁する豊見城と、昨夏に
サイクルヒットを放った好打者・玉川を中心にした土佐の対戦。 

 豊見城は九州大会準優勝で:、土佐は四国大会ベスト4で甲子園に乗り
込んできたが問題は両チームのチーム打率が 30校中 土佐が29位、
豊見城が30位だった事。 

 更に豊見城にアクシデントが起こる。
 エースで4番の赤嶺が3月19日に脇腹を痛めたばかりか、 2日前に風邪を
引いて発熱していたのだ。
 そんな中で予定より2時間以上遅れて17:09に試合が始まる。

 1回表に赤嶺は3番の玉川を1塁ゴロに討ち取り、2回にも2 アウトまで
快調だった。
 ところが2アウトから6番の坂田が2ベースを放ってチャンスを作ると、
2塁への絶妙の牽制がタイミングがずれる悪送球となり坂田が一気に生還
し土佐が先制。
 タイミングはアウトだっただけに惜しいプレーだった。

 これで流れが活発になる。
 4回には1アウトから玉川を三振に討ち取るが、点灯された5回に先頭の
坂田からライト線に2ベースを打たれる。
 バントを失敗させたのもつかの間、8番の片田にヒットでつながれる1,3塁
から武内のスクイズを赤嶺が飛びついてダイビングタッチして坂田をアウト
にする超ファインプレー。
 ところが2アウト1,2塁から1番の川野から初球をライト線に打ち返し追加
点を挙げると、なお2,3塁から大西が2-0からレフト前にヒットを放ち川野は
アウトになったが3-0と豊見城を突き放す。

 4回まで片田のシュートに手こずり4安打散発だった豊見城打線は 5回に
ヒットで出塁した安次嶺を2塁に置いて1番の比屋根がタイムリーを放ち
1点を返すと、6回には先頭の2番・岸本が死球で出塁し 2アウト2塁から
5番の城間がライト前にタイムリーヒットで3-2と 1点差。
 6回に先頭の玉川から初ヒットを許したものの無得点に抑えた赤嶺だった
が、7回に1アウトから片田に2ベースを打たれると2アウト3塁から川野に
レフト前に打ち返され4点目を失った。

 8回に4度目の対戦で玉川から2塁への内野安打を打たれたものの
踏ん張った赤嶺を援護したい豊見城は、その裏に先頭の比屋根が死球で
出塁するとバントで1回同様1アウト2塁と攻め立てるが3番の宝が三振、
赤嶺はショートゴロで無得点。

 迎えた9回裏、アナウンサーが‘豊見城は昨春にベスト8で東海大相模
相手に1点をリードして迎えた9回裏に2アウトランナー無しから逆転負け
しました。それだけに9回裏の怖さと共に強さも知っています’という実況を
していたが、2年生エースの片田に1アウトから6番の宮良がこの日の初
ヒットを放って出塁すると7番の稲福も2本目のヒットを放ち1,2塁のチャンス。

 ここで2安打を放っていた8番の安次嶺が凡退し9番の新城もレフトに
フライを打ち上げ‘万事休す’と思われたが、レフトの市川がまさかの
落球。
 2塁ランナーの宮良に続き稲福もホームに突入するが寸前でタッチアウト
となって試合終了。

 実は1塁ランナーの稲福は打った瞬間に好スタートを切ったがレフトが
捕球体制に入ったので一瞬スピードを落としていたのだ。

 私自身も‘最後まで何があるか分からないので諦めてはいけない’と
思い知らされた試合だった。
 とはいえ好カードに相応しい内容のある素晴らしい試合だった。

 ‘打てない’と言われていた両チームが共に9本づつのヒットを放ち、
四死球も土佐が2、豊見城は3と互角。
 共にミスから1点づつ失っているので、勝敗を分けたのは長打。
 豊見城が0なのに土佐は2ベースが3本あり、いずれも得点に絡んでいた。

 注目された赤嶺と玉川の対決は、1塁ゴロ・三振・センター前ヒット・2塁
内野安打の4打数2安打だ。
 試合終了は19:30、点灯されて更に白熱した好ゲームだった。

 土 佐  010 020 100 4
 豊見城 000 011 001 3 

コメント ( 19 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
情景が浮かぶ素晴らしいレビューです (なにわのヒバゴン)
2008-12-20 00:30:12
こーじ さん

こんばんは。土佐高校は文武両道、秀才型のホワイトカラーのユニフォームと全力疾走で人気が高いですよね。玉川のシュアな打撃、片田投手の丁寧な投球などは まさに昭和の高校野球のイメージでした。豊見城は赤嶺が万全でなかったのが悔やまれますね。おっしゃる通り、前年春の東海大相模戦は沖縄球史の中でも最高の名勝負でした。津末の2塁打から4連打して相模がうっちゃったんですよね。赤嶺は二桁三振を奪う力投だったのに。。。
土佐×豊見城はスコアが示す通り、互角の力量でしたね。赤嶺が完調なら豊見城の勝利だったかもしれないし。故栽監督は甲子園で監督初采配(前年は部長でスーツ姿)、土佐の籠尾監督も数年前に亡くなられました。名物監督がたくさんいた時代だったですね

豊見城は栽氏で7度甲子園に出場も、78年夏以来丸30年間ご無沙汰。土佐も平成元年夏、5年春(ともに初戦敗退)以来遠ざかっています。豊見城→興南→沖水→沖縄尚学→浦添商と沖縄は全国屈指の強豪県になりましたが、最大の功労者は栽監督であることに異論はないはずです。県民の悲願、夏の全国制覇も近い将来どこかが必ず達成するでしょうね。
豊見城、土佐。。。忘れじのチームです☆
 
 
 
コメント追加させていただきます (なにわのヒバゴン)
2008-12-20 02:52:00
こーじ さん

最終回の豊見城は二死からレフトへ飛球を打ち上げたんですよね。二死だったら走者は打球の方向など関係なく全力で走らないといけないのでは‥。走者が何を思って躊躇したのか分かりませんが、文面を読ませていただいた限り、完全なボーンヘッドのような気がします。甲子園という舞台、やや平常心を欠いていたのでしょうか‥☆
 
 
 
最後まで諦めてはいけない (こーじ)
2008-12-21 00:23:26
>なにわのヒバゴン様

 今にして思えば赤嶺がベストなら勝っていたでしょうが、コンディションを整えるのも勝負のうちですからね。
 でも互角の好勝負でした。
 最後にホームでタッチアウトになった稲福選手は2年で、この年の夏と翌年の春夏4期続けて出場してます。
 あのタッチアウトから‘最後まで絶対諦めてはいけない’という事を学んだのだと思います。
 
 因みに私は栽監督とは面識がありまして、栽さんの
追悼記事に書いています。
http://blog.goo.ne.jp/ue-kj/e/b7fdb60cd8e4df9f4b8ea5c2ecdee424
 
 
 
こーじさんは一高校野球ファンどころではないですね~ (なにわのヒバゴン)
2008-12-21 02:32:31
そうだったんですか~!あの大監督栽氏とお会いされ、以後も親交がお有りだったとは‥。羨ましいですけど、私だったら緊張しまくって、まともに話できないと思います。栽監督は柔和な表情であっても眼光は鋭い方でしたからね。

栽監督、豊見城時代は勢いがあった半面、まだ脆さも同居してましたよね。77年春は酒田東に10対0で勝ったと思えば、次の箕島に逆スコアで敗退。その夏もベスト8で東洋大姫路に完敗とまだ栽野球は未完成でした

沖縄水産では、やはり90年夏でしょうね。天理との決勝、最後の横峯選手のレフトライナーは抜けた~!あるいはラッキーゾーンへ入った~!という会心の当たりでしたからね。風のいたずらという不運も確かにありましたけど、もう沖縄が弱いというイメージは完全になくなりました。天理のレフト小竹選手がキャッチした瞬間、私はボロボロと涙が溢れました。。。翌年も大野投手が肘の痛みを押して6試合すべて完投する感動の準優勝。ちなみに優勝した大阪桐蔭は一試合少ない5試合でしたから、沖水の準優勝の方が全然価値が高かったと思いますよ。その91年の沖水は接戦を勝ち上がった印象が強く、甲子園で勝てるコツを完全に栽監督は掴んだな‥と風格を感じました

稲福選手は甲子園4回出場とは凄いですね。豊見城はなぜか75年夏だけが空白です。私はその年のチームが最強だった気もするんですよ。選抜で夏に優勝の習志野に完勝、相模と互角でしたから‥☆
 
 
 
この試合覚えています (トクタサツオ)
2008-12-21 17:12:16
この試合は実況で観ていました。

でもここまで細かくは覚えておりませんでした。

赤嶺と玉川の一騎打ちで期待されましたが、内容のいい試合でしたね。

最終回は覚えています。

そしてトクタサツオの好きな高校野球の点灯試合でしたね。

でもよくここまで覚えていらっしゃいますね。

さすがですね♪


 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2008-12-22 00:51:17
>なにわのヒバゴン様
 栽監督の裏話は別の機会にボチボチ上げますが、この頃はちょっとした迷いがあったそうです。
 意外に栽野球は石嶺、上原晃、新垣渚とスター選手が3年だった年は今ひとつなのですよね。
 75年夏は準決勝でコザに敗れてます。
 ホントに惜しかったですよね。
 コザに勝った石川が甲子園に出場しましたが、カーブの赤嶺と速球の糸数という今年の沖縄商学と浦添商の関係だったようです。

>トクタサツオ様
 私も鹿児島実ー東海大相模と、この試合で高校野球のナイターが好きになりました。
 他の試合は忘れても、この試合だけは忘れられないのですから不思議です。
 
 
 
石川の糸数といえば‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-22 03:28:28
こーじ さん

逆転サヨナラ2ランの浜松商の高林選手ですね。当時まだ浜松商は静岡ローカルのイメージでしたけど、あの試合から粘りの、大物食いの浜商になったように思います。選抜優勝以外でもPL学園や池田を倒したり、智弁学園や岩国との乱打戦を制するなど、伝統的に何かをやらかすチームですね。選抜決勝の再現となった2000年夏は浜松商が2‐1で福井商に返り討ち。福商・北野監督は勝ちたかったでしょうね

沖水は91年夏以降は選抜で1勝を挙げたのみで、もう丸10年間甲子園から遠ざかっています。浦添商といえば、上間投手の97年のユニフォームから今夏は縦縞に変更になっていました。長いブランクだったのも関わらず、2度目のベスト4は強い沖縄そのものでしたね。来春は興南が当確ですし、伝統校と新鋭校いずれが出ても実力を発揮する沖縄の野球にますます注目です‥☆
 
 
 
浜松商は (こーじ)
2008-12-22 19:34:12
>なにわのヒバゴン様
 そうなのですよ、あの年まで浜松商は無名チームでしたが逆転サヨナラ2ランから全国区になりましたね。
 選抜の優勝は、その3年後でしてキャプテンが常葉菊川の森下監督でした。

 面白いのが20年前の88年に沖縄水産が準々決勝で浜松商と対戦し、0-1から9回に3安打を集中させ逆転サヨナラ勝ちしてます。
 13年目のリベンジだったのです。

 92年に沖縄水産は不祥事を燻し出されて低迷し始めましたよね。
 92年以降は96年春の1勝でしたからね。
 
 
 
時代の変遷を感じますね~ (なにわのヒバゴン)
2008-12-22 22:47:40
こーじ さん

そうですね。75年当時はまだ沖縄より静岡の方がレベルが高かったでしょうから、逆転サヨナラ弾はある意味仕方ないという感じでしたよね。88年夏、沖水は左腕の平良投手が好投。浜松商戦はテレビで見てましたけど、岡本投手の球威がなくなっていた気がしたので、沖水は同点あるいは逆転できるという空気を感じました。沖水打線は大物打ちはいなかったものの、スイングが鋭かったですね。沖縄勢が興南以来の4強、もう全国制覇は時間の問題というところまで来てましたよね

浜松商はその夏あたりが最後の8強入りで、以後は今一つです。私の世代の静岡といえばまず浜松商のイメージ。静岡高校や静岡商は全盛期を過ぎていましたからね。常葉菊川の近年の躍進ぶりは、静岡球界に大きく変革をもたらしたように思います。意外にも夏の静岡勢は優勝と縁がないですね(戦前の静岡中以来)‥☆
 
 
 
88年の浜松商は (こーじ)
2008-12-24 00:27:27
>なにわのヒバゴン様
 88年の浜松商は2回戦から登場し初戦が池田に延長でサヨナラ勝ち、3回戦は拓大紅陵に競り勝つなど強豪を倒した疲れが残っていたのでしょうか?
 やはり今は常葉菊川の天下になってきてますね。
 
 
 
♪緑芽伸び行く、若松我等~浜商校歌が懐かしい☆ (なにわのヒバゴン)
2008-12-24 00:45:14
こーじ さん

そうでした。浜松商と池田の試合は3時間半くらいのロングゲームだったような熱戦でした。結局、蔦監督はそれが甲子園でのラスト采配になったのですが、奇しくも昭和最後の大会だったことも ありし日が偲ばれますね。拓大紅陵はこの当時は前評判の割に勝ち進めなかった印象。86年春に新湊に逆転負けしたのは不覚だったでしょうね

白いユニ「HAMASHO」の復活を大いに期待したいところです☆
 
 
 
あれは熱戦でした (こーじ)
2008-12-25 00:24:17
>なにわのヒバゴン様
 池田ー浜松商は大熱戦でしたね。
 最後にスクイズで決着がついたのですが、予想は池田断然有利でしたから ある意味番狂わせだったようですよ。
 拓大紅陵は、92年の準優勝が最高成績ですね。
 いつも前評判はよかったのですけど・・・・
 
 
 
池田が力強かったのは (なにわのヒバゴン)
2008-12-25 17:16:51
こーじ さん

その88年あたりまででしたね。畠山、水野のあとは片山、梶田、糸永、桜間とやや小粒のエースになった感があります。春は糸永まですべて4強以上ですから、やはり蔦池田のネームバリューは健在だったんですね

岡田監督時代に池田×弘前実が二年連続で対戦。今では実現が難しいカードですね
立川に逆転ツーランされた92年も印象深いですが、前年の帝京とのホームラン合戦も面白かった。敵将は替わってましたが、前田監督にすれば、あの0‐11で粉砕された83年春の悔しさをようやく晴らせたのではないでしょうか。三沢、宮崎、小山、三田村らが残り、次の選抜を制しましたよね

佐賀学園、龍谷という私学でなく佐賀商、佐賀北が全国制覇するんですから面白いものですね。岸川の頃は佐賀北は漢字のユニでしたし、2000夏の初陣では横浜に完敗。ですから当時の印象って全く残ってません。むしろ横浜と接戦を演じた鳥羽高校のほうが記憶に鮮明ですね
佐賀では他に内山投手の鳥栖や現佐賀北の百崎監督で春夏出場の神埼も好チームでした‥☆
 
 
 
技巧派が増えましたね (こーじ)
2008-12-26 00:14:09
>なにわのヒバゴン様
 池田は水野が卒業後はピッチャーが小粒で技巧派が
増えたと思ってます。
 岡田監督は79年準優勝の2番キャッチャーでした。
 帝京は池田に83年にコテンパンにやられてから打撃のチームにしたそうですよ。

 佐賀北は00年はピンストライプで縦書きの‘佐賀北’でしたからね、とてもじゃないが勝てるとは思えませんでした。
 鳥栖の内山はシュートがよく、もう少し勝てた気がしますよ。
 
 
 
忘れ得ぬ池田・橋川投手 (なにわのヒバゴン)
2008-12-26 03:12:25
こーじ さん

そうだったんですね。79年の池田は2番打者が捕手の岡田。ちなみに箕島の嶋田はトップでした(こちらは有名ですけど)

春の東洋大姫路との雨中戦や夏の橋川好投と打線の充実などから私は池田では79年のチームが好きでした。川原、山本、永井、田所(箕島戦、三振を喫して試合終了)などパワフル&爽やかな印象でまさにイレブンと山びこ打線の中庸の頃ですよね

ユニフォームのイメージってありますよね。豊見城はなぜか78年夏のみ「豊」の一文字でした。やはり?不評だったらしく、すぐ以前のスタイルに戻したらしいですね。私も我孫子戦で初めて見てガックリきたのを覚えています。沖水も栽さんが率いる前の84年夏はややデザインが違ってました。

大阪でも近大付が一時、「KINKI」になり、これは勝ち進まれへん~!と予期してしまいました。やはり漢字の近大附高がしっくりきます

今をときめく常葉菊川も96年夏は漢字ユニ(白地に紫で常葉菊川)、04年春はローマ字でTOKOHA。しかし共に初戦敗退でまだ無名に近い印象が拭えず。昨年春、初戦の仙台育英・由規に競り勝ってからアレヨアレヨとメジャーになりましたよね。ピンストライプのヤンキースモデルが今風ですね。今夏、浦添商は以前と全く違うイメージに写りました(上間の97年夏も4強でしたね)☆
 
 
 
ユニフォームデザインは (こーじ)
2008-12-27 00:31:11
>なにわのヒバゴン様
 やはり豊見城の‘豊’一文字はイマイチでした。
 近代付のKINKIは近畿大と同じデザインだったのですね。
 最近では日大山形がグレーに漢字での表記から、日大と同じようなデザインになって違和感が凄くありました。
 
 常葉菊川もピンストライプにしてから強くなりましたね。
 浦添も前回は紫に縦漢字で浦商でしたので、今回見て‘アレっ’と思いましたよ。
 
 
 
ユニデザインを一新することで (なにわのヒバゴン)
2008-12-27 03:48:28
こーじ さん

豊見城が豊にしたのは、「ベスト8の壁を今回こそ破って優勝する」という意味合いが強かったのかも知れませんね。選抜は桐生に完封負けでしたし、栽さんにすれば期するものがあったのでしょう

日大山形は随分とスマートになった印象ですよね。近年は酒田南、羽黒の台頭で、一時のような常連ではなくなりました。それだけに数年前の8強入り(しましたよね?)は格別の思いだったかも知れません。山形の最高は羽黒が05年春に4強入りしましたね

天理がマックス佐藤の頃はズボンにラインが入ってましたし、帽子や天理の文字も紫でなく濃紺ぐらいの色調ですね。池田も79年春まではローマ字の字体がやや小さかった。智弁も和歌山に比べて奈良は文字が締まっていますね

京都外大西が昨夏に旧校名、京都西時代のユニを復刻させたようなデザインになってましたね。清原に二発食らったり、新湊にエース佐々木がボークを取られ敗れた試合を思い出しました。89年春の京都西×広島工は熱戦、サヨナラをピンチを堅守で凌ぎ切った「三原マジック」が秀逸(広島のチーム相手に)。準決勝の東邦戦もリードしていただけに逆転されたのは惜しかったです‥☆
 
 
 
それはあるでしょう (こーじ)
2008-12-27 22:49:49
>なにわのヒバゴン様
 栽監督は78年を最後に沖縄水産に移動するのが決まっていたようですからね。
 心機一転という感じだったのでしょう。

 日大山形が今のユニフォームになった06年に初めて
ベスト8入りですから、ユニフォームの変更が心機一転になっているかもしれません。

 京都外大西は、やはり京都西時代への拘りがあるのかもしれませんね。
 
 
 
サイドスローの大谷投手は今‥ (なにわのヒバゴン)
2008-12-28 05:33:41
こーじ さん

04年夏の横浜×京都外大西は涌井と大谷の素晴らしい投手戦でしたよね。どうしてもパワーで見劣りする京都外大西はミート打撃に徹し、単打や四球で出塁はするものの あと一本が出ない。横浜も大谷のスライダーに手を焼きましたよね。

最後は横浜が執念でサヨナラ勝ちしましたが、ブルーの京都外大西のユニフォームは新たなイメージとして心に残りました。三原監督の「勝てた試合でした。めっちゃ悔しいですわ~」という第一声が印象的です

翌夏は三原監督勇退が明かされたことでチームは見事にまとまりましたよね。大逆転した関西戦、宇部商を三原マジックで土壇場ひっくりかえした準決勝。駒苫との決勝も中盤までは互角のいい戦いでした

京都も神奈川に弱い。前述以外でも平安が03年春・横浜、鳥羽が00年春・東海大相模、00年夏・横浜、京都成章が98年夏・横浜、北嵯峨が96年夏・横浜にそれぞれ敗れています。かなりの割合で横浜と当たっていますが、なんとか古都の意地も見せて欲しいですね☆
 
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