夏の甲子園での1-0勝ちは至難の業

 平成の高校野球を見ていると打撃レベルが昭和から数段にアップ
しており、特に21世紀に入ると1大会の1試合平均得点は最も低
い03年ですら5,56という数字になっており木製バット最後の年
の73年が4,47と1点以上の差が付いた形になっている。

 昭和40年代から50年代にかけて九州で春夏通じてベスト8に
4度入ったチームの監督が97年の春夏に甲子園出場した時に‘今
の高校野球は長打が出過ぎだし点が入り過ぎて乱れている、高校野
球の理想は1-0なのに’と語っていたのだが調べてみると昭和の
時代の夏の大会での1-0決着は昭和34年から63年まで実に92
試合あったのが平成の30年間では35試合と1/3近く減っている。

 つまり昭和34年から63年までは1大会で3試合はあったのに
対し平成では1試合あるかないかで、昭和は1-0スコアの試合が
12試合強に1試合だったのが平成は41試合強に1試合と希少価
値になっているのが分かる。

 平成の1-0スコアの内訳は1回戦:9試合、2回戦:14試合
で3回戦:8試合、ベスト8&4:1試合、決勝:2試合で、2回
戦の14試合中2回戦から登場したチームは5試合というもの。

 1-0スコアが多かったのは92年の4試合で3試合が89年と
94年に04年と13年の3回、逆に1-0スコアが全くない年は
12回となっている。

 また私的独断ではあるが試合前に有利と思われたチームが勝った
のは15試合なのに対し不利なチームが勝ったのは8試合に過ぎず、
特に不利と思われたチームが先攻で1-0で勝ったのは2試合しか
ないわけで予想不利なチームが1-0勝ちを目指すべきでないとい
う事になる。

 特筆すべき点は準々決勝以降4試合しかない事で準々決勝は89
年、準決勝は97年、決勝は92年が最後となっているだけでなく
準々決勝以降の1-0スコアは97年の智弁和歌山-浦添商戦が最
後だから21世紀に入って準々決勝以降の1-0試合はないのだ。

 こうしてみると1-0というのは当然ながら両校投手の頑張りが
必要不可欠なのに、準々決勝以降になると投手陣も疲労困憊になり
打撃レベルは高いままなので1点取って逃げ切るというのは至難の
業になっているのが分かる。

 だから21世紀の時代に優勝を目指したり格上チーム相手に番狂
わせをすには、1-0で勝つ思想は厳禁という事になるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« アナザースト... キックベース... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。