カタルシスなきネクサスだが最後に・・・

 時代劇で最も視聴者がカタルシスを感じるのは正義の剣士が抑圧
されている一般市民が、ピンチの場面で駆け付けて悪人を成敗する
シーンだというのが最も多いのではないだろうか。

 これは水戸黄門や遠山の金さんなどで見られる代表的なシーンだ
ろうが、破れ傘刀舟や必殺シリーズなどは市井の人々が殺害されて
から動いて敵討ちというパターンだ。

 特撮ヒーローの場合はヒーローが市井の人々がピンチの時に駆け
付けて悪人から救うという水戸黄門的な内容が一般的で、子供達が
見るのだから当然ではあるもののウルトラマンネクサスの姫矢編の
場合は既に殺害されている斎田リコをはじめ‘間に合わない’系が
多い。

 姫矢が心の傷を負ったのは紛争地で知り合った娘・セラが目の前
で地雷に触れて爆死する事だし、リコも結果的に溝呂木から殺害さ
れているという事が明らかになるように市井の人々が犠牲になって
いるわけだ。

 当然ながら孤門は溝呂木やノスフェルに対して復讐の念を抱き、
凪からも‘敵に対する怒りや憎しみが活力になる’と言われノスフェ
ルに対してメガキャノンバニッシャーを浴びせて旦倒したのだが額
の部分に囚われていた山邑理子に重傷を負わせるハメになる。

 このパターンは必殺シリーズ的な犠牲になった市井の人々の敵討
ち的なもので、水戸黄門系の熱狂的ファンあたりからは評判が悪い。

 つまりカタルシスがなく勝っても素直に喜べないという展開は子
供が見るヒーローものでは異色だし、OA時間も7時台では不評に
なるのは当然だろう。

 ただし敵は凶悪なほど倒した時のカタルシスは大きいわけで、
だからこそ溝呂木以上の大物を相手に最も心に傷を負った孤門が
戦い勝利を収めるというのは それを証明している。

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