本原正治、一瞬の輝き

 今から20年前の今日、91年7月24日に広島で行われたオールスターゲーム
に本原正治というホークスのピッチャーが出場した。

 広陵出身の右ピッチャーで85年ドラフト4位でジャイアンツに入団。
 つまり桑田真澄や広田浩章と同期で入団した軟投派で2軍では そこそこ投げ
ていたものの、当時のジャイアンツは投手王国でホークスへの移籍前年の89年
は斎藤正樹・桑田真澄・槙原寛巳・宮本和知・香田勲ら磐石のメンバーが揃って
いた事もあり1軍での当番はなし。

 一方のホークスは90年に田淵幸一が監督に就任したものの投手陣が崩壊し
ガタガタの状態の中 緊急トレードを画策し、他球団からの余剰戦力をかき集める
状態でジャイアンツからは久留米商出身の山田武史と共に実質無償でホークス
にやって来たのだった。

 とはいえ‘ジャイアンツの2軍でしか投げてないヤツが来ても’と思ったし、奇し
くもホークスでの初登板は90年7月30日のオリオンズ戦で私は平和台で観戦
していたのだ。

 この試合は1回に岸川勝也の2ランで幸先よく先制しながら、あっさり逆転され
大差で敗れた試合の敗戦処理で投げたと思うのだが、当時ホークスには外野手
で本村という選手がいたので‘ややこしい名前やな’とライトスタンドでみなさん
言っていた記憶がある。

 ところが何が幸いするか分からない。
 期待された山田よりも本原の方がチャンスを掴みシーズン途中からながらローテ
に入ると防御率は4,48ながら5勝5敗の成績を挙げ、特に当時全盛だったライ
オンズに勝ったのが印象深かったのだ。

 そして迎えた91年。
 エースの村田勝喜に次ぐ2番手まで上がりシーズンの前半はライオンズとの
相性のよさもあって前半で8勝2敗の好成績で何とオールスターにも選ばれたの
である。

 ところが広島での第2戦で登板すると1イニングも もたずにKOされて降板。
 これでケチが付いたのか、オールスター明けのライオンズ戦でKOされたのを
手始めに後半は全く勝てなくなり7連敗でシーズンを終えると翌92年まで14連敗を
する事になったのだ。

 それでも91年はキャリアで唯一規定投球回数に達した1年で、防御率4,78で
8勝9敗とはいえ当時のホークスの投手陣の中では決して悪い成績ではなかった
のだが・・・・

 その後は活躍できずにローテから外れて中継ぎに回り、94年に広島にトレード
されたものの1年で解雇されて引退する形になった。

 スタイル的には軟投派だったので層の厚いジャイアンツでは芽が出なかったが
ホークスで登板機会を与えられチャンスを見事に生かして一瞬ではあるが、それ
なりの花を咲かせた形だった。

 だから本原にとっては1イニングも もたずにKOされたとはいえ忘れえぬオール
スターになったのではないかと思う。

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