ニッポンのジャンプが世界を制した日

 10年前の今日は長野五輪のジャンプ団体戦で日本が見事に
優勝し、文字通り世界を制した日である。
 2日前のRH同様、朝から悪天候で開始時間が大幅に遅れて
始まった。
 1本目で岡部、斎藤の2人は素晴らしいジャンプを見せて、トップ
に立っていたが3番手の頃から最悪のコンディションとなり原田が
79,5mに終わって流れが変り船木も今ひとつで 1本目終了時点
では何と4位。
 雪が更に激しくなった2本目は、岡部が137m、斎藤が最悪の風の
中で124mでまとめると、原田が137mの大ジャンプで盛り上げ船木が
125mで締めて見事に逆転優勝を飾ったのだ。

  ジャンプの団体戦は、88カルガリーから始まった。
 どん底状態にあった日本は最下位の11位に終わった。
 4年後の92アルベールビルでは、原田の活躍で4位に躍進。
 RHで4位に入った原田が勢いを付けた形だった。
 93年の世界選手権でも4位に入った日本は、94リレハンメルでは
一躍優勝候補に挙がる。

 というのも、このシーズンはノルウェーのブレーデセン、ドイツの
バイスクロフ、オーストリアのゴルトベルガーの3強がめっぽう強かった。
 一方の日本は葛西、原田、岡部らがW杯ランキングのトップ 10の
中にいたので、エースの4番手では歯が立たないが3番手なら互角で
1番手、2番手なら十分勝てるので表彰台は固いと思っていた。
 実際に国別獲得ポイントでは日本は1位。
 期待通り1番手の西方、2番手の岡部が好調で1本目終了時点で
2位。
 2本目に入ると葛西までが素晴らしいジャンプを見せ、2位のドイツに
大差をつけた。しかし最後に原田が失敗し2位に終わる。
 ただこの銀メダルは、2年前の五輪と前年の世界選手権の4位から
2つ順位を上げているし6年前は最下位だったのだから私的には
‘よくやった’である。
 最終組はバイスクロフら3強が揃うのでスタートゲートも飛距離が
出にくくなっている。
 そんな中で当時の原田は、成功ジャンプを2本揃えるタイプではなかった
のだ。だから失敗ジャンプも十分ありえた。

 団体戦はリレハンメルの時の日本のようにエース不在メンバーでも、
男子体操が84ロスで個人戦で金を取った具志堅幸司というエースだけ
でも金は取れない。
 3番手以降の層の厚さとスーパーエースが絶対いるし、ごまかしは
効かないのだ。

 リレハンメルから4年経った間に、船木という直前のジャンプ週間で
総合優勝したスーパーエースが加わったのが大きかったのだ。
 それでも95年世界選手権では3位。今回と同じメンバーだった97年
世界選手権でも2位と届きそうで届かなかった団体戦優勝だったのだ。

 それが最も大事な長野五輪でRH個人と団体の両方で勝ち、文字通り
ニッポン・ジャンプチームが世界を制した事になったのだ。
 最高の成績でジャンプは日程を終了した。
 ただしトップに立つというのは、下り坂になる前兆でもある。
 長野をピークにニッポン・ジャンプチームは低迷への道を歩き出した
のだが、この時は誰も気付いていなかった・・・・・

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
そして未だに (柴田真紀)
2008-02-18 00:42:13
 光は見えない……。
 
 
 
8位でしたっけ (こーじ)
2008-02-18 09:47:11
>柴田真紀様
 昨夜のニュースでW杯の団体戦は12チーム中8位だったそうです。
 どんどん順位を落としてますね。
 
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