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Days with cannondale   デイルな日々

JIM's memo    We are Team The Lewis    肉体性を追求せよ

SDA王滝 無事完走

2012-05-31 03:00:31 | Race Report
 

 先日の日曜日、42kmでしたが全員無事完走しました。初の5月そして42km。なんとなく物足りなくも思え、でもしっかり追い込めました。詳細は近々。







 

 





下総クリテリウム 2012.5.12

2012-05-17 23:29:30 | Race Report
 
 先日下総クリテリウムに参戦してきました。2012年の自分にとって、DNS(JCRC群馬:雨で拒否)とDNF(群馬CSCグランプリ:泣きのリタイア)の各1戦をあわせて早くも8戦目のレースとなった今回は、昨年11月のヒルクライムに続き人生2度目のレースとなる会社同僚のアルミTCRなTナカノの付き添いでエントリしました。自分が前回下総クリテに参戦したのは3年前だとばかり思っていましたが、ネットでリザルトを見返すと2010年のゴールデンウィークつまり丸2年前だったことが判明。チームエンデューロを除いた本格的なロードレース(クリテリウムですが)の初体験からわずか丸2年たっただけという事で中年域でもまだまだ若造な小生です。

 当日3時半起床が、2度寝してしまい奇跡的に4時45分に飛び起きる。慌てて準備し土浦北まで高速ぶっ飛ばし、Tナカノをピックアップ。125号を走り途中コンビで食料補給し、7時前に下総運動公園に到着。天気、路面、バイク共にコンディション最高でした。アップは、ローラは無しで試走をしっかり。カテゴリはビギナⅠの1周1.5kmの周回コースを8周するトータル12kmです。

 ビギナⅠの1組目、30名と少ない。スタート地点に3列目に並ぶ。横に4~6名。その前にプロのマトリクスさん3名、VAXさん1名。シクロCの浅田ピンクジャージな方々が前にいる。右端2列目に同ピンクな強豪女子レーサー1人。この方、バイクはLOOKへ、ホイルはZIPP303へ替わっていた。『、、、しかし、なぜビギナ?汗、、』自分もビギナかスポーツかと迷った所だが、そんなものかなと。石橋を叩きすぎて渡るころにはいつも壊れている的なTナカノをすぐ後ろに無理やり並ばせる。緊張の色は隠せない。がんばろうなと固く握手。ガヤガヤと何かなと振り返ると、なんとサポートのビブをつけて浅田ザキヤマさんが後方から登場!笑っちゃうので見ない見ない、集中集中。

 ピストルとともに一斉スタート。ペダルクリップできず、だが慌てず。ストレートになってからようやっとクリップ。集団が一気に縦に伸びハイスピードの中ついてゆく。後方は一度も振り返らなかったので集団の人数は終始把握できていないが、初めの時点でプロ選手含め10名ちょいくらいが自分の視野に入っていた。ぴりぴり緊張感。密集の中、一度肩どうしかハンドルどうしが隣とぶつかるもお互いノープロブレム。冷静に慎重に1周目クリア。前に見えるピンクな方は強女含めて3人、さすがに走りは安定している。視界の中にふらふら数名。声が入る。『ぐおっ、ザキさん!』いつの間にかザキさんも視界にイン。横顔ちらミ。初めて真剣なまなざし&バイクを乗っている姿を見たが余裕な感じ。集団に大きい変化はない。なかなかのスピードだが坂でもちぎられることはなかった。3周目か、ザキさんに声をかける。「さあアタックしかけちゃって!」的な事をいわれるが、勿論そんな余裕は無い。たまに外側、内側からまくる人が2名。同じ人物。しかし先頭集団はパックされたまま。

 近くにいる単独強引トリッキー黒タイツ野郎がかなりうぜえ(すいません、お互い様です、、)。耳を見れば真っ赤だ。真っ赤なお耳の黒タイツマン。コーナーで(自分の中で)危うい場面が何回かあるが、なんとかこらえながら集団の中番~後半の位置で周を刻む。キープレフト走行している周回遅れ人をパスする時、絶妙なタイミングでロンゲ遅れ人が右に出てきたので集団がグラッと冷汗。コーナーが多い、スピードに余裕はない、位置取りが中途半端という3拍子で身動き取れず、故に容易に前に出れず。集団の後方から何度かプロ選手からのアドバイス。有難い。集団が引き締まる。自分の位置は大きく変わらずで、徐々に身体は疲れてきたがまだ冷静。『俺力入ってるのか?肩の力を抜け!』と下ハンメインから上ハンメインにチェンジ。 黒ジャージ2名のうち1名に何か言われ る。一度4番目くらいまで前に出るがすぐに後ろのほうへ下がってしまう。下がりたくはないんだが。

 このままどうなんだ?最後までこのまま行くのか?黒タイツマンは?ピンクはどうでるんだ?こいつ落ちないのか?、、、、、終盤の展開をイメージしながら、しきれないまま進むこと早くもラスト2周目。緊張感がリアップ!出るならここだろと薄々感じていたが決断できず、集団に流される。ストレート後の下りが終わって登り立ち上がりの緩い右カーブ。ペースアップに合わせてぐんと踏み込むとリアのZIPP大先生がズリっと左に横滑り。一瞬あせるが立て直し。パンクして空気の抜けたタイヤがデュリッとなる感じ。後ろの人は自分より驚いたかもしれない。コーナーをクリアし最終登りでペースが上がり、最終ラップのジャランが鳴る!皆のアドレナリンがビンビン、心拍ドクドク。

 『さあどうする!?俺これでいいのか?!』連続コーナーを一気にクリアしストレートに入った瞬間、少しの空間が自分の前に空く。その瞬間を待ち望んでいたかのように「いくわよ!!!」との美声と共にピンク強女ズキューン!!集団の前にいたもう1人のピンクマンに『さあ!もたもたしないで!あたいについておいでっ!』と言わんばかりのオーラでまくりでピンク強女ズキューーン!!『ぬおおおおっ』と俺が後ろを追いパチューーン(弱杉)。そこに皆が反応、下りに差し掛かるころにはグワッと再度パック。下りの連続カーブで黒トリッキータイツマンが「左いくよ!」で左からグリグリグリーーーン。見送ることしかでず我心拍バクバクバクーーーン。登り後のコーナーでの位置は集団の中盤。コーナーでぐいッと踏み込むとZIPP大先生のリア横滑り、本日2回目のメイク。『くくッ(ド汗)、、パンクか?いや違う。いやもうどうでもいい。最後までもってくれVittoriaディアマンテぷろっ!』

 最後の登りキターーぁぁぁ!アウト側左で突入。ふと右前に目がいく。ピンク強女がダウンシング、しかも激重だ!ハンパねえ左ふくらはぎの筋肉のすぢ!!『よっしゃぁぁーーー最後』俺も負けじと続け追い越せ、カチッっとギアを上げダウンシ、、、、、、『ムリ~~~ッ!!(ヘニャ泣)』で、とっさの下方修正、クルクルハムスター!!クルクルクルーーーー!!!鬼ダウンシングVSクルクルハムスター!しかしゴールはそのまま集団でイン、自分のわずか前右隣ピンク強女。結構な人数の集団。このままでは残れん!でも前に出れん!心拍MAX!身体バイク半分ぐらい完全に強女の後ろ。『んどりゃーーーーーーーーーっ!むぎゅっっっ!』 無意識で、いやコンマ何秒の瞬間の意識で、身体を前に伸ばしハンドルを突き出す自分がいた。そんな練習もやったことないのですが。せこいですか?俺。。。。。

 速報リザルトを見ると、ピンク強女のひとつ前(すんません、全く面識ありません)。しかし9位ということで8位以内ではないので次ステージへ進めず。最後の最後、ピンク強女は流した雰囲気に見えました。レース後、Tナカノとコース試走4周と約30kmの反省ライド。彼は、初めのクリップに失敗し、もたつき、スタートしたころには周囲に誰もいなくなっていて初めから一人旅という展開だったとの事。わずかに見える前走者を追うも差は縮まらず、4,5周目でラップされ8周回で終了という結末で、悔しさにどっぶりと浸っていました。

 リザルトは次の通りです。スピードは集団事体のスピードに大きく関わりますが2010年と比較すると30秒以上も差があることが分かります。少なくとも弱くはなっていないかなと思うが、前はもっと脚に余裕があった気もするし、もっと先頭近辺にいたし、何とも言えない。
順位/Time/AveSpd
【今回2012年リザルト】
1/17.34.702/40.95km/h
9/17.36.582/40.88km/h←次ステージ進めず
【2010年リザルト】
1/18.09.133/39.66km/h
7/18.19.474/39.29km/h←次ステージへ進んだ
 次、下総に出るとしたらスポーツクラスだろう。参加された皆様、運営の皆様、有難うございました。アットホームないいレースです。

2010 Last Race ツールド沖縄 (6/6) ~ 無残に散る ~

2010-12-05 20:01:29 | Race Report

 11/14(Sun) 結末
 土砂降りの中、bottleを2本手に取り、1本の水を数口飲み左に投げた。最後の給水pointを抜けるとMaxの背中が見えた。SHINyaが声をかける。最低でも我々2人についてこれないと完走できないだろう。時間的にlimitだ。しかししばらくして後ろを振り返るとMaxは小さくなっていった。左手に海が見えると雨は豪雨となって我々をさらに痛めつけた。もう脚は残っていない。SHINyaはまだ脚が残っているようだった。SHINyaの後ろにぴたりと付き、後輪と脚だけを見て黙々とペダリングした。いろいろな事が頭に浮かんでは消えていった。仕事のこと、親父のこと、これからのこと、、、

 最後のCP8「川上」まで約15km以上。CP7である「安部」を通過した時、我々に残された時間はCP8まで20分を切っていた。ここから最後の難関の峠がある。再び海岸線に出た時、雨があがった。残された時間と同じように体力も残りわずかであった。峠が始まり少し進むとそこにBEATの背中が見えた。ここで今までに経験したことのない諦めの感情が一気に胸に湧き上がる。SHINyaに一言『もう、だめじゃね?』。そんな言葉を振り切りSHINyaはattackしていった。俺は限界を迎えた。

 気持ちも体力も無くなりBikeから降りようとしたとき、遠くの2人が目に入った。SHINyaとBEATがもがいている姿は、最後のほんのひと欠片の何かを動かした。

 足りないものが多すぎた。いや、何もかもが自分には足りない。そして己に負けた。『僕は口が裂けてもアキラメロなどとは言わない』大好きな岡本太郎の言葉が空に飛んで行った。情けなかった。自分に負けたことが。出直しか。俺は出直すことができるのだろうか。

 『もしかしたらSHINyaは最後の関門を抜けたかもしれない』そう微かな願いを思いながら最後の下りをcruiseした。最後のCP8「川上」が見えると道は封鎖されていた。約8分overだった。8分程度start時間が早くなったことを考慮すれば、約15分以上をoverしたことになる。20人ほどの人だかりの中、残念ながらSHINyaの姿があった。少しするとBEATが到着し、サポーターのおじちゃんから温かい一杯を頂く。砂糖がきいていたが、それは俺にとって完全なる敗北の苦い一杯であった。

 Goal地点に自走で戻る。雨は上がり路面は何もなかったかのように乾いていた。何もなかった。何も残っていない心を、オキナワの生温かい浜風がなでていった。そして俺の俺達のオキナワが終わった。

 

2010 Last Race ツールド沖縄 (5/6) ~ 無残に散る ~

2010-12-04 21:12:19 | Race Report
 写真はAll Sportsから拝借 下りの俺、そして続くSHINya
 

11/14(Sun) 中盤
 なんとか登り切った2回目の普久川ダム。それから一気に下った。風が体力を奪っていく。先頭を交代しながら2人で進んでいった。分岐点を右に折れると再び登りに入った。長い登りだった。SpecialMapを見て何度も自分の位置を確認した。補給をしキテいる脚にムチを打つ。腰は既に限界に来ていた。SHINyaに速度を下げてくれと伝えた。しばらくすると単独兄ちゃんが現れる。我々の力を借りたそうだった。140kmの残骸だ。我々も同じ気持ちだ。声をかけられ2,3回rotation。同じ気持ちでも現実は無常だった。彼のペースについて行く事はできなかった。

 ぱらぱらとした雨を身体に感じたが『少しもすれば上がるだろう』とそんな期待はあっさりと破られ、乾いていも滑りやすいオキナワの道を両者なく濡らしていった。激しい雨粒は視界を遮り、大きな音でアスファルトを叩きつけていた。登りになるとSHINyaが遅くなり始める。決して速くないペースだったが溜まりに溜まった乳酸は脚を重くした。SHINyaの気配を感じなくなるが、ペースをできるだけ下げないよう進む。ここで落とすとヤバい状況だ。しばらくすれば追いつくだろう。「足切り」というモンスターが我々を飲み込もうとしていたが、まだ諦めはしなかった。

  

2010オキナワDATA

2010-12-03 23:47:56 | Race Report
 沖縄が終わり、ダルダル週末3週目突入です。遅く起きて昼飯食って洗濯して昼寝して。起きて親父の相手してスタバ行ってネットして、3週間、、、、身体も心も悪い意味でリセットです。寝すぎて腰回りもダルダル、気持もダルダル、沖縄れぽも既にダルダルになっていますが(爆)、最後まで粘ります。。。(苦笑)

 SUUNTOdataをCheckしてみる。Total Timeは、04:58:40,0。最高心拍は1回目の普久川ダムへの登りで185bpm。平均心拍は166bpm。抑えていたのがわかる。エネルギー消費量は2582kcal。最高速度は61.6km、平均速度27.2km/h。平均としてあと2~3km/h上げないと(いやもっとかな)『最低レベルの集団』に入れないだろう。沖縄のベンチンマークとして挙げられる「富士チャレ200」だが、『富士チャレ200を5時間台でGoalできる走力がないと沖縄はクリアできない』というのは大げさかもしれないが、“クリア=ギリギリ完走”ではなく、“クリア=ある程度集団に入りながら完走”として捉えると、あながち間違っていないと思われる。表の下の赤点はLapだが、これは後で編集し走行距離に対して付けたマークです。Race中は全くマークできず。


SUUNTO t6d DATA (高度値はSetUpしていません)
赤点は左から、与那~CP1:普久川ダム~CP2:奥~CP3:与那~CP4:普久川ダム~CP5:高江~CP6:平良~CP7:安部

2010 Last Race ツールド沖縄 (4/6) ~ 無残に散る ~

2010-11-29 01:57:47 | Race Report
  

写真はAll Sportsから拝借
11/14(Sun) start~中盤
 setmに張り付けていた自主制作Mapを見られ『その地図すごいですね』と隣の選手、『いやあ初めてなもので、、』と答える。隊列し前方後方を見回してみる。かなりの集団だが思っていたほどではない。直前の静寂。先頭から2/3くらいの位置だろう。『よっしゃがんばるべ!きをつけて!』SHINyaと手を合わせる。直ぐ隣にはフォルティンのSM君がいた。イカついblackCOLNAGOにまたがっていた。(彼はこのRaceで見事3位に入賞した。)Countdownで気持が高ぶる。市民210kmの通過が速かったため予定時刻9:15を繰り上げ、9:07に幕が上がる。
 
 さあいよいよだ。Clip音が一斉に響き渡る。自分はClipに失敗したが慣れっこだ。しばらく回してCripした。8月に参加した2回目のRoadRace「富士FES小山」のstart直後の感覚がFlashback。魚のいやバッファローの群れの中にいるような感覚だった。五感を研ぎ澄ませ。何とも言えない緊張が気持よかった。ほぼ平地だが少しの起伏で群れのspeedが遅くなり皆声を上げる。『おーー!』怒鳴っている奴もいる。心に溜まった緊張を吐き出しているかのようだ。すると突然自分の直前の選手の前輪が空を向き崩れ落ちるように左に倒れた。(suuntoLogを見てみると速度がストンと落ちている地点でstart後約1.5kmだった。)まさにスローモーション、瞬間的に間一髪回避。『おおおおお!!!!!』だった。そして皆が一斉に罵声のごとく『おおおおおおお!!!』『らくしゃーーー!!!』だった。そしてその直後、彼を通り過ぎた後ろのほうで『パン!!!!』とpunkの音も聞こえ、数台まき添いをくらったようだった。思わずPunksの名を叫ぶ。『シンヤ!!!』少し離れた後方から返事が聞こえホッとした。落ち着くと左手にターコイズブルーの海が広がった。沖縄の風を感じたが心地よく思う暇はない。前者に連なれ。途切れるな。前にSM君が見えた。SHINyaは来ているだろうか。横を向き『シンヤ!』と叫ぶが返事がない。約5km地点に差し掛かると問題のトンネルに入った。ここでも全員『うおおおおぉぉぉぉおおお!!!!!』だった。俺は常連気取りで張ったりかましてspeedを抑え前後に十分間をとるように周囲を警戒させた。
 
 トンネルを抜け集団での右折をクリアし、いよいよ初めの登りに差し掛かる。「普久川ダム」への約8kmのヒルクラだ。集団でグングン登っていく姿を見送り、直ぐにペースを落とした。『こんな速いのか?いや皆落ちてくるはずだ』と思いながらペースを落とすとSHINyaが合流した。集団はバラけた。SHINyaにHCAtabletを3粒渡す。俺もかじる。自分のペースが速いのか遅いのか全くわからない。後ろのSHINyaに何度か尋ねた。とにかくオーバーペースにならないよう気を付けた。長い道のりは始まったばかりだ。身体の調子は悪くない。この時点でかなり息が上がっている選手もいた。汗が出てくる。後ろのSHINyaを気にしながら進んでいった。

 「普久川ダム」を登り切り、初めのCPに差し掛かろうとしていた。『ここか、、、いやまだか』はっきりダムがどこにあるのかわからなかったが、SpecialMAPを読んだ。bottleの水が半分以上無くなっていた。予定よりも速い。初めのCPでは補給がないと思っていたが、サポーターがbottleを差し出しているのが見え、助かった。bottleの水を口いっぱいに含み、捨てbottleOGKを左へ放り投げた。そして力強いエールと新しいbottleを頂く。水は7分目くらいしか入っていなかったが、bottle3割以上の声援をもらったので十分だ。足切り時間と比較すると約35分の貯金だった。ここから一気に下る。UpDownを繰り返すが下り基調だ。SHINyaには登りも下りももっとぴったりとくっついてほしかったが、なかなかうまくはいかない。風よけになっていない2人の距離だ。もっと俺を盾にし体力を温存してほしかったが、落車の多い沖縄のツルツル道に緊張しているようだった。気持はよくわかる。数百m先に大きめの集団ができていた。なんとか追いつきたい。体力を温存したい。サベロがうざってえ。ガスコンと向き去りたいが、SHINyaがついてこないと意味がない。ライン取りがあまりうまくないサベロと抜きつ抜かれつもどかしい。そんなこんなしていると右手に海が広がった。なんともいえない高揚感。俺は走っている。ここまで来たんだ。

 SHINyaにHCAtabletを3粒渡す。俺もかじる。俺の、SHINyaの血よ、躍動せよ。SHINを前に促す。後ろに人を感じた。でかいジャイ兄ともう一人。そしてさっきからのサベロ。5人は誰しも前の集団に着きたいと思っていた。サベロに後ろにつけと指さすがいまいちな反応。ローテが分からないらしい。デカジャイ兄に前に行ってくれと頼むと『いや無理っす』とハニカんでる場合じゃねーー。んじゃしっかり後ろに付けヤ。MaxとBEATのstart地点である「奥」を無事通過。「奥」は我々のCP2でもある36km地点。ここから登りに入る。青兄ちゃんをローテに入れる。start地点で話しかけられた兄ちゃんだ。徐々に集団が近づいてきた。『イケますね!』

 どでかい集団に抜かされた。210kmの選手たちだ。『いくか?!乗れるか?』とっさに無理と判断できた(汗)。LockOnした集団は目前だった。乗れれば一気に着くことができたが無理だった。しかしもうすぐ登りは終わる。『これで付ける』と確信した。右手に海が広がった。沖縄最北端を我々は無事通過した。ここから南下だ。風が強くなる。『ん?集団がねえ!!?』後で分析した事だが追っていた集団は210km集団に乗って行ったと思われる。『なぜいない???』不思議だった。これまで追い求めていた目標物が一瞬でなくなりがっかりした。風にあたりながらしばらく進むと、少し遠くに何人かの集団を発見した。それは210kmの残骸衆だった。『これは行けるかもしれない』まず一人の残骸黒兄に追いつき後ろを走らせてもらう。いいかんじだ。トンネルを抜ける。SHINyaもついてきている。先ほどの青兄もいた。少しすると気づかれ(苦笑)、交代する。風が強い。後ろに下がりSHINyaが先頭に行くと一気に速度が上がる。2,3km/h以上上がる。調子良さが伝わってくる。しかし休まる暇がねえ、、、汗。すぐ前の210km残骸衆5,6人に追いつく。しかし残骸といえども210km選手は強かった。約10人集団のrotation。しかし先頭周辺は決まっている様だ。右からの浜風が体力をむしばむ。先頭はつらい。海がきれいだ。彼方に島のようなものが見えた。ペースが速い。行けるのか。デカジャイ兄はもういない。青兄はまだいたがやばそうだ。この210km残骸衆は我々のレベルではないのか。残骸衆は平気な顔を顔をしている。先頭以外は体力をうまく温存しているようだ。そんな中SHINyaは速い。俺の次に先頭に変わるとspeedが乗る。グンと伸びる。こちらの休む暇がない。ぐんぐん加速する。青兄が俺の顔を見て苦笑いをした。その後彼を見ることは無かった。

 なんとかしがみついていた。左折すると地元の温かい大きな声援を受けCP3「与那」を通過。握りこぶしを上げた。SpecialMAPを読むとここで約30分の貯金だ。2回目の「普久川ダム」への登りが始まる。平地で足を使ってしまったが、ペースをうまく落としながら登って行った。この登りで昨年のChampionフォルティンTI氏、続いてMTBの竹谷氏、そしてつるみしんごさんの集団に次々と抜かされていく。それは全く太刀打ちできない登りでの速さだった。1周目よりはspeedが落ちている実感があったが、後ろのSHINyaを気にしながら2人で着実に進んでいった。やっとの思いで「普久川ダム」を通過し、CP4に到着。飲み干したbottleを捨て、2本bottleをもらい、1本をCageに入れ、もう1本の水を飲みながら下りに入った。ここで工程の約半分。約20分の貯金。しかし確実に疲労は蓄積されていて、想像以上の過酷な道のりがこれから始まろうとしていた。

2010 Last Race ツールド沖縄 (3/6) ~ 無残に散る ~

2010-11-27 20:37:29 | Race Report
11/14(Sun) 朝~start前
 誰かが起きて目が覚めた。予定通り5時前に起床。『よっしゃ!』雨は上がっている。飯前に一度Bikeを見に行き、Tireを確認する。今回、パンク対策のため初の試みをした。王滝で使用したsealant『NoTubes』をTubeに注入したのである。全員問題なさそうだ。朝食をしていると急に腹痛に襲われ、3人より先に部屋に走り戻り、リーゲー。皆が戻り、も一度リーゲー。しばらくしたらまたリーゲー。結局4回戦を戦い、もう完全燃焼。6時半までに荷物を預けなければいけない。goalは「名護」のため、ここ「国頭村」に戻らない我らは荷物を全てトラックに預けgoal地点で引き取る。さらに100km組のMaxとBEATはstart地点がここから約30km北上した「奥」のためにBikeも預け、専用Busにて移動する。人が多く慌しい中、健闘を祈り合い7時前に別れた。

 薄い雲からちらりと空が覗く。昨日の雨が嘘のようだった。Checkoutの為SHINと2人でFrontへ走る。韓国人か台湾人か数名が同じくCheckoutしていたがゼッケンを見ると100km?Busは既に出発しているのでここから30km自走したのだろう。我々は数km先のstart地点「道の駅国頭村」までゆっくり自走する。ぱらぱらと人が集まっている。並んで出走確認表を渡す。startまでまだ時間はたっぷりあるので2人でUpに出た。海岸線の国道をそのまま北上し、数キロ先のトンネルで折り返す。気持ちがいい。道路をほうきで丁寧に掃除してくれたいるおじちゃんおばちゃん達に挨拶をしながら進む。調子は悪くない。プーリーの位置がずれていたためにRearの変速がイマイチだったが調整し完璧だ。『おおお!!』次第にテンションがあがる。『俺達、沖縄にきた!!』

 トンネルを抜け距離を延ばす。3度折り返し心拍をしっかり上げ汗をかいた。もしかしたらこのUpは余計だったかもしれないと今思う。Upを終えstartの列にBikeを並べた。まだそれほど緊張感はなくSHINと人間観察&リラックス。国際ロード210km、そして市民210kmがこの目の前の国道を通過する。歩道に腰をかけしばらくまったりしていると、パトカーや車が突進していった。頭上にはヘリ。いよいよか、、、しかし、、、ここでまたまた腹痛。10分くらいのトイレ行列で無事最後のリーゲーを済ませた。これで空っぽだ。迫力ある選手達を目にすることはできず、SHINから写メを見せられる。

 だんだんと我々のstartが近づく中、ジュニア国際ロード140kmのstart直前だった。start地点に集合したハニカミ王子達。惚れ惚れする若さと肉体。手足は長く余分な贅肉は皆無だ。お馴染みの強豪チームジャージも見える。いかにもはやそうだ。見ているだけで微笑ましい。『俺はこのころ何をやってたかなぁ、、、』なんて思った。心配そうに父兄の方々が見守る。SHINと2人でワクワクニヤニヤ釘いるように見ていた時、ふと我々のBikeのほうに目をやると列が移動しているじゃないか!!『おい!!』ダッシュで戻り、Bikeを起こし、ギリギリ列に間に合った。SHINと『(爆)あぶねえ、、、(汗)』

2010 Last Race ツールド沖縄 (2/6) ~ 無残に散る ~

2010-11-23 23:22:00 | Race Report
 


  11/13(Sat) Race前日
 屋上のベランダにでると分厚い雲に覆われていた。常夏沖縄ではない。わずかな雨を感じた。あいにくだが予報通りだった。朝8時に宿をcheck outし、空港へtaxiで急ぐ。空港に着きMax、SHINya、BEATの3人を待つが、なんと1時間の遅れ。腹が減ったので店に入り軽く食べる。雨で移動に苦労しそうだったので、もてあましている時間で空港案内にあるレンタカー会社に電話しまくるが、大きい車が空いていない。そんなこんなしている間に3人が見えた。やっとの到着だ。彼らは自転車以外の大体の荷物を宅急便で送ってあったので俺よりは身軽。なんと沖縄参加者のBikeを乗せたら機体の重心に問題が生じたのが遅れた原因だったらしい。なんだかんだBikeの輸送に苦労したがこれで全員のBikeが無事空輸完了だ(結局手持ち)。空港から各hotelに400円で当日納品してくれる宅配サービスがあったのでBackPackだけ預けた。

 高速バスで受付会場の名護へ向かった。またもや自転車を荷台に入れてくれない。手持ちで車内に持ち込んでいいという事になったがでかすぎる。最後部座席を占領したが、乗車する人が少なくて幸いだった。いい迷惑だ。Busが進むとターコイズブルーの海岸とご対面。まさに沖縄だ。『おお!』テンションがあがるのは束の間、目の前の雨にうち消される。しかも結構雨、どんどん雨。中止になるんじゃないかというくらい雨、おいおいマジかよ、富士チャレ200の激雨くらいの激雨?最悪だ。今日の行動予定を4人で話し合う。いや俺とSHINで話し合い&検索。皆平日は仕事に追われBikeの準備が精一杯で、詳細な予定を全く立てられず上陸した。高速バスを降りるバス停の近くにTOYOTAレンタカーを見つけたので1台予約を入れる。梱包からほどけばBike4台を入れられるだろう。

 この雨の中車を借りれて本当に助かった。Bikeと梱包材で後ろをパンパンにして車に乗り込む。会場受付は数キロ先。車を走らせるとこの雨の中Bikeを走らせている人がいる。試走か。こっちもだ。何人もいた。『どうなのよ、どうなのよ、どうなのよ!!』全く走る気にさえならないTTL。雨が激しい。交通規制を避け、受付会場近くまで来た所でいい感じの食堂発見した。ソーキそば、ぜんざい(冷たいのには驚いた)を頂き、そのまま歩いて受付へ。Race前日のeventが行われていた。目にしたのは小学生の一輪車競争だった。『おお!』冷たい雨の中子供たちは頑張っていた。展示ブースも賑わっている様子もなく大変そうだ。そそくさと受付を済ませ、本日の滞在ホテル「リゾートオクマ」まで車を飛ばす。景色は奇麗。とにかく雨がなけりゃ最高なんだ。でもガッツリ雨なのだ!

 かなりのResort感あふれるいや完全なるResortHotelにCheck'nした野郎4名。沖縄参加者が大勢宿泊していそうだった。小さめの体育館をBikeスペースとして使用できるようになってる。優待遇だ。しかしBikeを下すのにも雨で嫌になる。カワイイ&親切従業員の沖縄Angelだけに唯一テンションあがる。体育館に行くと高級Bike達が既に並ぶ。我々はBikeを降ろし、部屋で軽く荷物を整理した後、名護へ再び向かった。使わない荷物だけ明日のHotelに移動させるため、そしてレンタカーを返すために。今回のRaceは、俺とSHINが140km、BEATとMaxが100kmというcategoryにentryしていた。140kmのstartはこのHotelのある「国頭村」そしてgoalは「名護」、100kmのstartはここから30kmほど北へ向かった「奥」そしてgoalは同じ「名護」。明日はgoal後名護から近いHotelに宿泊予定を立てていた。

 荷物を明日のHotelへ預け、無事レンタカーを返却し、TaxiでHotelに戻る。名護からHotelまで40kmはあったが、Taxiのおいちゃんが4000円で送迎してくれた。夕食はバイキング。沖縄参加者でrestaurantが賑わっていた。オリオンビールで明日の健闘を祈って乾杯した。ゆっくりもできず、Bike Settingにかかる事に。wheel、tube、tire、saddle、handle、pedal、、、、ひとつひとつ明日をImageしながら取り付け調整していった。bottleは捨て用としていつぞやのRaceの参加賞OGKを用意した。1本をまわしていく作戦。それぞれのCheckPointの距離と時間と高低差がわかる地図を張り付ける。早くも22時を回り、spaでひとっプロ。4人で明日の戦略を確認し合う。少しのぼせた。部屋に戻り、TTLJerseyにゼッケンをclipし、補給食、持物を確認し、0時過ぎに就寝した。2010TTL集大成のstartの瞬間が我々を待ち構えていた。




 

2010 Last Race ツールド沖縄 (1/6) ~ 無残に散る ~

2010-11-21 22:24:09 | Race Report
 ブログアップを怠っています。一気に寒くなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。 

 2010年TTL的シーズンが終了しました。今年は、先輩方へのアオりが俺一人ではなく、SHINyaが加わってくれたおかげで例年になく飛躍した年となりました。初のRoadRace「下総クリテリウム」に始まり、地元のツクバ、恒例のウツクシ、富士サマキャン、そして2度目のRoadRaceフレンドシップ富士FESでコテンパンにやられ、BigRaceの王滝、グラフォンヤツ、富士チャレ200、そしてそして今までの総集大成となったツールド沖縄が先週無事終わりました。しかし強くなったのか俺ら!?どうなんだよ!俺は強くなったのか?いや全然まだまだ、全く甘すぎる、、そんな自問自答が頭の中でリフレイン。終わりよければスベテヨシ!ということで最後くらいサクっとデレっとレポアップ!!



 11/12(Fri)
 1週間前エキアサトレに満足し最終調整を終えた。ギリギリまで準備に追われ、現地は雨予報という不安の中、何とかbikeをpackingし家から持ち出す。金曜日と月曜日を有給取得し、いざ沖縄へGO!しかし初の輪行ということで不慣れな部分もあり37LのBackPackと輪行袋がかなり重い。移動が不便。親父に水戸駅へ送ってもらう。朝食を買い羽田空港行きの高速バス乗り場へ一人並ぶ。道路工事のため出発が15分遅れる。リムジンバスだから荷台に余裕で積載可能と思っていたが、自転車は基本不可と言われる。交渉で自己責任を認め許可される。

 羽田に到着し、BikeのCheck'n。預けるときに『手渡しで』と言い手渡しで荷物を受け取るというテクを聞いていたのでそのように話すと、2年前に手渡しサービスは終わったとの事。自転車ということで慎重にお願いし、一筆サインする。今回のために新調したコスカーSLRだけが心配だ。出発1時間前に搭乗口前の席に座る。宿の手配がまだだったのでPCで那覇市内の安宿を検索&予約Get。搭乗後Seatに座る前につるみしんごさんに出くわす。「こんにちは」と声をかけると笑顔で返してくれた。テンションあがる。お馴染みの奥さんも一緒だった。離陸後は1冊の沖縄ガイドブックを読みあさる。このとき猛烈に虫歯が痛くなり激痛をこらえていた。気圧の影響かと思ったが、後で調べてみると的中で、虫歯内にある空気が膨張して神経を圧迫し歯痛が生じるらしい。18時半、予定通り沖縄に到着したが、Bikeがなかなか出てこない。しばらくするとクルクルコンベアとは別の窓口から自転車が出されていた。ANA Good Job!またつるしんさんとお会いしたが俺が新調した輪行袋と同じOR-500だった。大会前々日ということもあり沖縄ローディは10~20名程度で少なめ。しかしOR-500率高し。この時点で全身サイクリングウエア&ビンディングシューズの方を発見。爆

 空港内に荷物預けがあるのでそこにBikeを預ける。600円/日。BackPackは背負うがかなり身軽だ。さあ、ゆりレールに乗って市内へGO。移動で汗だくになったりしたが那覇に着くとそれほど暑くはなく長のカットソー1枚。県庁前で降り「国際通り」を歩き歓楽街をスルーし、定食屋「お食事処三笠」に辿り着く。定食屋なのに24H営業、なんて素敵なんだ。localな感じで雰囲気抜群。現場帰りのオヤジさん達や部活が終わった少年達で賑わう。チャンポンにがっつく。量が多く安い。パラパラと小雨がちらつく下、地図を片手に宿へ徒歩で向かう。場所が分からず宿へ電話するとどうやら通り過ぎてしまったらしい。宿の玄関をくぐるとなんとも異様なアジアンワールド。部屋はかなりこじんまりとしているが、小物も素晴らシ。2500円/泊。

 少しグダっとし、銭湯へ向かった。汗を流したらそのまま国際通り周辺をフラフラ。若者が熱い。都内で言うと原宿のようなかんじか。あっちふあふらこっちフラフラ。いい加減疲れてきたので、よさげな居酒屋にin。オリオンビールで一人乾杯。塩辛、またビール、肉そば、で最高、そして満腹。Raceの前々日だからまあいいっカ!とテンションあげあげしてたら、いつの間にか寝てた、爆、、オアイソして外に出ると一気に気持ち悪くなり、オエっ!!!!となる。『一人何してんだ俺、、』とケラケラ、、ユラユラ千鳥足リーマンいやフリーターもどきで宿になんとか戻り、爆睡、、、、、