THE READING JOURNAL

読書日誌と雑文

ペンキ塗り 2nd

2008-11-15 | Weblog
今週末は、先々週に続いてペンキ塗りにお山のお家に来た。
前回、階段と玄関前を塗ったので、今回はベランダ前面をぬる事にした。
とりあえず一番心配な手すり部分を塗る。手すりは上面と柱の下の部分に雪がたまるため、だいぶペンキがはげている。これは塗っておかないと!
ベランダの下のペンキがつくと困る部分をビニールでマスキングする。またも使い捨てのツナギを着て塗り始める。
本来ならばベランダの下から脚立で前面を塗らないとダメなんだろうけど、それは面倒なので、身を乗り出して塗ったりした。手すりは日光のあたる部分はペンキもはげ気味で、塗るとすぐにしみこむが、裏の部分などは、前のペンキが健在で、塗るとしたたってしまう。意外にハケに含ますペンキの量が難しい。

塗ること約二時間、やっと手すりが塗り終わった。ここで、ペンキも終了(体力も限界)。
ベランダの床部分は次回にまわして本日の作業は終了とした。とりあえず心配な部分は濡れたので何よりだった。

午後は、久しぶりに湖の方へ行った。カメ号がある湖岸は、いつの間にやら駐車場が整備されていてビックリ、鳥に餌をあげて遊ぶ。
その後、レクレーション公園に行って、遊具で遊んだ。


たいへんなことを・・・・

2008-11-14 | Weblog
昨日、ママから聞いた話。

オムツは取れたものの、まだ時々失敗する下の子は、昨日も失敗したらしい。
何でも、ママが社宅の花壇に用があって、外にチョットでた。
オシッコがしたくなったが、ママが居ない。下の子は、自分でおトイレに行こうと思ったのだが、トイレの前、玄関で力尽きたようだ。

っで、ママが帰ってきた。
下の子は、思わず、

「た、たいへんな ことを してしまった」

と言ったんだそうです。

どこで、「大変な事をしてしまった。」みたいなフレーズを覚えたんだろう??
ちなみに、昔むかしお兄ちゃんは、自分が階段から落っこちた場所を・・・「紹介するね」と言って教えてくれました。(ココ参照)

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遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 遠藤周作 芸術新潮編集部 編

「女の一生」の舞台を歩く その1 【旧浦上村】愛と哀しみの浦上村

「幸いなるかな 心の貧しき者 天国はその人のものなり」。イエスの山上の垂訓そのままに生きたとも言える浦上村。
その受難と栄光の歴史をたどる。

ここでは、『女の一生』ノ舞台、浦上村を訪ねる。
  1. 聖徳寺
  2. サンタ・クララ教会の記念碑
  3. ベアトス様の墓
  4. 帳方屋敷跡
  5. 十字架山
  6. 浦上天主堂
  7. 原爆落下中心地
  8. 長崎原爆資料館

キリスト教が禁制になった後、元切支丹たちも寺請制度により寺の檀家となった。しかし密かに彼らは、切支丹の信仰を守っていく。
そして、大浦天主堂での信徒発見の後、浦上をおとづれた司祭によりまたその信仰を取り戻した。
そして、貧しい中で自分たちの教会、浦上天主堂を築いたが、そこに原爆の火が落ちていった。


「横瀬浦、生月、中江ノ島」

2008-11-13 | Weblog
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 遠藤周作 芸術新潮編集部 編

横瀬浦 宣教師時代そのまま、生月 かくれ切支丹の島、中江ノ島 聖地

横瀬浦は、宣教師時代にわずかに二年間、港として栄えた。港としての寿命が短かったために今なお宣教師時代の面影を残している。

生月は、今でも、かくれ切支丹の信仰が生きている島である。(ココココ参照)

明治六年、キリスト教が解禁されると多くのかくれ切支丹はカトリックにもどった。あえて先祖の習わしを守りつづけたのが現在のかくれ切支丹であるが、生月以外ではすでに信仰組織も消滅寸前で、行事も年三~四回にすぎない。しかし生月ではまだ四つの集落において年三十回~四十回もの行事が営まれ、納戸と総称されるさまざまな御神体を祀り、はるかにグレゴリオ聖歌の流れをくむ「唄オラショ」を唱えるなど、儀礼の内容も多彩。

ここでは、さらにかくれ切支丹の聖地中江ノ島に向かっている。ここは、まったくの無人島でそこにたどり着くには、漁船をチャーターするしか方法がない。

かつてこの島は、平戸切支丹の処刑場になったところで、その際、殉教した生月の人ジュアン次郎右衛門その他はここで斬首された。
それをかくれ切支丹は、聖地として今でもまつり、石清水を聖水として持ち帰るのである。【切】

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「英会話・ぜったい音読 標準編」 國弘正雄 編(読了08)

LESSON 12 I Have a Dream

CDを聞く2回 音読5回


「キリストが求めたものは?」

2008-11-12 | Weblog
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 遠藤周作 芸術新潮編集部 編

「沈黙」の舞台を歩く その3 【風頭山から旧外浦町】キリストが求めたものは?、コラム キチジローの信心戻し④

長崎市中を引回され、踏絵も踏んだロドリゴ・・・・、そうして彼は、少しずつ本当のイエスの姿を知る。「沈黙」のラストに描かれた意味を理解するため、我々もロドリゴと市内をまわることにしよう。

ここでは、長崎市内をめぐる。
  1. 風頭公園
  2. 皓台寺
  3. 眼鏡橋
  4. 勝山町、五島町
  5. 大波止
  6. 出島
  7. 西浜町
  8. 岬の教会跡、奉行所西役所跡
  9. 旧外浦町由来の碑
ここでは、風頭公園から長崎市内を眺望したのち、フェレイラやロドリゴが拷問を受けた長崎奉行所跡、引き回された市内、転んだ後に日本人として住んだ町などを尋ね歩く。

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「英会話・ぜったい音読 標準編」 國弘正雄 編

LESSON 11 Protet Our World

CDを聞く2回 音読5回


「強い者も弱い者もない」

2008-11-11 | Weblog
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 遠藤周作 芸術新潮編集部 編

「沈黙」の舞台を歩く その2 【西坂から本河内】強い者も弱い者もない、コラム 転び者の気持ち、コラム キチジローの信心戻し③

『沈黙』の主人公ロドリゴは、とらえられて長崎に送られてくる。ここでは、長崎の町を訪ね歩く。
  1. 日本二十六聖人殉教地、日本二十六聖人記念館、日本二十六聖人記念聖堂
  2. 本連寺(サン・ジュアン・バプチスタ教会跡)
  3. 中町教会
  4. サン・フランシスコ教会跡、桜町牢跡
  5. サント・ドミンゴ教会跡資料館
  6. 西勝寺
  7. 長崎歴史文化博物館
  8. 諏訪神社
  9. ルイス・デ・アルメイダ渡来記念碑、春徳寺(トードス・オス・サントス教会跡))
  10. 聖マキシミリアノ・コルベ記念館
長崎の町は、おびただしい数の殉教者を出した地でもある。その数は2千人とも4千人とも言われている。キリスト教が禁教となる以前は、いくつもの教会があった地であるが、それは破壊され今は寺になっているものも多い。
切支丹への拷問は、吊し責め、算木責め、竹鋸切り、駿河問い、俵責め、穴吊りなどがあった。この拷問の果てに殉教したものも多かったが、転んだ者も多かった。

フェレイラという司祭をご存じだろうか?「沈黙」の主人公ロドリゴが師とあおぐ人物だが、これには、実在のモデルがいて、その名もクリストヴァン・フェレイラ、またの名を沢野忠庵という。・・・・中略・・・・二十四年間も布教活動に身を捧げるも、長崎潜伏中についに捕えられ、拷問のすえ転んだ。そして日本名を名乗らされ、長崎奉行に仕え、弾圧側に与して名だたる背教者となる・・・・。

遠藤は、『沈黙』の主人公ロドリゴを最後には転ばせてしまう。それは、遠藤の転んだ側の声を聞こうという文学者としての問題意識があった。

だが、弱虫―殉教者になれなかった者、おのが肉体の弱さから拷問や死の恐怖に屈伏して棄教した者についてはこれら切支丹文献はほとんど語っていない。
・・・・中略・・・・
だが弱虫たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまでに自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならない祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまいたくはなかった。彼等をうたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことはーーそれは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうののだと言う気がしたのである。【切】
こうして「沈黙」は書かれた。

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「英会話・ぜったい音読 標準編」 國弘正雄 編

LESSON 10 On the Top of the World

CDを聞く2回 音読5回

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【購入図書】08

「フェルメール全点踏破の旅」
朽木 ゆり子 著 集英社(集英社新書ヴィジュアル版00三V) 2006 1000円+税


「トモギ村に栄光!」

2008-11-10 | Weblog
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」 遠藤周作 芸術新潮編集部 編

「沈黙」の舞台を歩く その一 【旧外海町+大村】トモギ村に栄光!、コラム キチジローの信心戻し①、コラム キチジローの信心戻し②

まずは、『沈黙』の前半の舞台となるトモギ村(旧外海村)を歩く。
ここでは、
  1. 枯松神社
  2. 黒崎教会
  3. 遠藤周作文学館
  4. 沈黙の碑
  5. 外海歴史民俗資料館
  6. ド・ロ神父記念館
  7. 旧出津救助院
  8. 出津教会
  9. 野道キリシタン墓地
  10. 鈴木牢跡
  11. 大村純忠史跡公園
を訪ねる。

旧外海村は『沈黙』及び『女の一生・二部』の舞台となった所である。
ココにある枯松神社は、全国に三つしかない切支丹神社でサンジュアンが祭られている。また海に面した崖の上には遠藤周作文学館があり、ここのバルコニーからは、『沈黙』の主人公である、ロドリゴが上陸した外海が見渡せる。丘の下には、沈黙の碑も立っている。
明治になり、外海にはマルコ・ド・ロ神父が宣教のために赴任してきた。ド・ロ神父は、人々を貧しい暮らしから救うために、農法を教え、イワシ漁を推進し、孤児院を作り、さらに救助院という施設を作っていろいろな技術を教えた。


『遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』

2008-11-09 | Weblog
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」
遠藤周作 芸術新潮編集部 編 新潮社(とんぼの本) 1400円+税 2006年 910.2エ

私の心の故郷、長崎切支丹三部作、一枚の踏絵から始まる旅もある

NHK「美の壺」「長崎の教会」を読んだ。長崎つながりで、今度はこの本を借りてきた。
この本は、長崎を舞台にしたかくれ切支丹の小説を書いた、遠藤周作とともに長崎巡礼をするというもの。ベースになるのは遠藤の長崎切支丹三部作『
沈黙』『女の一生 一部・キクの場合』『女の一生 二部・サチ子の場合』それから、『日本紀行』に収めれている「切支丹の里」である。
遠藤が、『沈黙』を書き始めたきっかけは、偶然長崎の十六番館で見た踏み絵にあるという。

踏絵を踏んで転び、転んでなおひそかにイエスを信じ、キリスト教禁制下の江戸時代、永い歳月に渡って独自の信仰をはぐくんでいった、かくれ切支丹たち。彼らはなぜ子育観音や白衣観音をマリアに見たてて祈ったのか?
踏んで転んだ弱者としての負い目、哀しさ、うしろめたさのゆえこそ、彼らは<自分たちをゆるし>てくれる<やさしい母親>としてのマリアに必死ですがったのではないだろうか?

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著(読了08)

Chapter XXVI、Chapter XXVII


「素朴な光の絵画を楽しむ」

2008-11-08 | Weblog
「長崎の教会」 NHK「美の壺」制作班 編(読了08)

参のツボ 素朴な光の絵画を楽しむ、コラム 五島列島の教会を訪ねる、達人のことば 教会建築への誘(いざな)いーー巡礼の旅に出てみよう 川上秀人

三つ目にツボは、素朴なステンドグラスについて。
大浦天主堂」は、美しいステンドグラスで飾られている。そのステンドグラスを良く見ると、西洋のステンドグラスのように鉛線を使っておらず、すべて木のフレームにはめ込まれている。
長崎の教会のステンドグラスは、一般に単純な形が多く、そして教会の背が低いために、真横から光が注ぎ込み、光にあふれた空間を作り出す。
教会がたてられた当時は、ステンドグラスに使う色ガラスは非常に高いものであった。そのため、「江上教会」などは、色ガラスを使うことができなかった。この教会の窓には、透明なガラスに手書きで素朴な花模様が描かれている。

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著

Chapter XXV

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【貸出図書】市立図書館

遠藤周作と歩く「長崎巡礼」
遠藤周作 芸術新潮編集部 編 新潮社(とんぼの本) 1400円+税 2006年 910.2エ


「かくれキリシタンの祈りを感じよ」

2008-11-07 | Weblog
「長崎の教会」 NHK「美の壺」制作班 編

弐のツボ かくれキリシタンの祈りを感じよ、コラム 浦上キリシタンの苦悩と原爆

二つ目のツボは、かくれキリシタンの祈りである。そもそも、長崎に個性的な教会が多く残っているのも、長いかくれキリシタンの信仰にある。
ここでは、まず「大浦天主堂」や生月(いきつき)島にある博物館「島の館」に残されるかくれキリシタンの信仰の品が紹介されている。

長い鎖国の間に、潜伏していたキリシタンは、しだいにその信仰を変化させていった。人々は祈りのことばであるオラショを唱え、仏教徒を装っておいた仏壇も次第に信仰の一部として定着してくる。
そして、キリシタンの禁制が解かれた後も、カトリックの信仰に戻らず、そのままかくれキリシタンの信仰を守っている人々もいる。
(生月のかくれキリシタンについては、ココ参照)

キリシタンの禁制の高札が撤去されたとき、カトリックに立ち返り、教会建築に力を注いだ人も多い。一方でそれまで守り続けてきた、キリスト教とも仏教とも言い難い、土着した信仰のかたちを捨てきれなかった信者も多数いる。その大きな理由は仏壇の問題であったと、学芸員の中園さんは語る。
「仏壇といっても、そこに祀られているのは代々信仰を受け継いできた先祖であり、場合によっては殉教者たちだった。その仏壇を捨て、先祖を無碍(むげ)にはできないという気持ちが強かったと考えられます。」
彼らは結局カトリックにもどらなかった。そうした人々を「かくれキリシタン」、禁教時代に信仰を守った信者を「潜伏キリシタン」と呼び区別することもある。
全国でかくれキリシタンが残るのは長崎市、外海、五島、平戸、生月に限れれるという。生月では、いまも年中行事が盛んに行われている。先祖を敬う気持ちのなかには、アリア様への変わらぬ信仰心が刻まれている。

原爆で被害にあった「浦上天主堂」の話がコラムにある。
明治六年にキリシタン禁制が解かれるまで、キリシタンへの弾圧は続いた。浦上でも大量の検挙者を出す事件が起こった(ココ参照)。やがて許されて戻った信者たちにより教会が建築された。それが浦上天主堂である。建設開始から三十年を経て一九二五(大正十四年)に教会は完成した、しかし、この東洋一と言われた教会もその二十年後原爆により破壊された。(ココ参照)

信者一万二千人のうち八千五百人が犠牲となった。浦上の信者は再び絶望の淵に立たされたが、廃墟から拾い出された「アンジェラの鐘」が彼らに希望を与えたという。同じ場所によみがえった浦上教会には、いまもその鐘の音が力強く鳴り響いている。


テレビの中

2008-11-06 | Weblog
朝、会社に行こうとしていたら、下の子がテレビの台に乗ってテレビの中を覗こうとしていた。
「そこに乗っちゃ危ないよ」
「なに はいってんの?」
「テレビが入ってるんだよ」
「え?なにか、はいってるぞ」
(テレビの中を覗こうとしている。)
「そんなに覗いても、メロンパンナちゃんは入ってないよ!」
「えぇぇぇぇぇ」
(かなり、にやにやしている。)

下の子は、先日のアンパンマンショーの後、すっかりメロンパンナちゃんのファンになったようです。


小路と風神

2008-11-05 | Weblog
今日は、深夜シフト。朝9時ちょっとすぎに急いで家に帰る。
これから、上野まで行って「フェルメール展」と「大琳派展」を梯子する予定。

ちょっと前に、「美の巨人たち」でフェルメールの「小路」が取り上げられていた。フェルメールの残した2枚の風景画のうちの1枚である。
2枚ある風景画のうちの1枚という事は、もう1枚あるはずで、そのもう1枚がプルーストが「世界でいちばん美しい絵」と言った「デルフトの風景」である。この絵はその絵をまじかで見ないとその真実の美しさがわからない絵なのである。ジュネーブにいる時、 巖谷 國士の「ヨーロッパの不思議な町」の中で語られている話(ココ参照)を読んで、実は「デルフトの風景」を見にデンハーグまでの旅行を何度か計画した。
しかし、物価の高さや、アムステルダムからデンハーグまで電車で行かなければならないなどの事もあり、子連れで行くのは何かと障害も大きく断念してしまった。
「江戸の敵を長崎で討つ」わけでないが、「小路」が来るならば見に行かなければ、と思った。

11時半ごろに上野に着く。「てんや」で軽くお昼を食べ、足早に東京都美術館へ急ぐ。平日というのに上野公園は、結構大勢の人が歩いていた。混んでいるのだろうか?と思いながら行ってみると、どうやら外に列はできていないようだった。しかし、階段を降りて券を買うと、そこから列があって40分待ち。きっとこれは、「すいている」というんだろうなと思いながら並ぶ。
並んでいる人を見まわすといろんな人がいた。平日なので比較的に年齢層が高いが、若い人も結構いる。ボクの前に並んでいたオジサンは、何を考えているのか単行本を読みながら並んでいる。時間がもったいないとかあるのかも知れないけど、せっかくフェルメールを見る列に並んでいるんだから、もっとワクワクドキドキしながら並ぼうよ、と思わないわけでもない。

列に並んでやっと入場。今回の「フェルメール展」には7枚のフェルメールが来ている。真作が30数枚しか確認されていない作家の作品だから7枚というのは、相当な規模なのだそうだが、それだけでは展覧会は開催できないので、前段に当時のデルフト派の絵画が並んでいた。その辺は、飛ばし気味に鑑賞して、いよいよフェルメールの絵のところまでたどり着く。
初めてみるフェルメールは「マルタとマリアの家のキリスト」だった。小さい絵が多いという印象があったためか、意外にも大きいというのが第一印象だった。次は、「ディアナとニンフたち」。この2枚は、宗教画と神話をテーマにした絵ということもあり、他の西洋の絵と比べて特にどうという印象でもなかった。続いてやっと「小路」となる。
小さめのこの絵は、確かに美しい絵だった。特にドアの奥の黒い部分が印象的である。しかし、風景画の難しさか、この絵が特別であるというほどの印象でもなかった。しばし鑑賞したのち、廊下を通って次の部屋へ移る。
次の部屋では、まず「ワイングラスを持つ娘」が飾られている。この絵は、圧倒的に美しい。どうして世界中の人がフェルメールに熱狂するのかもわかるような気がした。印刷物で見ると、娘さんがワイングラスを持って微妙な、どちらかというと変な顔をしているだけだけど、実際に絵を前にしてみるとその微妙な表情、光の感じやステンドグラスの美しさ。理屈はどうあれ、とても美しく深い感銘を与える。それから「リュートを調弦する女」、「手紙を書く婦人と召使い」、「ヴァージナルの前に座る女」と続くいている。
「リュートを調弦する女」、「手紙を書く婦人と召使い」ともにフェルメールらしい絵で、やはり特別な印象を与える絵であった。しかし、「ワイングラスを持つ娘」と比べると、個人的には絵の世界が完結しすぎている印象をもった。「ヴァージナルの前に座る女」に関しては、これが小品であることもあり、他の3つに比べると劣るように思った。
この部屋を3たび巡回して時間をかけて見る。最後にもう一度「ワイングラスを持つ娘」の前に立つ。しばらく眺めた後、去りがたい思いとともに、美術館を後にした。
その後、「大琳派展」を見るために国立博物館まで上野公園を歩く。途中、「小路」をもう少し長く見るべきだったかと思った。「小路」を見た時点では、これほどフェルメールがよいとは思ってなかったので、適当なところで切り上げてしまった。「ワイングラスを持つ娘」と同室に飾られていたなら、何度も見たんだが、さすがにあの廊下を逆行する勇気はなかった。

さて、国立博物館についた。「大琳派展」の券を買って平成館へ行く。ここは混んでるといっても、列ができているわけではなかった。場内はそれなりに混んでいて、大きいものはともかく、小さい巻物のようなものは、がんばって前まで行かないと見えない。
しかし、日本美術は難しい、あまり見ていないってのもあるけど、前提条件に古典の教養が必要な物も多いし。(その辺は、西洋の宗教画と同じ事情でしょうか?)
ぞろぞろと流れているうちに、今回の目玉の、四つの「風神雷神図」にたどり着いた。ここには、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の「風神雷神図」が並べてある。ふすま絵である鈴木其一の物を除けば、全部、屏風絵で構図もほぼ同じである。それもそのはず、光琳は宗達を模写し、抱一は光琳を模写したのだそうだ。
宗達、光琳、抱一を並べてみると、はじめはそっくりに見えたが、単なる模写でなくちゃんと自分の絵として描いている。雲の形なんて全然違うのである。
ちなみに絵の優越なんて、よくわからないんですが、個人的には、宗達>光琳>抱一と思いました。
風神雷神を後にしてどんどん進むと、見たことのある「象」の絵などがあったり、鈴木其一って人は名前も知らなかったけど、以外と現代的で好みだったり、といろいろとあった。
国立博物館では、日本館で「キリシタン-大航海時代のキリシタン遺物-」という、特別展示なども見た。本物の踏み絵が陳列されていた。

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「日本の昔話」 柳田国男 著

俄か入道、小僧と狐、片目の爺、比治山の狐、芝右衛門狸、山伏の狸退治、湊の杙、狐が笑う、夢を買うた三弥大尽、蛸島の虻、だんぶり長者、藁しべ長者


「祈りの場に和の心を見よ」

2008-11-04 | Weblog
「長崎の教会」 NHK「美の壺」制作班 編

壱のツボ 祈りの場に和の心を見よ、コラム 世界遺産の暫定リストに

長崎で教会は、古くは天主堂と呼ばれていた。その中で現存するカトリックの教会としては、もっとも古いものは「大浦天主堂」である。
当時の教会は、宣教師が設計し、日本の大工が作ったのだが、日本の大工は教会とはどんなものだか見たこともなかった。

その結果、大浦天主堂は日本の伝統的な技術が生かされた、見事な洋風建築に仕立て上げられた。

大浦天主堂の天井は、西洋の教会の天井と同じ、リブ・ヴォールト天井なのであるが、全部石で作る西洋の様式と違い。その曲線を竹で描き漆喰で固め、日本の伝統技術の粋が込められている。

五島列島にある「青砂ヶ浦教会」は、一九一〇年(明治四十三年)に建てられた美しいレンガ作りの教会である。現在、三代目のこの教会は、五十戸あまりの信者が貧しい暮らしの中で建築費を捻出し、労働奉仕をしたのち完成したものである。
同様に、「頭ヶ島教会」も貧しい住人の奉仕と熱意で建築された。石づくりのこの教会は、近くの島から石を船で運んで建てられた。

資金難で工事が中断した頭ヶ浦教会は、建築に十一年を要し、完成したのは神父の死後五年後のこと。神父、大工の棟梁、そして信者の夢と情熱が、長崎の各地に独自の美を放つ教会を作り上げていった。

この長崎の教会群は、二〇〇七年「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、世界遺産の暫定リストに登録された。


水族館

2008-11-03 | Weblog
今日は、帰る日。いつものように、朝コインランドリーに行こうとしたら、階段のペンキがまだ部分的に乾いてなかった。
しかたなく、ベランダから降りてコインランドリーへ行った。洗濯中、子ども達を、隣のスーパーのゲームコーナで遊ばせる。
(お兄ちゃんは、「太鼓の達人」に、はまっているんだそうです。)
洗濯を終えて帰ると、ママの掃除も終わっていて、水抜きをしてから帰る。

帰る途中、いつもの「水遊園」に寄った。いつもは、アスレティックで遊んだりするだけだけど、今日は、久しぶりに水族館に入った。
水族館で魚を見たり、触れるコーナーで触ってみたりした。まだ下の子は、大きな魚は怖いみたいだった。

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「星の王子さま The Little Prince」 サン=テグジュペリ 著

Chapter XXII、Chapter XXIII、Chapter XXIV

"The desert is beautiful," the little prince said, "because a well is hidden somewhere in it."


ペンキ塗り

2008-11-02 | Weblog
今日はいよいよペンキ塗り。作業は今日だけなので、今回は玄関から階段部にペンキを塗ることにした。
ペンキを塗ってしまうと階段を使えず、ベランダをよじ登って出入りしなければならないので、まず先に、とコインランドリーへ行った。
コインランドリーで洗濯機を仕掛けてから、ボクとお兄ちゃんは灯油を買いに、ママと下の子はお菓子の安売り店へ。灯油を買ってから安売り店でママたちと合流するとすでに下の子は、小さいカゴに駄菓子をいっぱい入れていた。お菓子を買って、洗たく物を車に積んで帰る。

さて、いよいよペンキ塗りの開始である。まずペンキがかかっては、まずいところに養生をして、ペンキがついても困らないように使い捨てのツナギを着て、長靴、ゴム手袋をつけて塗り始める。
お兄ちゃんは、「ボクもペンキを塗りたい」と言っていたが、さすがにペンキがつくと困るので、塗るのはダメだと言った。その代りに、手すりの裏などよく見えない所を塗る時に反対側から見てもらった。
作業時間は、養生を含めて2時間半くらいでしょうか?普段の運動不足がたたって、腰が痛くなった。

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「日本の昔話」 柳田国男 著

天道さん金ん網、鬼と神力坊、金剛院と狐


ニ サン ガ サン!

2008-11-01 | Weblog
昨日、お山の家へついた。前回来たのが9月13.1415日だから1ヶ月半ぶり、もう随分と寒い。
今回の3連休の目的は階段のペンキ塗りである。雪が降る前に一回塗らないと、と思っている。昨年の10月にジュネーブから帰って来て、忙しかったので昨シーズンは塗っていない。(その前は塗っただろうか?)
とりあえず、雪をもろにかぶってしまう。階段部分は塗らないといけない。
それと共に、今年は頑張ってベランダ部も塗ろうかと思ってる。ベランダはヒサシがあるので、そうは積もらないのだが、手すり部などペンキがはげ始めている。(これは、まずい)

朝、とりあえず準備しなければいけない物を買いに行った。夜中に降った雨は止んでいたが、あいにく全体的に濡れている。天気予報によるとこれから天気は上向きで、明日は雨が降らないようなので、ペンキ塗りは明日にして、午後からは山の方に紅葉を見に行った。

こんだけ寒いんだから、山の上の紅葉はさぞキレイだろうと思っていたが、すでに終わってしまったらしい。結局、五色沼で玉こんにゃくをたべて帰った。

家に帰ってから、お風呂に入る。社宅のお風呂より大きいので子どもたちと一緒に入っても窮屈ではない。
さて、2年生になってお兄ちゃんはやっとカケザン九九を習い始めた。この前、五ノ段で今は二ノ段との事。毎日、家でチェックしなければならないので、お風呂で言わせてみた。
「ニ イチ ガ ニ、ニ ニン ガ シ、ニ サン ガ サン・・・・」
「ニ サン ガ ロク でしょ!」
どう間違って覚えたのか、「ニ サン ガ サン」になってしまう。これではまずいので、一緒に二ノ段を練習した。
(子どものすごいのは10回も練習すると、なんとなく覚えてしまうことである。)
ちなみに、毎日チェックする項目は、
  1. ゆっくり言える
  2. 早く言える
  3. 逆から言える
  4. ランダムに言える(質問形式)
である。今日のお兄ちゃんは、◎、△、×、×でした。
(ついでながら、親でも逆は難しい。)

子どもたちが寝た後、カクテルを作って飲んだ、すこし飲みすぎた感じである。