4日目は今回の旅のおまけ。帰路は、仙台から東北本線で小牛田駅へ、陸羽東線に乗り換えて新庄駅へ。新庄駅からは奥羽本線に乗り換えて横手駅へ、そこで北上線に乗り換えて北上駅へ。そして、東北本線・いわて銀河鉄道・青い森鉄道の経路です。
それではかけ足で…
仙台発7時46分発小牛田行に乗ります。
塩釜も津波の被害を受けたのですが、駅が高いところにあるのでその様子は分かりません。
同じ松島湾沿いにあって、松島は津波被害がほとんど無かったそうです。
松島湾内にある808島(実際には260余りの島々)が、防波堤の役割を果たしたと言われています。
松島駅の手前で、複線の東北本線と単線の仙石線が平行しているこの付近で仙石線と東北本線の接続線を作って、仙石線・東北本線接続線経由の新しい運行経路で列車を走らせることが計画されています。
8時30分小牛田駅到着
駅名の由来についての説明板がありました。駅の中でこんなに立派な物があるのは稀だと思います。
1階には美里町総合案内所があり、観光地や物産品の紹介と特産品の販売も行っているようですが、9時から営業ということで人はいるのですが、時間までh中に入ることができないと言うことで駅前を歩いてみると、「村上屋」というおまんじゅうやさんを発見。
駅に戻って、9時7分発陸羽東線新庄行に乗ります。途中、古川駅で東北新幹線に乗り換えるためかなのか、ローカル線にしては乗客がいるような気がします。
陸羽東線には、奥の細道湯けむりラインの愛称が付いているため、そのステッカーが貼られていました。
愛称が付いているローカル線の数は結構あるのですが、認知度はどうでしょうか。
大湊線(はななすベイライン大湊線)
八戸線(八戸駅・鮫駅間 うみねこレール八戸市内線)
釜石線(銀河ドリームライン釜石線)
大船渡線(ドラゴンレール大船渡線)
花輪線(十和田八幡平四季彩ライン)
男鹿線(男鹿なまはげライン) まだまだあります。
小牛田駅を出発しましたが、今にも雨が降りそうな天気ですが、列車はササニシキの本場大崎平野の中を走ります。
陸羽東線は小牛田駅から終点新庄駅まで27の駅がありますが、そのうち11の駅が改名しているという路線でもあります。
小牛田駅を出ると北浦駅、陸前谷地駅に停まり、東北新幹線との接続駅古川駅(一度、陸前古川に改名し、再び古川駅に改名)に停まります。
古川駅を出て塚目駅、西古川駅(中新田駅から改名)、東大崎駅、西大崎駅(上岩出山駅から改名)と停車し、伊達政宗が米沢から国替えになり、仙台城を築城するまでの12年間居城した岩出山城があった、岩出山駅に到着。
岩出山駅の次が、有備館駅。駅名の由来は、仙台藩の学問所「有備館」。現存する日本最古の学校建築だそうです。
有備館のためにできた駅のため、有備館へは徒歩1分。
有備館駅を出て間もなく江合川を渡ります。
その後、上野目駅(西岩出山駅から改名)、池月駅、川渡温泉駅(川渡駅から改名)と停まり、再び江合川を鳴子御殿湯駅(東鳴子駅から改名)に到着します。
鳴子御殿湯駅を出て、右手に鳴子発電所が見えてくると鳴子温泉駅(鳴子駅から改名)に到着します。
鳴子は、温泉、こけし、スキー場の他、絶景の鳴子峡が名所ですが、残念なことに列車はほとんどがトンネルを通るため見ることはできません。
鳴子峡を過ぎると中山平温泉駅(中山平駅から改名)に停まります。C58蒸気機関車が静態保存されていましたが、しばらく手入れされていないようで、放置状態なのが残念です。
中山平駅の次は宮城県と山形県の県境駅、堺田駅。分水嶺の案内板もありました。
駅は掘り割りの中にあるため、周りの様子は見ることはできませんでした。
堺田駅を出て、赤倉温泉駅(富沢駅、羽前赤倉駅から改名)に停まり、次は立小路駅。ホームには、地元の塞ノ神神社の氏子の方が建てた案内板がありました。
次の最上駅(羽前向町からの改名)では、冬に備えて除雪車の部品の塗装直しが行われていました。
隣の大堀駅は、無人駅ながらしっかりとしたログハウス風の駅舎です。
大堀駅の隣、鵜杉駅を過ぎると「森のふれ愛ランド」につながる赤い吊り橋が見えました。
そして間もなく瀬見温泉駅(瀬見からの改名)に到着。
ここ瀬見温泉は、源頼朝の追っ手を逃れ、平泉に向かう途中、義経・弁慶一行が通った際、身重の北の方が急に産気づき、義経の子「亀若丸」が誕生し、その産湯を探しに弁慶が山を下ってくると岩陰から立ち昇る湯煙を発見し、薙刀でそこを掘るとお湯が湧き出てきたと「義経記」に記されていることで、義経、弁慶伝説にまつわるたくさんの史跡、名所があるところです。
瀬見温泉駅を出て間もなく、最近見ることが少なくなった養蜂箱がありました。
東長沢駅、長沢駅、南新庄駅と過ぎると、左手に奥羽本線が迫って来ます。
山形新幹線の車両が見えてくると、間もなく終点新庄駅。
新庄駅には定刻11時9分の到着。
新庄駅は奥羽本線上を走るミニ新幹線である山形新幹線の終着駅です。そのため奥羽本線は福島駅から新庄駅までは、新幹線車両が走行できるようにするため、新幹線と同じ軌間(レール幅)1,435mmですが、ここから先秋田までは在来線の軌間1,067mmのため、同じホームでも途中で線路が切れていました。
新庄駅では、奥羽本線11時12分発秋田行に乗り換えました。
途中には、難読駅名の及位駅。
東洋一と言われた院内銀山はすでに閉山していますが、院内駅に隣接する資料館「院内銀山異人館」には、銀山関係の文献、写真、絵図などのほか、岩井堂洞窟出土の土器や石器、縄文時代の人びとが岩陰を生活の場としている様子を描いたジオラマを展示されているとのことです。
小野小町生誕の地と言われる湯沢市小野にある横堀駅はホームには、小野小町と深草少将をかたどった記念写真用のパネルが設置されていました。
湯沢駅のホームには、夏なのに冬に行われる「湯沢犬っこまつり」の記念写真用のパネルが設置されていました。
北上線への乗換駅、横手駅には12時38分の到着。
1時間ちょっとの待ち合わせ。昼食は「横手やきそば」。
横手駅からは、北上線13時54分発北上行に乗り、終点まで行きます。
至る所で痛んだ木製の枕木がコンクリート製の枕木に交換されていました。
ゆだ高原駅手前が秋田県と岩手県の県境です。
列車は2両編成ですが、各車両4~5人と閑散としています。
ほっとゆだ駅は、かつては陸中川尻駅。
温泉施設「ほっとゆだ」に駅が併設されているのか、駅に温泉が併設されているのか分かりませんが、温泉のある駅として有名です。
ほっとゆだ駅を出ると、左手に湯田ダムによってできた錦秋湖が広がります。
名前の通り、秋の紅葉シーズンは景色の良いところのようです。
鉄橋も真っ赤に塗られていました。
ゆだ錦秋湖駅を過ぎ、和賀千人駅を目指し、急勾配を登っていきます。
和賀仙人駅周辺は、積雪が2mを超える豪雪地帯で、冬には除雪のため終日運休することもある所です。
和賀仙人駅の隣の岩沢駅までは一気に下ります。ホームでは草刈りを一人でやっている方が木陰で休憩していました。
ホーム周辺や、使われなくなったホームなどがきれいに手入れされています。ここは公民館が駅に併設されていることから、このように手入れされているのでしょう。
岩沢駅を出ると、横川目駅、立川目駅、藤根駅と徐々に平坦地となり、江釣子駅に停まります。
ここは現在合併して北上市になっていますが、合併する前は江釣子村といい、岩手県で最も面積の狭い自治体で、約18平方kmに1万人の人口と、人口密度の高い村でした。
柳原駅を過ぎると次は終点、北上駅。定刻15時14分の到着。
ここからは東北本線15時39分盛岡行普通列車で終点盛岡まで行き、盛岡からはIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道17時4分発八戸行に乗り、八戸駅で青い森鉄道19時9分発「快速しもきた」大湊行に乗り換えて帰宅しました。
おしまい
それではかけ足で…
仙台発7時46分発小牛田行に乗ります。
塩釜も津波の被害を受けたのですが、駅が高いところにあるのでその様子は分かりません。
同じ松島湾沿いにあって、松島は津波被害がほとんど無かったそうです。
松島湾内にある808島(実際には260余りの島々)が、防波堤の役割を果たしたと言われています。
松島駅の手前で、複線の東北本線と単線の仙石線が平行しているこの付近で仙石線と東北本線の接続線を作って、仙石線・東北本線接続線経由の新しい運行経路で列車を走らせることが計画されています。
8時30分小牛田駅到着
駅名の由来についての説明板がありました。駅の中でこんなに立派な物があるのは稀だと思います。
1階には美里町総合案内所があり、観光地や物産品の紹介と特産品の販売も行っているようですが、9時から営業ということで人はいるのですが、時間までh中に入ることができないと言うことで駅前を歩いてみると、「村上屋」というおまんじゅうやさんを発見。
駅に戻って、9時7分発陸羽東線新庄行に乗ります。途中、古川駅で東北新幹線に乗り換えるためかなのか、ローカル線にしては乗客がいるような気がします。
陸羽東線には、奥の細道湯けむりラインの愛称が付いているため、そのステッカーが貼られていました。
愛称が付いているローカル線の数は結構あるのですが、認知度はどうでしょうか。
大湊線(はななすベイライン大湊線)
八戸線(八戸駅・鮫駅間 うみねこレール八戸市内線)
釜石線(銀河ドリームライン釜石線)
大船渡線(ドラゴンレール大船渡線)
花輪線(十和田八幡平四季彩ライン)
男鹿線(男鹿なまはげライン) まだまだあります。
小牛田駅を出発しましたが、今にも雨が降りそうな天気ですが、列車はササニシキの本場大崎平野の中を走ります。
陸羽東線は小牛田駅から終点新庄駅まで27の駅がありますが、そのうち11の駅が改名しているという路線でもあります。
小牛田駅を出ると北浦駅、陸前谷地駅に停まり、東北新幹線との接続駅古川駅(一度、陸前古川に改名し、再び古川駅に改名)に停まります。
古川駅を出て塚目駅、西古川駅(中新田駅から改名)、東大崎駅、西大崎駅(上岩出山駅から改名)と停車し、伊達政宗が米沢から国替えになり、仙台城を築城するまでの12年間居城した岩出山城があった、岩出山駅に到着。
岩出山駅の次が、有備館駅。駅名の由来は、仙台藩の学問所「有備館」。現存する日本最古の学校建築だそうです。
有備館のためにできた駅のため、有備館へは徒歩1分。
有備館駅を出て間もなく江合川を渡ります。
その後、上野目駅(西岩出山駅から改名)、池月駅、川渡温泉駅(川渡駅から改名)と停まり、再び江合川を鳴子御殿湯駅(東鳴子駅から改名)に到着します。
鳴子御殿湯駅を出て、右手に鳴子発電所が見えてくると鳴子温泉駅(鳴子駅から改名)に到着します。
鳴子は、温泉、こけし、スキー場の他、絶景の鳴子峡が名所ですが、残念なことに列車はほとんどがトンネルを通るため見ることはできません。
鳴子峡を過ぎると中山平温泉駅(中山平駅から改名)に停まります。C58蒸気機関車が静態保存されていましたが、しばらく手入れされていないようで、放置状態なのが残念です。
中山平駅の次は宮城県と山形県の県境駅、堺田駅。分水嶺の案内板もありました。
駅は掘り割りの中にあるため、周りの様子は見ることはできませんでした。
堺田駅を出て、赤倉温泉駅(富沢駅、羽前赤倉駅から改名)に停まり、次は立小路駅。ホームには、地元の塞ノ神神社の氏子の方が建てた案内板がありました。
次の最上駅(羽前向町からの改名)では、冬に備えて除雪車の部品の塗装直しが行われていました。
隣の大堀駅は、無人駅ながらしっかりとしたログハウス風の駅舎です。
大堀駅の隣、鵜杉駅を過ぎると「森のふれ愛ランド」につながる赤い吊り橋が見えました。
そして間もなく瀬見温泉駅(瀬見からの改名)に到着。
ここ瀬見温泉は、源頼朝の追っ手を逃れ、平泉に向かう途中、義経・弁慶一行が通った際、身重の北の方が急に産気づき、義経の子「亀若丸」が誕生し、その産湯を探しに弁慶が山を下ってくると岩陰から立ち昇る湯煙を発見し、薙刀でそこを掘るとお湯が湧き出てきたと「義経記」に記されていることで、義経、弁慶伝説にまつわるたくさんの史跡、名所があるところです。
瀬見温泉駅を出て間もなく、最近見ることが少なくなった養蜂箱がありました。
東長沢駅、長沢駅、南新庄駅と過ぎると、左手に奥羽本線が迫って来ます。
山形新幹線の車両が見えてくると、間もなく終点新庄駅。
新庄駅には定刻11時9分の到着。
新庄駅は奥羽本線上を走るミニ新幹線である山形新幹線の終着駅です。そのため奥羽本線は福島駅から新庄駅までは、新幹線車両が走行できるようにするため、新幹線と同じ軌間(レール幅)1,435mmですが、ここから先秋田までは在来線の軌間1,067mmのため、同じホームでも途中で線路が切れていました。
新庄駅では、奥羽本線11時12分発秋田行に乗り換えました。
途中には、難読駅名の及位駅。
東洋一と言われた院内銀山はすでに閉山していますが、院内駅に隣接する資料館「院内銀山異人館」には、銀山関係の文献、写真、絵図などのほか、岩井堂洞窟出土の土器や石器、縄文時代の人びとが岩陰を生活の場としている様子を描いたジオラマを展示されているとのことです。
小野小町生誕の地と言われる湯沢市小野にある横堀駅はホームには、小野小町と深草少将をかたどった記念写真用のパネルが設置されていました。
湯沢駅のホームには、夏なのに冬に行われる「湯沢犬っこまつり」の記念写真用のパネルが設置されていました。
北上線への乗換駅、横手駅には12時38分の到着。
1時間ちょっとの待ち合わせ。昼食は「横手やきそば」。
横手駅からは、北上線13時54分発北上行に乗り、終点まで行きます。
至る所で痛んだ木製の枕木がコンクリート製の枕木に交換されていました。
ゆだ高原駅手前が秋田県と岩手県の県境です。
列車は2両編成ですが、各車両4~5人と閑散としています。
ほっとゆだ駅は、かつては陸中川尻駅。
温泉施設「ほっとゆだ」に駅が併設されているのか、駅に温泉が併設されているのか分かりませんが、温泉のある駅として有名です。
ほっとゆだ駅を出ると、左手に湯田ダムによってできた錦秋湖が広がります。
名前の通り、秋の紅葉シーズンは景色の良いところのようです。
鉄橋も真っ赤に塗られていました。
ゆだ錦秋湖駅を過ぎ、和賀千人駅を目指し、急勾配を登っていきます。
和賀仙人駅周辺は、積雪が2mを超える豪雪地帯で、冬には除雪のため終日運休することもある所です。
和賀仙人駅の隣の岩沢駅までは一気に下ります。ホームでは草刈りを一人でやっている方が木陰で休憩していました。
ホーム周辺や、使われなくなったホームなどがきれいに手入れされています。ここは公民館が駅に併設されていることから、このように手入れされているのでしょう。
岩沢駅を出ると、横川目駅、立川目駅、藤根駅と徐々に平坦地となり、江釣子駅に停まります。
ここは現在合併して北上市になっていますが、合併する前は江釣子村といい、岩手県で最も面積の狭い自治体で、約18平方kmに1万人の人口と、人口密度の高い村でした。
柳原駅を過ぎると次は終点、北上駅。定刻15時14分の到着。
ここからは東北本線15時39分盛岡行普通列車で終点盛岡まで行き、盛岡からはIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道17時4分発八戸行に乗り、八戸駅で青い森鉄道19時9分発「快速しもきた」大湊行に乗り換えて帰宅しました。
おしまい
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