旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

天竜浜名湖鉄道の旅6(完)~終着掛川駅まで

2016-08-17 14:52:28 | 天竜浜名湖鉄道の旅
 8分の待ち合わせで、西鹿島16:28発掛川行に乗ります。




二俣本町    16:30着 16:31発
 同じ二俣地区にある天竜二俣駅に比べ駅の規模としては1面1線と小さいのですが、二俣地区中心部に近い駅だそうです。


天竜二俣    16:32着 16:35発


上野部     16:37着 16:38発
 天竜浜名湖鉄道天浜線を最後に蒸気機関車が走ったのは旧二俣線時代の昭和46年3月31日。最後の蒸気機関車の一台が天竜二俣駅に動輪が保存されているC58形200号機。ここの駅名票に描かれた蒸気機関車は、ここで使われていなかったC54形になっていました。
 ホームはきれいに整備されていました。


豊岡      16:40着 16:40発
 豊岡駅は無人駅ですが、商工会館が併設された比較的新しい駅舎のためか、しゃれた駅名票もあります。


 新東名高速道路が見えてくると、敷地駅に到着します。


敷地      16:44着 16:44発
 甘柿の品種の一つ、次郎柿発祥の地が隣の森町ということもあって、ここ旧豊岡村敷地も柿の産地のため、このような看板が建てられていました。
 江戸末期に森町村の農家の松本治郎という人が、太田川の川原で柿の幼木を見つけ、これを持ち帰り自宅に植えたのが始まりだそうです。


 地元の人でしょう、暑い中花壇の草取りをしていました。


 この辺はお茶の栽培も盛んなようで、「三川茶」の茶畑もあります。


遠江一宮    16:49着 16:49発
 ここの遠江一宮駅本屋も登録有形文化財です。遠江一宮駅(とおとうみいちのみやえき)は、静岡県周智郡森町一宮にある天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線の駅。
 国鉄時代は駅名に旧国名の「遠江」が付いた駅がいくつかありましたが、現在唯一「遠江」が付く駅です。


円田      16:52着 16:52発
 円田駅を過ぎ、右手に立派な公立森町病院の建物が見えてきます。


森町病院前   16:54着 16:54発
ここは昨年出来た、天竜浜名湖線内で一番新しい駅です。


 次の遠州森駅で途中下車します。


遠州森     16:56着 
 遠州森駅本屋及び上りプラットホームが登録有形文化財に指定されています。
 説明には次のように書かれてありました。
 木造平屋建の本屋、待合室、駅務室からなる。正面右寄りに切妻造りの車寄せを突出する。南面には当初のベンチが残存し、窓の木製建具には当初の古い歪みガラスが嵌められている。改札口の二枚引き腰付ガラス戸も残っている。この駅舎は、二俣線として掛川から遠州森までの最も早い昭和10年4月17日に開通した3ヶ所の駅の一つであり、当時の駅舎がほとんど改変されずに残った貴重な遺構である。開通当初は、「遠江森」という駅名でした。






 駅前の安合い判を見ると、結構見所があるようです。


 しかし、時間の少ないのと午後5時を過ぎても30度近くあることから、次の列車ませ駅で過ごしました。


 最後の列車は、遠州森17:31発掛川行です。


 下り列車に帽子を忘れたおじさんが、運転士さんと話をしたため3分ほど遅れて出発しました。


 戸綿駅手前の太田川橋梁は登録有形文化財です。
 この橋梁は192mの銅製橋梁で、緩やかな曲線を描いています。河川部に架かる上路鈑桁と道路上に架かる下路鈑桁が1連で構成されているそうです。


戸綿      17:33着 17:33発


原田      17:37着 17:37発


 原野谷川に架かる105mの原野谷川橋梁も、登録有形文化財です。


原谷      17:39着 17:40発


細谷      17:42着 17:43発

いこいの広場  17:44着 17:44発
 桜木駅手前には、二輪免許専門の自動車学校「ヤマハテクニカルセンター」があります。


桜木      17:46着 17:47発
 クリスマスの電飾がそのままになっていました。


西掛川     17:50着 17:50発

掛川市役所前  17:51着 17:51発
 平成8年に掛川市役所の移転に伴い新設された駅です。


 東海道新幹線・東海道本線と並行すると間もなく終着、掛川駅です。




掛川      17:54着


 おしまい

天竜浜名湖鉄道の旅5~遠州鉄道に乗る

2016-08-17 09:09:00 | 天竜浜名湖鉄道の旅
 天竜二俣駅始発の14:42発新所原行に乗り、西鹿島駅まで戻ります。  


西鹿島     14:46着
 西鹿島駅では2分の待ち合わせで電車が出ます。
 地下道を通って、遠州鉄道の乗り場に急ぎます。




 正式名称は「遠州鉄道鉄道線」といい、静岡県浜松市中区の新浜松駅と同市天竜区の西鹿島駅を結ぶ路線です。通称は西鹿島線というほか、赤い電車が走ることから「赤電」とも呼ばれています。 
総延長17.8km、起点・終点駅を含め18駅有り、そのうち16駅に列車交換設備があるため、単線でありながら日中は12分間隔で運行し、新浜松駅・西鹿島駅間を32分で結んでいます。
 1000形の電車です。


西鹿島     14:48発
住宅地の中を進みます。


遠州岩水寺   14:50着 14:50発


遠州芝本    14:52着 14:52発


遠州小林    14:54着 14:54発

美薗中央公園  14:56着 14:56発
 交換設備のない2つの駅のうちの一つ、がここ美薗中央公園です。


 駅間距離が短いので2分ほどで次の駅に着きます。次の浜北駅でも、列車交換です。交換となる電車が駅に入るのが見えます。


浜北      14:58着 14:58発

遠州小松    15:00着 15:00発

遠州西ヶ崎   15:02着 15:02発
 駅北東に側線があり、ED28形電気機関車と、ホキ800形貨車3両が留置されていました。側線の有効長の関係から、貨車は1両と2両に分割して留置されています。
 かつてはここに車両工場が存在したそうですが、西鹿島駅に移転した今は、留置線と保線基地としての機能が残っているようです。


 鉄道も道路と同じで左側通行が原則なので、交換列車が右側になるはずなのですが、ここでは左側になっています。


積志      15:04着 15:04発

さぎの宮    15:06着 15:06発

自動車学校前  15:08着 15:08発
 自動車学校前駅を出ると、終着まで高架を進みます。
 浜松駅前のアクトタワーが遠くに見えます。


上島      15:10着 15:10発

曳馬      15:12着 15:12発

助信      15:14着 15:14発

八幡      15:16着 15:16発
 車両が赤いことから「赤電」として親しまれる遠州鉄道西鹿島線ですが、1年間限定で青色にラッピングした2000形の「青電」がやってきました。
 この電車は、地元の自動車部品メーカー「ユタカ技研」の創立30年を記念したイベントで、同社の企業カラーの青色に全面ラッピングした車両だそうです。


遠州病院    15:18着 15:18発
 18駅中6駅の正式名称に「遠州」が付きましが、近隣の病院名が由来の遠州病院駅を除き、各種表示や車内放送では「遠州」を省略しています。


第一通り    15:19着 15:19発

新浜松     15:20着
 終着に到着しました。


 反対側のホームには、30形モハ51-クハ61編成が停まっていました。


 新浜松駅は2階が改札口、3階がホームになっていて、遠鉄百貨店本館とは2階の連絡通路でつながっています。


 JR浜松駅を挟んだ反対側には、高架から見えたアクトタワーがそびえています。
 静岡県内でもっとも高いビルであるアクトタワーの外観は、音楽の町・浜松を意識して、ハーモニカをモチーフにしています。


 新浜松駅15:48発西鹿島行で戻り、天竜浜名湖鉄道の旅を続けます。   


 つづく

天竜浜名湖鉄道の旅4~天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅 転車台&鉄道歴史館見学ツアー

2016-08-16 14:43:19 | 天竜浜名湖鉄道の旅
 昼食後、西村京太郎作品「生死を分ける転車台-天竜浜名湖鉄道の殺意-」の舞台となった「転車台」を間近で見ることができるツアーに参加します。






ツアー料金は、天浜線を利用していくと200円です。




 駅舎に集合し、富田さんの案内でツアーが始まりました。


 駅構内を横断し、一端一般道に出ます。




 列車が迫ってくるのを正面から見ることはなかなかありません。


 まず最初に見学したのは国の登録有形文化財に登録されている、運転区高架貯水槽。
 高架貯水槽としては珍しい鉄筋コンクリート造。蒸気機関車が走っていた時代に機関車に水を供給するための水槽で、容量は70トン。現在は役目を終え使用されていないシンボル的な存在とか。
 貯水槽の製作時期に関しては、明確な資料が残されていないそうですが、昭和15年に天竜二俣駅及び運転区・工務区の全景を写した写真に高架貯水槽も写っていることから、開業に間に合うように作られたもののようです。
 なお、橋脚の高さ3メートル94の位置まで耐震補強が昭和19年の東南海地震後に施工されたことが分かっているそうです。


 このあと、再び駅構内に入ります。


 左の建物も、運転区事務室・休憩所として使われている登録有形文化財。


 右には、現在も使われているトイレ洗濯場とかつて使われていた浴場があります。


 浴場には、過去に使われたヘッドマークが置かれていました。


 脱衣所だったところには、昭和39年の運賃表が貼られていましたが、天竜二俣駅ではなく、尾名駅のものでした。


 二つの建物の間を通り抜けると、扇形車庫と転車台が姿を現します。


 扇形車庫は木造平屋建、波形ストレート鉄板葺で、建設当時は6線分の格納が可能だったようですが現在は4線分に切り縮められています。総木造で庫内に下る柱を少なくするために力強い架構を持っています。


扇形車庫に附属する施設は、鉄道歴史館として国鉄二俣線と天浜線の貴重な鉄道関連の資料・部品を展示しています。


 タブレット閉塞機。


日付印字機と改札鋏。


 最近まで使われていた信号器とポイントの連動装置。


 駅名票や腕章。


 乗車券保管箱。


 本当に色々な資料が有り、ゆっくり見たいのですが…、45分間のツアーと時間が限られているのが残念です。




 西村京太郎先生もこのジオラマをみて、作品の構想を練ったのでしょうか。


 中川礼二さんが、平成24年の天浜線フェスタの際に1日駅長を務めた記念の品も展示されていました。


 ツアーの最後が、転車台でした。実際に車両を乗せて、方向を変える作業を見せてくれました。






 転車台の狭い四角い運転台には、「生死を分ける転車台-天竜浜名湖鉄道の殺意-」のクライマックスに出てくる「大きな石三つ」が実際にありました。


 転車台の前には、蒸気機関車C58 200号機の煙室扉とナンバープレート、動輪が展示されていました。
 この機関車の特徴は、左右のデフレクターの形が違うことで有名でした。


 日本の原風景がここにもありました。


 次は、遠州鉄道に乗るため西鹿島駅まで戻ります。

 つづく

天竜浜名湖鉄道の旅3~気賀駅から天竜二俣駅へ

2016-08-15 15:55:04 | 天竜浜名湖鉄道の旅
気賀      11:59着 11:59発


岡地      12:01着 12:02発
 岡地駅は気賀高校閉校に伴い「気賀高校前駅」から、昨年改称された駅です。


 この辺は、果樹園が続きます。


金指      12:04着 12:12発
 金指駅上屋及びプラットホーム、金指駅高架水槽が登録有形文化財に指定されています。
 説明には次のように書かれてありました。
 木造平屋建、切妻造、波形スレート葺の旅客上屋とプラットホームが一体となっている。
 妻面の上部は縦板目板張りと腰横板張り。乗降場中央に、傾斜した柱を立てて三角形を形成する構造体を三組設置している。その上部は全線開通8年後の昭和23年に建設された。一方、高架貯水槽は鉄筋コンクリート造。4本のRC造脚の上に、外径4メートル、内容量18トンのRC造の貯水槽が載る。貯水槽の頂部は円形。中央に鉄骨が残っており、基礎部には揚水ポンプがつけられていた跡が残っている。明確な資料は残っていないが駅の開業した頃にこの貯水槽も完成したと考えられている。
 金指駅は、すでに廃止となった遠州鉄道奥山線と交差したり、住友セメント浜松工場への専用線もあったりしたので、その面影がまだ残っていました。




 車内には、愛知大学・常葉大学の学生が提案する「天竜浜名湖鉄道沿線の旅」マップ配信中!の広告がありました。
 その常葉大学浜松キャンパスが見えてくると、常葉大学前駅に着きます。


常葉大学前   12:16着 12:16発
 駅と言っても、単式ホーム1面1線の駅舎のない無人駅です。
 常葉学園浜松大学時代は「浜松大学前」という名称でしたが、大学名が常葉大学となったのに合わせ改称したようですが、学生が多く利用しているようにな感じのしない駅でした。


都田      12:19着 12:19発
 駅舎には「都田駅cafe」が併設されていました。




 都田川を渡るとフルーツパーク駅に到着します。


フルーツパーク 12:21着 12:21発
平成8年の浜松市フルーツパーク開園を機に新設された駅です。フルーツパークまでは歩いて10分ほどだそうです。

宮口      12:27着 12:27発 列車交換設備のある宮口駅で、団体貸し切り列車とすれ違いました。
この駅の、本屋および上りプラットホームと待合所および下りプラットホーム」は、国の登録有形文化財となっています。


 計画では、ここで下車して花の舞酒造の酒蔵を見学し、試飲するつもりでしたが、月曜日は休業日と言うことで、天竜二俣駅へ直行します。

岩水寺     12:30着 12:30発
 駅名は、ここから10分ほどにある、高野山真言宗別格本山である龍宮山岩水寺に由来するもので、このお寺は西暦725年人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基が、薬師如来の尊像を刻み開基されたと言われています。
 駅は新東名高速道路に近く単式ホーム1面1線の駅舎の内無人駅ですが、待合所およびプラットホームが、国の登録有形文化財として登録されています。


 遠州鉄道の赤い電車が見えてくると、西鹿島駅に到着します。


西鹿島     12:33着 12:34発
 西鹿島駅を出ると、国の有形登録文化財に登録されている天竜川橋梁を渡ります。


二俣本町    12:36着 12:36発
 名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた二俣城の最寄り駅です。


旧国鉄二俣線を走っていたキハ20と、寝台特急あさかぜに使われていたナハネ20が見えてくると、天竜二俣駅に到着します。


天竜二俣    12:38着
 天竜二俣駅上り上屋及びプラットホーム、天竜二俣駅下り上屋及びプラットホームは登録有形文化財に指定されています。
 説明には次のように書かれてありました。
木造平屋建、切妻造、桟瓦葺、縦板張り外壁の本屋が北面し、上りプラットホーム、下りプラットホームの順に並ぶ。本屋の背面は屋根の葺き降ろしであり、かつては乗降場上屋に使用されていたと思われる。上り・下りそれぞれのプラットホームには、木造平屋建、切妻造、波形鉄板葺の上屋があり、この上屋の柱や桁は古レールを転用したものである。古レールは、1911年にアメリカのカーネギー製鋼会社で作られたものや、1929年に八幡製鉄所でつくられたものがあり、全線開通当時のさまざまな材料や技術、工夫などを見ることができる貴重な遺構である。開通当時の名は「遠江二俣」であった。




 駅本屋も、登録有形文化財に指定されています。
 木造平屋建、切妻造、桟瓦葺の本屋が北面し、外壁は縦板張り。背面には屋根を葺き降ろしており、かつては乗降場上屋に使用されていたと思われ、駅務室の出札窓口が、広い待合室に突き出し、待合室の天井は船底天井に造られ開放感に溢れています。


 駅構内には足こぎミニトロッコ、そして腕木式信号機やタブレットキャッチャーなどが展示されていました。




 今日のお昼は、駅前にある「食の駅 十文字屋」で、天浜線転車台カレーを頂きました。




 TH2000を注文しました。
 カレールーを転車台に見立て、車両の顔はデンプンで作られた食品シートに食用素材で印刷。側面の窓はソーセージ、ラインはニンジンと絹さや。線路はマヨネーズで描いています。
 カレールーは、地元ブランド牛「三ヶ日牛」のみを使ったビーフカレーということで、本格的なカレーをおいしく頂きました。


 つづく

天竜浜名湖鉄道の旅2~三ヶ日駅から気賀駅へ

2016-07-16 15:47:47 | 天竜浜名湖鉄道の旅
三ヶ日駅10:42発普通掛川行に乗り旅を続けます。


 三ヶ日マリーナが見えます。浜名湖は、湖の面積としては日本で10番目の大きさですが、形は複雑で、引佐細江湖、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖の4つの枝湾があり、これらの面積は湖全体の面積の4割に達するそうです。尾奈駅から見てきた浜名湖は猪鼻湖と呼ばれているところです。




猪鼻湖を離れ、林の中を下っていくと都筑駅に着きます。


都筑      10:45着 10:45発
 都筑駅前のトイレは象さんの形をしていました。


 木々の間を通って、東都築駅に向かいます。


東都筑     10:47着 10:48発


 東都筑駅の側には、ゆりかもめ駅長の店「笹すし」がありました。


 駅前のトイレは、みかんの形をしていました。


 再び、浜名湖が見えてきました。


 間もなく、浜名湖佐久米駅に到着します。


浜名湖佐久米  10:50着 10:50発
 ここがゆりかもめ駅長のいる駅です。
ゆりかもめが飛来するシーズンに、ボランティアで餌付けを行う、「笹すし」を営む笹田順嗣さんがその人です。テレビで紹介されたこともあるそうです。
 この駅の目の前に浜名湖が広がっていることに加え、笹田さんのお嬢さんが駅舎内で経営する喫茶と食事「かとれあ」があり、そこで余ったパンをゆりかもめに食べさせていたことがきっかけだそうです。残念ながら今はシーズンではありません。


 次に見えてきたのが引佐細江湖です。


寸座      10:52着 10:52発
 寸座という地名は、今から年も昔、坂上田村麻呂の東征に由来する地名や言い伝えはたくさんあります。この地名もその一つで、東征の際この峠で小休止したことから一寸と座ったという事に由来するそうです。


西気賀     10:55着 10:55発
 西気賀駅本屋とホームの待合所が、登録有形文化財に指定されています。
 駅舎には、フランス料理の「グリル八雲」が入っています。
 西気賀駅は通称プリンス岬とも呼ばれている五味半島の付け根に位置します。今の天皇が、皇太子時代に御一家で、夏にこの半島の先端にある別荘で過ごされたことから命名されたそうです。


 ここのトイレは、洋風の建物でした。


 気賀駅に向かう途中、奥浜名湖サイクリングコースのシンボルとして造られたローズレッドの自転車専用の橋、「みをつくし橋」が見えます。
 「みをつくし」とは、往時の灯台の役目と湖水の深浅を知らせる標識のことで、万葉集にも詠まれていて、現在の浜松北区の一部となった細江町の町章としても使われていました。


気賀      10:59着


 気賀駅本屋、気賀駅上屋及びプラットホームが登録有形文化財に指定されています。
 説明には次のように書かれてありました。
 「本屋は、木造平屋建、寄棟造、赤色の洋瓦葺が北面する。外壁はモルタル塗り、腰タイル張り。外部には、布基礎状にタイルが張られ、正面入口及び改札口にもタイルを貼って意匠的な枠となっている。待合室内部に、木製ベンチ、木製改札口が当初のまま残っている。駅務室の中には営業開始当初の『昭和拾参年四月壱日 気賀驛営業開始』という札が張られている。
 上屋は、木造平屋建、切妻造、波形ストレート葺の建物。柱2本の上の部分にトラスが組まれた小屋組と、棟木・母屋・桁からなる。柱に窓の敷鴨居仕口の痕跡が見られるので、東端の2間は、もとは乗降場待合室であったことが判る。」










 ここ浜松市北区は、平成29年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公井伊直虎が城主を務めた井伊谷城があったところです。


 列車を降りたら、「昭和食堂」の大きな看板が目に入りました。


 夕方5時から朝3時までのお店でした。


少し時間があったので、「気賀関所」に行ってきました。
 慶長6年、徳川家康により気賀関所が創設されたと言われています。関所は気賀宿の入口にあり、浜松市北区役所の西に再建されていました。












 この後、天竜二俣駅に向かいます。

 つづく