旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

旅の小窓~大井川鐵道1

2015-05-08 05:04:39 | 旅の小窓
 平成26年8月17日大井川鐵道に乗ってきました。
 大井川鐵道は、静岡県にある私鉄で、金谷駅・千頭駅間39.5kmの大井川本線と、その先千頭駅・井川駅間25.5kmの井川線があります。大井川本線はほぼ毎日蒸気機関車の運転で知られ、井川線は日本唯一のアプト式鉄道として知られ、南アルプスあぷとラインという愛称が付いています。


 大井川本線金谷駅は、JR東海道本線金谷駅に隣接しているため、乗り換え口も設けられています。


 JR金谷駅前のロータリーには、「ユメオン 夢音」のモニュメント。「バラが咲いた」「山の音楽家」「よろこびの歌」「富士山」など20曲の鐘の音が、四季毎に変わり2時間毎に流れているそうです。



 暗雲立ち上る。これから、井川まで標高にして約600m登っていきます。山の天気が気になります。
 すでに、先週から今週に延期となった大井川大花火大会が、大井川増水のため来週に再延期となったとの張り紙もありました。


 大井川鐵道金谷駅は、JR金谷駅の横にこぢんまり建っています。


 駅の中には売店が有り、お土産やグッズが販売されていました。


 公式ガイドブックなるものも売っていたので購入しました。


 井川線の終点まで行くのでフリーきっぷを購入。


 平成26年から「きかんしゃトーマス号」が運転されているため、小さな子ども多い中、「しずおかコーラ」を手に、入線してきた電車をマニアも。


 大井川鐵道に在籍している電車は、すべて元私鉄の車両で今回乗車する電車21000系2両編成、元南海高野線の急行用車両で、転換クロスシートが残されていました。



 9時1分、定刻に金谷駅を出発。一番前のかぶりつきは、やはり子どもの指定席。 


 5分ほどで、新金谷駅の到着。この後運転される「きかんしゃトーマス」が準備中でした。


 新金谷駅を出発し、代官町駅、日切駅、五和駅と過ぎて、神尾駅手前で大井川が見えてきました。これから先、この大井川に沿って電車は進みます。


 神尾駅にはホームの端と線路沿いに狸の置物がありました。



 福用駅、大和田駅と過ぎ旧川根町の役場があった家山駅に着く頃には、とうとう雨が降ってきました。


 家山駅止まりの臨時のSL列車が運転されることもあるので、蒸気機関車用の給水塔もありました。


 抜里駅の次は、川根温泉笹間渡駅。川根温泉の最寄り駅ということで、笹間渡駅から改名した駅です。


 次の地名駅までは、大井川が左右に蛇行するため左右に見えてくるのですが、こちらも2.9kmの距離で標高が48m高くなります。



 地名駅の千頭よりには、「なにこれ珍百景」でも紹介された、長さ11mという日本一短いトンネルが見えます。


トンネルを上手く撮ることができませんでした。


 次の塩郷駅を出ると、これも旅番組などで紹介されることの多い、大井川に架かる長さ220mの吊り橋が見えます。


 下泉駅では、元近鉄の特急電車用16000系と交換です。


 下泉駅を過ぎたところの大井川には、台風で増水したときの上流からの流木が残っていました。増水の規模の大きさが想像されます。


 次の田野口駅は、開業以来の昭和時代の雰囲気を残す木造駅舎で、映画やドラマのロケ撮影誘致のため駅舎等の補修を行い、開業当時の姿に復元整備したそうです。


 隣の駿河徳山駅も木造平屋瓦葺の駅でした。


 次の青部駅からは、廃校が見えます。最近まで大学の研修施設として使われていたようです。


 崎平駅を過ぎ、大井川本流に架かる4番目の鉄橋を越えると間もなく終点、千頭駅です。


 千頭駅では5分の待ち合わせで、10時19分発井川行きに乗ります。
 井川線は大井川に沿って山間を縫うように走るため、約3分の一がトンネルと鉄橋で占められています。
 元々大井川電力の専用線として開通し、沿線に民家は非常に少なく、利用者の多くは観光客です。
 元々の軌間は762mmで建設されたそうですが、ダム工事の資材等のため、貨車を直通させるために1067mmに軌間を広げたそうですが、トンネルなど開通当時のままなので車両もそれに合わせて小さいものが使われています。
 井川方面に向かうときは、機関車が後について押し上げるよう進みます。


 大井川に架かる橋の下をゆっくり進みます。


 川根両国駅出ると両国吊り橋が見えます。川を境に遠州と駿河の国を結ぶことから、領国という名前が付いているようです。


 列車は徐々に高度を上げていきます。


 4つのトンネルを通り、沢間駅に到着。かつて川根電力の索道と寸又峡方面への森林鉄道が出ていたところだったので、校内も広く駅舎もそれなりの物が残っていましたが今は無人駅です。


 今でもここに住んでお茶の栽培をしている農家もあるようです。


 寸又川と横沢が一緒に大井川と合流する三叉峡にかかる鉄橋を渡り、更に登っていきます。




 土本駅からは、鉄道少年団の一行が乗ってきました。


 大井川が下に見えるようになってきました。


 川根小山駅。待合室が新しいことから周辺に人家があることが予想されます。


 ここもお茶を栽培している農家が住んでいました。


 次の奥泉駅は有人駅。唯一、駅らしい駅でした。


 遠くに泉大橋が見えてきました。列車はあの橋の下をくぐり抜け、アプトいちしろ駅に向かいます。



 アプトいちしろ駅と長島ダム駅の間はアプト式区間です。


 車輌の最後にアプト式の機関車を付けます。


 線路の真ん中に、今までなかったアプト式の歯車を受ける歯形になったレールが見えます。


 見るからに高度が上がっていくのが分かります





 列車の窓枠と長島ダムを比べると、勾配のきつさが分かります。


 約8分で長島ダム駅に着きました。


 今押してきた機関車は、今度は次に来る千頭行の先頭について下っていきます。


山の天気の移り変わりは激しく、一時豪雨になりました。


 行き違い列車が遅れたため、10分ほど遅れて出発しました。
 ひらんだ駅を過ぎ、平田トンネル抜けると赤い鉄橋の第三大井川鉄橋、別名レインボーブリッジにさしかかります。


 橋の上から左手に、水没を免れた旧線跡を見ることができます。


 ダム湖である接岨湖に尾根が張り出しているところが有り、そこに奥大井湖上駅があります。


 ここで降りるマニアもいれば、観光客なのか地元の人なのか分からない4人が乗ってきました。


 駅の出入口は接岨峡温泉側の鉄橋に併設されている歩道で渡り、階段でトンネルの上に行き、更に山道を20分ほど歩くと、駐車場があるとのことです。


 接岨峡温泉駅。温泉は接岨峡大橋を渡った対岸にあります。


 接岨峡温泉駅を出ると更に高度も上がり大井川から離れた山の中を進みます。 



 着いたところは尾盛駅。自動車の通れる道がないところで、かつては木材の積み出しの駅として栄えていたそうです。


 次の閑蔵駅との間には、大井川に流れる関の沢川にかかる関の沢橋梁があります。ここは水面から100mの所に有り、私鉄では一番高いところから眺める名所です。

 
 終点の一つ前の閑蔵駅で列車交換。


 案内板にもあるとおり、ここから終点までの一駅間に、井川線全トンネル61カ所のうち20カ所あるそうです。




 井川ダムが見えてくると間もなく終点井川駅。途中の遅れを回復して定刻12時6分の到着。


 千頭駅から25.5kmを約1時間50分かけて登ってきた旅も終わりました。


 帰りは、またひと味違った旅が…  つづく

旅の小窓~札沼線

2015-05-06 04:56:54 | 旅の小窓
 平成27年2月14日午前6時過ぎの札幌駅。これから、札沼線に乗ります。


 札沼線とは、札幌市の桑園駅と雨竜郡沼田町の石狩沼田駅を結ぶ鉄道として昭和10年に開通しましたが、昭和47年に赤字のため石狩沼田駅と新十津川駅の間が廃止されました。路線名はそのまま札沼線となっていますが、平成3年に「学園都市線」の愛称が付けられました。
 桑園駅・北海道医療大学駅間は平成24年に電化されたためすべて電車、石狩当別駅・十津川駅間を走る列車は気動車となるため、必ず石狩当別駅で乗り換えなければ、新十津川駅までは行けません。


 6時20分発、石狩当別行に乗ります。


 土曜日の1番列車ということもあってか6両編成の電車は、各車両2、3人の乗車です。


 札幌駅を発車した電車は隣の桑園駅を過ぎたところで函館本線と分かれて札沼線に入ります。右手には新しくなって札幌競馬場が見えます。


 八軒駅、新川駅、新琴似駅までは複線高架区間。比較的新しい住宅地でのためか、校外で見かける三角屋根の住宅はほとんど見られません。


 平地区間に入って太平駅、百合が原駅、篠路駅、拓北駅と進むと、駅周辺は新興住宅街でその周りには農地が広がるという景色になってきます。



 あいの里教育大駅。「あいの里教育大学」という大学は存在しません。ニュータウン「あいの里」の中心にあり、北海道教育大学札幌校の最寄り駅でもあることから付いた名前のようです。ここからは単線になります。


 あいの里公園駅と石狩太美駅の間には、北海道最大の河川の石狩川が流れていて、そこに架かる石狩川橋梁は道内一の長さだそうです。
 鉄橋の両側には風よけが設置されていて石狩川を見ることができないのは残念です。


 石狩太美駅・石狩当別駅間は、札沼線の中で駅間距離が最長となる区間で、両側は雪一色。


 間もなく石狩当別駅到着。新十津川方面へはここで乗換えとなります。
電車の中にあった札幌近郊路線図には、同じ札沼線でありながらこの先新十津川駅までの区間は書かれていませんでした。


 石狩当別駅には、定刻6時59分に到着しました。


 石狩当別駅のある当別町は、仙台は岩出山の領主が家族と家臣を率いて入植し開拓したところだそうです。その大きな橋上駅には、町内にある北海道医療大学の掲示板がありました。掲示板を囲むのは、町の木「白樺」と町の鳥「フクロウ」。


 
 当別高校の掲示板もありましたが、なぜかパンダが。


 駅の階段や駅前の案内板にも「フクロウ」。



 岩出山の領主が拓いたところということで、岩出山のある大崎市とは姉妹都市となっているようで、臨時列車のヘッドマークも飾られていました。


 次の列車まで少々時間があるので、札幌駅で購入した駅弁の朝食。





新十津川行きの列車は1日3往復だけ。その始発列車7時45分発に乗ります。


 改札口には、過去に行われた「北海道デスティネーションキャンペーン」のキャッチフレーズ「はなたび北海道」にちなんだ、当別高校製作の花の駅長さんが今でも飾られていました。


 一両の車輌で、8人を乗せて発車しました。


 北海道医療大学の大きな看板が見えてくると、間もなく北海道医療大学駅。ここまでが電化区間です。



 ここから列車は、国道275号と並行して進みます。


 石狩金沢駅は、貨車の再利用駅。


 途中、よく見る「パン」の赤い看板が。店の名前は「ノルトエッセン」。


 このあたりから左側には山が迫ってきて丘陵地帯に入ります。本中小屋駅、中小屋駅、月ヶ岡駅と停まり、知来乙駅に着きます。「チカン・変質者に注意!」と大きく書かれた看板が目に付きます。


 次の石狩月形駅には8時17分に着いて、8時40分の発車です。


 ホームからは、月形樺戸博物館が見えます。NHK大河ドラマ「獅子の時代」の舞台にもなった、樺戸集治監に関する博物館で当時の建物もいくつか残されているようです。


 信号機には、吹雪でも雪が着かない工夫も見られる北海道特有の物です。


 上り、石狩当別行の列車を待って定刻の出発です。


 次の豊ケ岡駅はホームが沢の崖の所に有り、待合室が少し離れた道路沿いにありました。秘境駅ランキングでも上位に入る駅で近くに人家もみえませんが、ホームがきれいに除雪されていることから、それなりに利用客がいるようです。



 豊ケ岡駅からから丘を下ると、再び開けてきます。


 次の札比内駅を出て間もなく右に大きなな銅像が見えてきました。列車からは後ろ姿しか見えませんが、台座に「御臨末の御書」が刻まれているようですから、親鸞聖人の像ではないかと思われます。


 晩生内駅はかつて交換駅であったことをうかがわせるホームのと、駅舎もそれなりのものが残っていました。


 次の札的駅は、古い木造モルタル待合室があるだけの駅でした。


 その次の浦臼駅は対照的に、「ふれあいステーション」という立派な建物でした。
 新十津川までは3往復ですが、ここ浦臼駅と石狩当別駅間には3.5往復の列車が走っています。


 畑の中の鶴沼駅を過ぎ、錆び付いた駅名票の残る於札内駅。


 雪野原を進むため、車窓を楽しめないまま南下徳富駅、下徳富駅と過ぎ、いよいよ終点新十津川駅です。


 今は終着駅ですが、新十津川駅・石狩沼田駅間が廃止までは単なる通過駅だったため線路が1本しかない駅に定刻9時28分に到着しました。


 駅では4人の子どもが遊んでいました。正しくは、お出迎えです。


 絵はがきをもらいました。4人の子どもに対して降りたのは3人。一人の子があげることができないとべそをかいていましたが、渡すことができたらみんなと仲良く遊んでいました。



 駅舎の中にはスタンプも置かれていました。途中の石狩当別駅、石狩月形駅にもありましたが、デザインが同じで味気ない物でしたが、ここのは従来のスタンプでした。




 駅前には、立派な空知中央病院がありました。


 向には、「おやすみどころ寺子屋」。立ち寄ってみたかったのですが、ここから滝川に出るバスの時刻が分からないので、とりあえずバス停を探すことにします。


 新十津川役場のバス停とうことしか分からないので役場を目指しました。


 役場の前を左に曲がったところにバス停を発見。間もなくバスもきて、無事滝川に向かうことができました。


 札沼線の旅はおしまい

旅の小窓~三陸2014 鉄道の旅

2015-05-04 07:06:31 | 旅の小窓
 平成26年7月19日から2泊3日の日程で、三陸鉄道周辺を中心に回ってきました。
 今回使った切符は、3日間と今まで一番短い期間だったので「北海道・東日本パス」や「青春18切符」ではなく、「あおもりホリデーパス」と三陸鉄道ファンクラブの「1日フリー乗車券」、あとは普通乗車券を組み合わせての旅でした。



 1日目は、自宅からから釜石まで。
 雨模様の中、6時19分発の青い森鉄道八戸行で出発!


乗った電車は、3月15日デビューした「青い森703系」


 三沢付近では、太陽が姿を現しそうでしたが…


 八戸からは、JR八戸線7時12分発久慈行に乗りました。


 八戸から乗った園児達。種差海岸で降りました。


カメラマンが駅でお出迎え。この光景去年も見ました。思い出遠足でしょうか。


 9時2分久慈駅到着


次の列車まで1時間半近い待ち合わせ…町をぶら~り。道の駅くじ やませ土風館へ。


青森県で探しても見つからなかった切符カット。見つけました!!!道の駅に入っている全日食チェーン こしど久慈店で。1個98円が、三陸鉄道の190円切符に変身!  



 取り壊しが決まっている「あまちゃん」に登場した「久慈駅前ビル」。ドラマでは「北三陸市観光協会」が入居していました。


 駅前の「大判小判」では、北いわての匠、四作雄治さんが昆布の手削りを実演していました。


 久慈からは、三陸鉄道北リアス線10時31分発宮古行に乗車。


 三陸鉄道久慈駅では、列車の出発に合わせて、大漁旗を手にした海女さん姿のお姉さんがお見送り。


 途中の陸中野田駅で下車。ここは塩作りが有名。


 名物 塩ソフト


昼食は、「道の駅のだ」にあるレストラン「ぱあぷる」で野田村特産の南部福来豚を特製の自家製ダレで焼いた「焼肉定食」。


「道の駅のだ」と「陸中野田駅」が一緒なため、2階にある「ぱあぷる」から、列車を見ることが出来ます。


 12時28分、再び三陸鉄道北リアス線宮古行に乗車。天気が悪いので、予定していた田野畑駅で下車して北山崎に行くのは取りやめて、釜石に直行することにしました。


 安家橋梁から海手


 安家橋梁から山手


 北リアス線で最後に復旧した島越駅


 平成14年「東北の駅百選」に選ばれた島越駅舎と同じようなドーム型の駅舎が復旧。


 宮古駅には13時54分到着


 宮古駅から先、釜石駅まではJR山田線。まだ復旧作業も始まっていないので、15時15分発岩手県北バス田の浜行に乗り換え。


 牡蠣の養殖筏か復活した山田湾


 山田町の中心街には未だに被災した建物がそのまま残っていました。


 駅舎は流されたものの、鉄橋だけが残っているJR山田線鵜住居駅付近。


 釜石市天神町にある仮設団地13号棟


 17時28分、釜石駅前に到着


 2日目は、釜石から大船渡までです。
 朝から雨。写真中央に見えるのが泊まった、安いのが取り柄の「釜石ステーションホテル」


 釜石駅のホームには、今年春から運転されている「SL銀河」の車両が停まっていました。


 9時1分発JR釜石線花巻行きで上有住駅に向かいます。


 釜石駅を出発して間もなく左手に「SL銀河」用蒸気機関車C58 239が車両と同じデザインの機関庫の中にいました。


 9時32分山間にある上有住駅に到着。


 ここに来た目的は、鍾乳洞「滝観洞(ろうかんどう)」。


 入館料を払い、ヘルメットをかぶり、長靴に履き替えてから中に入ります。途中かがみながら進むところが何カ所も有り、まるで洞窟探検のようです。


 入口から約900m進んだ一番奥に、「天の岩戸の滝」と言われる落差29mの洞窟の中にあるものとしては日本一の滝がありました。
 雨天が続いたせいか、水量がとても多かったです。ここに行くなら、雨合羽が必要です。


 昼は滝観洞名物の「流しそば」


 11時28分の列車で釜石に戻ります。


 釜石に戻って向かった先は、釜石観音を真後ろから望む、高台にある「鉄の歴史館」。



 館長(右)・副館長直々に教えていただいた金属鋳造体験。


 材料費一人100円。約40分で完成した、金属鋳造体験で作ったキーホルダー。


 再び釜石駅の戻りました。三陸鉄道釜石駅内にはジオラマもあります。


 釜石発14時11分発三陸鉄道南リアス線盛行に乗車。


 甫嶺駅付近


 ホタテ貝の絵馬で知られる「恋し浜駅」


 JR大船渡線は、鉄路ではなく、BRT(バス高速輸送システム)での復旧をしているため、終点の盛駅の大船渡線ホームは道路になっていました。


 三陸鉄道盛駅


 3日目は、大船渡から野辺地までです。
 3日目になって青空になりました。



 2泊目は、海岸にあった旅館が被災し、内陸にホテルとして再出発した「大船渡インター ホテル椿」に泊まりました。


 ホテルの朝定食。元旅館だけあってバランスの良い定食でした。


 ホテル前の「町場」バス停、8時41分発岩手県交通バス碁石海岸行きに乗車。


 大船渡市街地


 以前の面影全くない大船渡線細浦駅前。


 碁石海岸 雷岩と乱曝暴谷(らんぼうや)


 碁石海岸からタクシーで大船渡線「碁石海岸口駅」に出て、11時2分発大船渡線BRT気仙沼行に乗車。


 陸前高田市街地は目に見えて復旧とは言えない現状。


 奇跡の一本松周辺には、土地のかさ上げや造成のための土を運ぶコンベヤーが作られていて、一本松がバスから見えなくなっていました。


 気仙沼港に並ぶ真新しい漁船。


 気仙沼市街。


 11時59分気仙沼駅到着。


 気仙沼駅も一部線路が気仙沼線BRT用道路に変わっていました。


 気仙沼12時19分発一ノ関行に乗車。


 気仙沼駅を発車すると、大船渡線のBRT専用道路が並行しています。ポイントが途中で切られ、かつては同じ鉄路であったことがわかります。


 列車は、室根山を右に見て登っていきます。


 13時11分、猊鼻渓駅に着きました。


 約90分の猊鼻渓船下り。


 船下りとはいうものの、実際は大猊岩のあるところまでの往復。

 
 猊鼻渓駅は無人駅。待合室には列車の運行状況が分かるモニターがありました。


 猊鼻渓17時10分発JR大船渡線一ノ関行に乗って一路帰路に。


 一ノ関からは18時40分発「はやて369号」。臨時列車のため、E2系で新青森まで運転。


 おしまい。

夜桜・草蘇鉄・恋々

2015-05-02 10:51:31 | 日記
 大型連休後半の週末、十和田市に行ってきました。
 年々桜の開花が早くなり、すでに葉桜となっていました。
 以前ならこの時期でも、こんな夜桜をまだ見ることができたのですが…


 そこで花より団子ではないのですが、男4人で恋々へ。
 桜は散って夜桜を見ることはできなかったのですが、今が旬の「草蘇鉄(クサソテツ)」の若芽のベーコン巻きが出てきました。
 「草蘇鉄」と聞けばどんな食べ物と思われる方もいるでしょうが、「コゴミ」のことです。それでも分からない方はお早めに「恋々」へどうぞ。

旅の小窓~札幌発大阪行きトワイライトエクスプレス~

2015-05-02 09:42:40 | 旅の小窓


 平成26年11月14日札幌発大阪行トワイライトエクスプレスのロイヤルに乗車しました。
 2部屋しかないスイートがだめならと、8部屋あるロイヤルにランクダウンして申し込んだところ、旅行社が取ってくれました。


 13時50分苗穂方面から、4番線に入線してきました。


 部屋には一人がけの椅子と、ベット兼用の椅子。


 テーブルの上には、アメニティーとボックスティッシュがすでに置かれていました。


 ベットと反対側には、ミニクローゼット、オーディオ、鏡。


 そして、洗面台とトイレを備えたシャワールーム。





 定刻14時5分札幌駅を出発。ホームの端にはカメラを構えた人たちが。


 発車して10分ほどで、レストランカーのクルーが、ウエルカムドリンクを持ってきてくれました。2人で乗っているのでワインは赤と白両方リクエストできました。列車が揺れて落ちても壊れないようにでしょう、プラスチック製ですが、ワイングラスも付いてきました。


 大阪発の列車は、12時前の発車ということでランチタイムがありますが、札幌発は午後の発車なので、ランチタイムではなく、ティータイムとしてレストランカーが営業を始めました。

ティータイムのメニューです。




 ティータイムの後は、車内散策。
 ロビーカーは窓が広く眺めも良いため、今日も人気で満席です。


 7号車にはミニロビーと飲料の自動販売機



 8号車と9号車の端にある「業務用室」は、レストランクルーの寝室。ここだけは、3段ベットになっているとのことです。


 4号車のサロンカーには、飲料の自動販売機の横に、お菓子とシャワーセットの自動販売機がありました。


 東室蘭を出て間もなく、白鳥大橋の向こうに夕日が沈むところでした。


 ディナータイム前のレストランカーでは、車掌さんが早めの夕食。


 室内には、通路側にも窓が付いているので、海側と山側の景色が室内にいながら眺めることができます。



 16時23分、今日最後の停車駅洞爺に到着。
 上り特急北斗に先を譲り、下り貨物列車とすれ違い。



 前回に引き続き、ディナー券が獲れなかったので、夕食は日本海会席御膳のルームサービス。


 21時30分からレストランカーは、予約なしで利用できるパブタイム。




 パブタイムの頃、青森駅で機関車交換のため運転停車。


 ボタンを押すと、ソファーがベットに変わります。


 翌朝6時20分過ぎ、本日最初に停車した直江津駅。
 北陸新幹線が開通すると、ここ直江津からからJR北陸本線金沢~直江津間は平成27年3月14日以降、石川県内の区間をIRいしかわ鉄道、富山県内の区間をあいの風とやま鉄道、新潟県内の区間をえちごトキめき鉄道が引き継ぐことになっています。


 直江津を出ると左側に、北陸新幹線の高架が迫ってきます。


 青海付近から見える黒姫山。


7時20分過ぎ、泊駅を通過した頃に山陰から朝日が昇ってきました。ちなみにここの地名は、富山県下新川郡朝日町。


 7時30分過ぎ、黒部駅を通過する頃にモーニングサービスのコーヒーが届きました。



 浜加積付近から望む立山連峰。


 富山駅を出て間もなく、左に高山本線が分かれていきます。


 8時20分から、予約していた朝食タイム。


 松任駅・加賀笠間駅間にある、北陸新幹線の白山総合車両所。北陸新幹線が金沢駅までの延伸にとどまっているため、新幹線の車両は金沢駅からこの白山総合車両所まで約10km回送されてきます。


 ロビーカーには、JR西日本の車掌さんの手作りスタンプがおいてあります。


 朝食が済んで部屋の戻ると、朝刊が届いていました。


 加賀温泉通過時に見えた観音様の足下。観音温泉ホテルの看板。やはりここは観光施設のようです。


 北陸本線が杉津駅経由だったころ、敦賀方面への列車は急勾配を上らなければならなかったため、今庄駅で補助機関車を増結していたためかつては機関区もあり、その名残なのかコンクリート製の給水塔だった物が残っていました。


 敦賀では機関車交換。トワイライトエクスプレスの機関車交換の様子を列車から降りてを見ることができるのは、上りの敦賀駅だけです。



 機関車の交換の合間を縫って、機関車の後について架線とパンタグラフによって汚れが飛び散った、1号車スイートの窓カラスの清掃も行われます。


 車掌さんが、シャッターを押すサービス。


 敦賀駅を出ると下り線と交差します


 トンネルを抜けると、今過ぎたはずの敦賀の町が前方に見えてきます。


 今度は、交差したはずの下り線が左手に見えてきます


 疋田駅で、上下線が合流します。


 今通ったところが鳩原ループ線といって、急勾配を緩和するために、長いトンネルを掘るのではなく、大きく迂回するルートです。
 ループ線は上り線専用で、下り線をオーバークロスした直後からループの「衣掛トンネル」に入ります。左に下り線を眺め、再びトンネルに入ると下り線は右車窓に戻り、新疋田駅に到着します。


 近江塩津を過ぎると、北陸本線と分かれて湖西線に入ります。


 左に琵琶湖バレー。


 右に琵琶湖。


 鴨川を渡ると間もなく京都に到着。


 京都駅・西大路駅間で、下りトワイライトエクスプレスとすれ違いました。


 山崎駅の手前には、サントリー山崎蒸留所。


 頻繁に列車とすれ違うようになってきて間もなく大阪。





 12時53分、1,508.5kmを22時間48分かけての旅が終わりました。