やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

津波の威力 防災意識

2021-09-06 17:00:03 | 山旅(国内)
みちのくトレイルのツアーのあとは
雨が続いていてプライベートでの山も行けずにいた。

みちのくのツアーは
たくさんのものを見て、旅日記を作り終わったあと
ぼーっとしていた。いつまでも、自分の中に
潮の香とやませの冷たい風と湿気のある暑い太陽の光がミックスで
感覚として残っていた。

中尊寺金色堂には完全に魅せられ、
本まで買ってしまった。
美しい・・・すごすぎる。
藤原家と頼朝、義経の歴史、その周辺の
女性たちの話。いつまでもいつまでも浸っていたと思った。
日本の歴史も面白いね。美しいだけでなく、
残酷で、はかないものでもある。

あと、津波。町から村から港町を歩く旅に
高い防潮堤があった。そこではその向こうの海が見えないほど。


これは一例だけど、根こそぎ町がなくなった
明戸地区震災遺構




これは当時の村長さんの熱意で反対を押し切って作った
水門が町を守ったという「普代水門」



歩いているとあちこちで
津波の水位がわかる看板




陸全高田ではマルゴト陸前高田の代表 伊藤雅人さんの貴重なお話を聞くことができた。
東北震災の地震のあと、高台から彼は津波が来るようすを見た。
土煙が海のほうから来て、町を覆い、町が煙の中に消え
海になったこと。そこに居合わせた誰も一言も言葉を発することなく見ていた。
その水が引いていくとあとには何も残っていなかったこと。町が消えていた。
そのとき同僚のお一人が「うちの家がなくなった」とぽつんと
言って、我に返ったこと。
そしてご自分も家に戻り、二つ下の家の先は
がれきになっていたのだそう。
そのとき、町は「無音」だったこと。
一切の生活音も鳥のさえずりも、何も音がなかったという、それはとてもリアルなお話だった。
その後、消防も救急も手が足りないので、ご自身も
崩れた家屋を掘り、いくつも、いくつものご遺体を見つけたこと。
下半身のないご遺体をご家族のおばあちゃんに引き渡したときには
おばあちゃんがウェットティッシュで泥だらけのお顔を拭いてあげながら
ひとこと言った言葉
「見つけてもらってよかった。ありがとう」

これを思い出すたびに苦しすぎて、頭が真っ白になってしまう。

震災直後の混乱の中で指のない遺体が多かったこと(指輪を指ごと盗る)
窃盗が多かったこと

これも日本なのね、と思った。現実なのね。

貴重なお話だった。



元の場所には家はなく、(建てられない)
高台(を作り)町はうつった。

復興を目指している陸前高田は
誰にとっても住みやすい、バリアフリーの街を目指していることを知った。

旅日記にまとめたことをここでもご紹介するね。
今後の防災のためにも。防災グッズを今一度みなおそう。ようするに
登山のものはたくさん役立つ。
(二年前の台風19号のときは避難グッズは何もわからず、携帯用座布団とペットボトル一本を持っただけの私)
(私は震災のときには広島にいたのでこれまで震度4を一度経験しただけで、大きな地震にあったこともない)




*

みちのく。
山道を歩きながらもいつもすぐそこに海があった。
それも大きな太平洋。
やさしい顔も、残酷な顔も、すべてが現実。

海岸段丘の三陸海岸