そよそよ風がふいてます

青い葉っぱが揺れてます

4年前の”我が家のホームスクーリング”

2007年04月25日 | Weblog
4年前の文章が発掘されたので載せます。

<ホームスクーリング8年目>

学校へ行っていないということを忘れていた・・・

 子供が家庭で生きていく、こんな当たり前で自然で無理の来ない生き方って他にあるだろうか?同じ価値観のもとで安心して毎日が充実し、素直な感性が育っていく。子供が小さい頃よく発する言葉として知られる「なぜ?なぜ?なぜ?」本当は大きくなるにつれてそれは顕著になって手がつけられなくなる。ほとんどの親たちはそんな魅力的な子供たちの成長を知らない。

 今の世の中、社会は、家で育つ子供たちの成長の場で、容易に入り込め、物からも人からも良い刺激を受けて深い考察を与えられることが多い。たっぷりとそんな有意義な時を過ごした子供たちの自立は早い。自分を知っていること、じっくりと物事に向き合えること、実際に通用する社会性、生きた学びをする方法も集中力も、家庭で育つことによって的確に培われ、すぐに活用できる利点もある。何よりも一人前の人として認められて生活できた。

違いを受け入れ合うコミュニティがあったから・・・・。
そう、「ホームスクーリングネットひめじ」。
集まればみんなホームスクーラー、話せば、みんなホームスクーリングしている子のお母さん、お父さん。それに雲のように囲む応援団。家にいても外に出ても楽しい時を持てるから、いつも親子でわくわくしてた。17歳と20歳、8年近く学校を通過しないでここまで来られたことは財産とも言える。得てきたものの豊富さを考えたらかけがえのない年月だった。我が家風に育っていった子供たち、小さい頃からの延長そのもので、良いものが損なわれずにすんだ。誠実さと冒険心と人への興味関心。学校でじゃまだった感受性の強さ繊細さは学びに生かされた。独学の過程でも、自分をよりよく知ることができたようである。子供たちに言わせれば、学びは面白い遊び、いくらでも覚えられる!と感激していた12歳、13歳の時もあった。人って、1秒にひとつのことを覚えたとして脳を全部使い切るのに300万年かかる、と聞いたことがある。学校的常識から離れると何と可能性が広がることだろう。

 もうこれだけ二人の子供があたりまえのように家にいて生き生きと過ごしていると、学校に行ってないのを忘れてしまう。どこか違う世界のことのように思えてしまう。あの箱の中にいたであろうとてつもなく長い時間と引き替えに、軽いフットワークで世界に飛び出し、技術を得、たくさんの人と信頼関係を築けた。仕事やバイトにおいても非常に頼られあてにされるのは、そんな人との関係の中で鍛えられもまれて本当のコミュニケーションが身に着き、相手に心地よさを与えているからと思う。思い立ったときにすっと一人で動けるホームスクーリングの味をしめた子供達の将来は明るい。もう、とっくに一人で歩いているから。

 UNSCHOOLING MAGAZINE NO.114 ('03 6月発行)より

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