旅の窓



平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を多少時間がかかるものの、紹介しています。
日々の生活は、晴耕雨読日記を。

世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅12(完)~帰りも普通列車の旅

2015-01-10 07:59:41 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 通称「北海道洞爺湖サミット」。第34回主要国首脳会議(34th G8 Summit)が、昨年7月7日から7月9日まで洞爺湖町のザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパを会場にして行われた関係で、洞爺の駅も整備され、参加国の国旗が今でも掲げられていました。



 洞爺からは、8時8分発長万部行き普通列車に乗車。


 洞爺を出て豊浦までは、複線なのですが離れて通っているので、単線のように見えます。
 6つのトンネルを抜けたところがイチゴの産地で有名な豊浦。
 さらに2つのトンネル抜けると大岸。次もまた2つのトンネルを抜けて、礼文。


 そして、新礼文華山トンネルを抜け、次のトンネルとの間に、小幌駅があります。
 この小幌駅は秘境駅の一つで、人家も道もなく、海岸におりる細い道だけというところです。



 小幌を出ると、トンネル、またトンネルと、多くのトンネルを抜けると、静狩に着きました。
 ここからは、国道と並走するように一直線に長万部を目指します。


 長万部には8時52分到着。ここで次の列車まで1時間51分の待ち合わせ。
 駅周辺を歩いてあるいえ見てもこれといった時間つぶしをするところもなく、お昼の弁当を調達しました。
 長万部と言えば、かなやの「かにめし」。
 駅近くにある、直売所で購入しました。




 あと2つの弁当は、洞爺で購入した「鮭めし」と「北海ちらし」。
 洞爺の弁当は、昨日予約し今朝受け取った物です。
 サンプルもなく、名前だけで注文したため、受け取ってびっくり。「北海ちらし」には、掛紙がありませんでした。




 今度の列車は、長万部発10時43分函館行き普通列車。この列車は、森から通称「砂原線」を通ります。


 特急列車は通らない線なので、今回初めて通るので、それまでに弁当を食べることにしました。
 八雲にさしかかったところで、「北海道新幹線早期着工」「新八雲駅 設置の実現を」の大看板。


 北海道新幹線は昭和48年に青森から札幌までが整備新幹線に指定され、旭川までが基本計画に追加されていますが、新青森駅と新函館駅の間が平成17年5月に着工され、平成27年開業予定ですが、その先札幌までは、平成32年開業を目指しているもの、未だに着工されていません。
 森を過ぎると、駒ヶ岳回りの函館本線と別れ、東森に停まりました。


 東森の次は、尾白内。尾白内の駅舎は、貨車を改造したものでした。


 掛澗を過ぎ、海岸近くを走り次は、路線名の渡島砂原につきました。
 水産課工場が多いのか、特有のにおいがしてきました。


 渡島沼尻を過ぎ、鹿部に着きました。かつては賑わった駅を思わせる広い構内と駅舎を見ることができました。


 ここから勾配がきつくなり、サミット付近では海が望めるのですが、海と空の区別がつかないのが残念でした。


下ったところが、銚子口。駒ヶ岳の登山口があるところですが、今日はその駒ヶ岳も頂上が雲に隠れていました。


 銚子口を過ぎ、まもなく流山温泉の停車しようとするとき、突然新幹線が現れました。
 北海道新幹線の早期完成を願って置かれたものでしょうか。
 今では見かけない「やまびこ」塗装の200形。塗装もはがれ痛ましい姿でした。


 大沼で、駒ヶ岳回りと合流し一路函館へ。
函館山が見えてくるとあと30分ほど。 
 桔梗のホームには、鉄道好きの子か、一人ホームで列車を見ていました。


 定刻13時26分、函館に着きましたが、びっくりしたのは、乗り継ぎ予定の列車「スーパー白鳥24号」の自由席に並ぶ人の数。2列で100m近く並んでいました。


 座れる見込みもないので、1本遅らせて15時42分発スーパー白鳥30号で帰ることにしました。
 1時間以上並んで座ることができましたが、立錐の余地なしの表現があうほどの込みようで、夕食用に購入した弁当を食べる雰囲気でもなく、結局は帰宅してから食べました。





 今回の2泊3日の旅行は、乗車距離820.3㎞、乗車時間は14時間6分でした。

 おしまい
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世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅11~「道の駅そうべつ情報館i」&「洞爺湖温泉」

2015-01-09 04:00:12 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 最後は、「道の駅そうべつ情報館i」。ここには、壮瞥町の特産のくだもの・野菜などの直売所のほか、観光案内所)、火山とともに生きる町の歴史を知ることができる「火山防災学び館」などが併設されています。
 2階にある火山防災学び館には、有珠山・昭和新山を一望できる展望スペースがあり、そこからは、三松ダイヤグラムと同じように、昭和新山の姿を見ることができます。


 ここまで回ったところで、そろそろレンタカーを返す時刻となり伊達紋別に向かったのですが、途中、駅の後と思われる場所を見かけました。



 地図を見ても、後から調べても、ここに駅があったという記述を見つけることはできませんでした。
 後日、「三松正夫記念館」館長の三松三朗氏に伺ったところ、道路が新しくできる以前の旧道の石垣と川の表示板とのことでした。

 さて、レンタカーを返して、列車とバスを乗り継いで、今夜の宿、洞爺湖温泉にある「北海ホテル」に向かいました。


 修学旅行や老人クラブの旅行でよく利用されるホテルで、施設設備や立地は決して良くはありませんが、安いのが一番。
 そしてここのホテルでなければ、というのが「洞爺サーモンの姿づくり」が必ず出ることです。


 洞爺サーモンとは、ニジマス一種で、ドナルドソン博士によって改良されたことから、「ドナルドソンニジマス」ともいわれます。
 北海ホテルは、洞爺湖温泉で唯一の漁業権を持っているホテルなので、必ず姿づくりがつくのです。
 そして洞爺湖温泉は、来年誕生100年を迎えます。
 普通、温泉の誕生を示す場合、開湯年度を示す事が多いのですが、洞爺湖温泉は1910年(明治43年)の有珠山の小火山、四十三山の噴火活動によって湧出していたことが、三松正夫らの記録で明らかになっているので、誕生年が分かっている珍しい温泉です。
 あまり知られてはいませんが、源泉を突き止め開湯したのは、三松正夫の他、杉山春巳、安西岩吉の計3人で、1917年(大正6年)6月、湖岸で43℃の源泉を発見し、翌月に道庁から利用許可を受け、秋には竜湖館という温泉宿を始めており、これが洞爺湖の温泉旅館第一号だそうです。開湯当初は「床丹温泉」という名前でしたが、後に湖名にちなんで洞爺湖温泉に改名したそうです。
 夕食の後は、今年で28年目を迎える「洞爺湖ロングラン花火大会」。


 「ロングラン」の名にふさわしく、4月下旬から10月の終わりにかけて、毎晩8時45分から20分間に約300発の花火が打ち上げられます。湖に浮かべた船から湖畔を移動しながら打ち上げられる花火と、水面に扇形に広がる水中花火を楽しむことができました。
 北海ホテルの横には、一見「わかさいも」?と思われる彫刻があります。


 これは、わかさいものモニュメントではなく、「とうや湖ぐるっと彫刻公園」の作品の一つで、岡本 敦生 作「地殻・原始の海」です。
 この公園には、洞爺湖を囲むように湖畔に全58基があります。
 この公園を作るきっかけは、1977年に有珠山が大噴火し、再起不能とまでいわれた被害から復興した人びとに、また湖畔のサナトリウムで不治の病だった結核と闘った教員とその家族たちに「生き抜くことのよろこびと尊さを知った体験のメモリアルを残そう」と呼びかけた町長と、それにこたえた人びとの熱い思いだったそうです。
 共通テーマは「生の讃歌」だそうです。

 つづく
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世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅10~その5「新山沼展望公園」&「昭和新山鉄橋遺構公園」

2015-01-08 04:18:41 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 「新山沼展望公園」は、壮瞥町市街地南部の平野部を展望する場所。公園という名前があるが、公園とは呼べない、昭和新山のふもとにある新山沼を見下ろす展望台です。


 緑色の屋根の横綱北の湖記念館と、その西側にある新山沼を展望することができました。
 また、斜面には町道整備で露出した、ドンコロ山や有珠山の火山噴出物を直接みることができました。


 ここから下ったところに、新山沼がありました
 新山沼とは、1943年以降の昭和新山隆起に伴って、壮瞥川が堰き止められできた沼で、壮瞥川は洞爺湖の湖水が流れ出る唯一の川です。


 そばには、両国国技館を模した外観の横綱北の湖記念館が、壮瞥町郷土資料館とともに建てられたいました。


 北の湖は、ここ壮瞥町の生まれの数々の記録を残した大横綱で、記念館には、北の湖の歩みを綴る写真、優勝などの記念品から歴代横綱一覧などの相撲の歴史に関する資料、また、七十手絵図や行司装束、桟敷席など相撲に関する資料を多数展示してあり、中でも圧巻はまず優勝額、国技館にかかっていた大型のものが3枚。またミニチュアは24枚すべてがずらっと並べられていました。

次に訪ねたのは、「昭和新山鉄橋遺構公園」



 国道わきの小さな駐車場から100段ほどの階段をあがった高台に、昭和新山の隆起によって持ち上げられた旧国鉄胆振線の橋脚、橋台が残されています。


 階段を見ると、隆起した高さが分かります。

 
遺構までは、階段がある道と無い道の2つのルートがあります。


 この鉄橋は、壮瞥川を渡っていたもので噴火前は川が流れ鉄道が走る、のどかな田園地帯だったのが、昭和新山の1943年~45年の活動で大地が隆起し、鉄橋橋脚が山腹に残されました。


 橋台は昭和新山とは反対側に傾いている。地盤が単に隆起しただけではなく、傾斜したことを物語っています。


 つづく
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世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅9~その4「有珠山西山火口散策路」

2015-01-07 07:01:30 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 2000年3月の有珠山の噴火によって金比羅火口群とともに誕生した西山火口群。
 その火口群に沿って「有珠山西山火口散策路」が整備され、噴火によって出来た火口や、被害を受けた道路や建物を間近に見ることが出来ます。
 この散策路は北口と南口を結ぶ約2㎞の散策路で、途中に第1展望台と第2展望台があります。駐車場の広さや路線バスが運行されていること、温泉街から近いことなど理由からか、多くの観光客は北口を利用します。
 北口の駐車場に着くと、目の前の道路の陥没と前方の隆起によって地表の水や断層から吹き出した地下水がせき止められて出来た「西山火口沼」と、旧西胆振消防本部兼虻田消防庁舎を見ることが出来ます。旧庁舎は、現在火山資料展示室として使われているそうですが、今回は時間の関係で見ることをあきらめました。



 さて、駐車場から散策路の入口までは、売店が軒を連ねます。金比羅火口で作ったゆで卵だけでなく、温泉卵ならぬ、鶏とダチョウの石焼き卵…


 散策路に入ると、噴火前は下り坂の道路が、隆起によって上り坂になったしまいました。しかも路面は傾き、大地の収縮により縁石やフェンスがゆがんでいるのを見ることが出来ます。また、地割れ。「断層」を見ることも出来ます。
 この道路は町道泉公園線といって、1977年の有珠山噴火のあとに、避難道路として整備された道路だったそうです。




以前は、第1展望台までの枕木ロード沿いは、噴気があちらこちらから出ていて、地温が90度ぐらいと、地面に手を近づけただけで熱気を感じたものでしたが、今では熱気もさほど感じず、植生も回復しつつあって、全体的に緑が多くなっていました。


 それでも、噴火当時の噴石が多数降ったと思われるでこぼこな地面から、噴火の激しさを感じることが出来ます。
 クレーターの中には、今でも多くの噴石が入っているそうです。


 さらに進んで、第1展望台が近づくと、道の周りには街路樹がなくなります。
噴火前には、10m毎に松を植え整備された道路だったそうです。噴石などで枝が吹き飛んだり、地面が熱くなったりして枯れてしまったためだそうです。
 西山火口第1展望台は、修学旅行でよく記念写真を撮る所です。その理由は、ここからいくつかの火口を見ることができること、水蒸気の量が多いこと、生々しい被害状況を見ることが出来ることだと思います。


 第1展望台は町道泉公園線が約70m隆起したところだそうです。
 ここから見える火口の中間には、黒く突き出ている水道管とその近くに工事用の重機を見ることが出来ました。
 その重機は、噴火に伴う地殻変動で水道本管が破裂したため工事をしていた業者が、突然の噴火で重機をおいて避難したためおいて行かれたものです。
 そのほかにも、ゴミ焼却場の煙突や階段のように隆起した国道、電柱や標識なども見ることが出来ます。



 枕木を並べた散策路をさらに進むと、第2展望台に着きます。ここからは、旧虻田市街と噴火湾を望むことも出来ます。
 第2展望台で目を引くのはGPS装置です。太陽電池を利用して、火山の位置と高さを常時観測しています。そばには小さな小屋が建っていて、簡単な説明板も設置してあります。


 また、真下には被災したわかさいも泉工場を見ることが出来ます。直下で地殻変動が起きたため、建物がよじれて壊れていることが分かります。
 第2展望台から下ると、南口に着きます。北口と違って南口は交通の便が悪いので、多くの人たちは、ここで今来た道を、北口に戻ります。
 中には、南口まで一度降りて、再び登って北口に行く人もいます。
 今回は、私たちもここで引き返しました。
 以前修学旅行で、南口から北口まで歩いたことがありました。
 北口から第2展望台までは、噴火による自然の変化を中心に見ることが出来るのに対して、南口から第2展望台の間には、道路の隆起した高さに驚き、噴火で埋まったアパート、壊れた工場、そして天井や壁に穴の開いた幼稚園跡など、噴火による生活被害を間近に見ることが出来ます。
 この西山火口散策路を歩くたびに、火山噴火のエネルギーのすごさと自然の生命力のすばらしさの両面を学習するのに適したところだといつも感じています。
 今回は2年ぶりでしたが、天気のせいか水蒸気の量が少なくなっていたのと、草が生え緑が多くなっていたことから、噴火エネルギーのすごさをより自然の生命力のすごさを感じさせるところとなっていました。
 さて,ここまでは修学旅行でも何度か訪ねた,有珠山噴火に関する主なところを回ってきました。
この後は,修学旅行のルートから外れた所にある,昭和新山誕生に関係するところに行くことにします。

 つづく
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世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖の旅8~その3「火山科学館」&「有珠山金比羅火口災害遺構」

2014-12-30 06:20:55 | 世界ジオパーク&シルバーウィーク 洞爺湖
 「火山科学館」と思って入ったら何か違う。慌てて外に出てみたが…、ここは何?
 もう一度入った。やっぱり違う。


 お姉さんの「いらっしゃいませー」
 修学旅行で何度も訪れたはずなのに…何か違う。
もう一度外に出て建物を見たら、建物についているマークが違えば表示も「北海道洞爺湖サミット記念館」「洞爺湖観光情報センター」
サミット記念館が出来たのは新聞か何かで知っていたが…火山科学館が無くなったの?
お姉さんに聞いたら金比羅火口の前にできた「洞爺湖ビジターセンター」に新しく併設されとのことでした。


 以前の火山科学館は、1977年の噴火の記録を中心に、2000年の噴火記録を新たに加えた展示でしたが、新しい火山科学館は1977年の噴火体験室はあるものの、2000年の噴火記録を中心とした展示に変わっていました。


 しかし、ビジターセンターでは洞爺湖の成り立ちや自然を知ることが出来るので、今まで以上に学習の範囲が広がったと思いました。



 でも、修学旅行では駆け足の見学になり、ビジターセンターまでは見ないな。
 ちなみに、ビジターセンター部分は無料。火山科学館は一般の大人は600円の協力金という名の入館料が必要です。(修学旅行では270円かな)
 さて、次は火山科学館の裏手にある「金比羅火口災害遺構」に行こう。
 ここは一番新しい2000年の噴火遺構。
 同じ2000年の噴火の遺構である、「西山火口散策路」が、火山学習の教材として生かすために先に整備されたのに対して、ここは金比羅火口から流れ出た泥流によって、洞爺湖温泉街が大きな被害を受けたことを忘れないようにと整備されたところです。


 散策路が整備されていて、被害を受けた町営浴場、町営住宅、流失した国道の橋を間近で見ることが出来ます。
 今回は、時間の関係で散策路は歩きませんでしたが、案内板の解説が充実していて、それを読むだけでも結構時間がかかりました。





 ここでちょうどお昼になりました。
 サミット記念館の斜め向かいに、ちょっとおしゃれな外観に「幌加内そば」ののぼり。


 「幌加内」に誘われました。幌加内は北海道北部にある町で、そばの作付面積・生産量とも全国一。
店の名前は「そば蔵」。期待通りのおいしいそばでした。

 つづく
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