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【霊学的イエス論(21)】十字架の上で

2010-10-25 00:44:11 | 高森光季>イエス論・キリスト教論
 十字架刑というものが、非常に残酷な刑だったことは多くの人が指摘している。
 ちなみに改めて繰り返せば、釘は手の平に打たない。腕を貫通させる。重さを支えられないからである。足はまとめて一本打たれるようである。出血死、ショック死もあるが、窒息が主な死因だそうだ。前島誠氏の記述を引いてみる。
 《受刑者は出血と疲労、呼吸困難と衰弱が重なり合い、窒息や心臓麻痺などを引き起こして死に至る。……とくに呼吸しづらいという点が早期の死に繋がる最大の要因と言っていい。/吊るされたままでは十分な呼吸ができない。両足を踏ん張って伸び上がることが必要だ。そうすると両足に激痛が走る。そこでまた元の姿勢に戻る。そのくり返しだった。そのため息を吸うのを反射的にためらうようになる。それにつれて呼吸の量が低下するというわけだ。》
 同情される場合は、足の脛骨を折ったり、脇腹を刺したりして苦痛を短縮されるが、そうでないと、苦痛は長引き、鳥や虻や蠅なども襲ってくる。

 情けないのは、逮捕の瞬間、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。十字架の刑を見守ったのも、ガリラヤから付き従ってきた女性の支援者たちだった。
 マルコが弟子たちに対して批判的な見方をしていることは、多くの人が認めるところである。マルコを編んだ人々は、イスラエルの地理を間違えていることもあって、イスラエル外の「離散(ディアスポラ)」ユダヤ人だったと推測する人もいる。しかし、マタイもルカも、死刑における弟子の行動に関するマルコの記述に異を唱えていない。後の活動に関する伝承などを見ても、どうしても弟子が「しょぼい」ことは否定できない。これは悲しいことであるが、イエスの落ち度であると言えるかもしれない。

 イエスは朝の九時頃に十字架に掛けられ、午後の三時頃には死亡したと伝えられている。通常よりは早く死亡したようで、ピラトが「何? もう死んだのか」と驚いたとある。死を予測してほぼ断食状態だったのかもしれない。徹夜の尋問で疲労困憊になり、十字架の柱木を背負えなかったという記述もある。ともあれ、長引かなかったことはせめてもの救いだろう。
 十字架上の言葉については、3つの福音書とも、ばらばらの記述をしている。
 まあ、これもイエスの死を飾ろうとする創作が入っているし、そもそも十字架上では窒息するくらいの状態だから、そうたくさんの言葉が話せたとは思えない。ルカのように隣の十字架の「強盗」たちと天国をめぐる会話をしたというのは、まあ無理だろう。というよりこういう書き方をすると十字架刑の残酷さが薄らいでしまうわけで、脳天気なルカらしい「ひいきの引き倒し」とも言える。
 3福音書とも記し、最も有名な言葉が、次のものである(細かい語句の考証は省略)。
 「エリ、エリ、ラマ・サバクタニ」
 「神よ、神よ、何ゆえに我を見捨て給うや」というもので、旧約聖書・詩篇22の冒頭の句である。神様、どうして私を見捨てたのですか。
 で、これをめぐってはさかんに議論がなされている。一方でイエスの絶望と怒りを素直に伝えたものだとする説があり、もう一方ではこの詩篇の最後は神への讃美で終わっているので、それを伝えようとしたとする説がある。
 どちらでしょう。さあ……

 イエスの死体はアリマタヤのヨセフが引き取って、亜麻布(あの「トリノの聖骸布」伝説のもとになった布)にくるみ、真新しい墓(洞窟型の集合墓だが、まだ誰も入っていないということ)に納められた。そしてその入り口は転がし式の大きな石の丸扉で封じられた。
 ここから「復活物語」が始まるわけだが、前も言ったように、マルコは、マグダラのマリアらが次の日行ってみると、遺体がなくなっており、天使のような若者が一人いて「イエスは復活したよ」と語ったとだけある。16:9以降は後世の付加である。
 この復活については別に考えることにする。

      *      *      *

 イエスは、早くから自分が殺されることを知っていた。そして、それが残酷な十字架刑であることも。これがここでの立場である。予知というものは、多くは他人のことに関するものだが、中には自分の近未来を予知する場合もある。
 そしてイエスはさらに知っていた。残虐な死の後、自分が「復活」することを。
 その一連の出来事が、自分の前に差し出された杯だった。そして彼はそれを飲んだ。

 最初の頃の「復活予言」は、「三日後に復活する」という単純なものであった。ところが、次第に予言の内容はエスカレートしていく。
 まずは、自分が復活する時、神の王国が到来するのだという予言である。
 「本当にはっきりとあなた方に告げる。ここに立っている者の中には、神の王国が力をもって来るのを見るまでは決して死を味わわない者たちがいる」(マルコ9:1、マタイ16:28、ルカ9:27)
 もうすぐだぞ、という断言である。
 そして次にはメシアとなって復活するという予言。
 「人々は、人の子が大いなる力と栄光を伴って雲のうちに来るのを見るだろう。その時、彼は自分のみ使いたちを遣わし、四方の風から、地の果てから天の果てまで、自分の選ばれた者たちを集め寄せるだろう。」(マルコ13:26-27、マタイ24:30-31、ルカ21:27-28)
 この予言はいわゆる「共観黙示録」の強烈な終末のビジョンとともに語られているが、これはいささかおかしい。復活は三日後であるのに、終末のビジョンは延々と続く災厄の日々だからである。もともと別のところで語られた「終末とメシアの到来」の説教が、ここでまとめられてしまったと考えるしかない。
 大祭司の尋問では「お前はメシアなのか」と尋ねる大祭司に対して、イエスは「あなた方は人の子が力ある方の右に座り、天の雲と共に来るのを見るだろう」と答えたとある(マルコ14:62、マタイ26:64、ルカは採っていない)。どこまで信憑性があるかはわからないが、イエスはもう有罪になることがわかっていたから、何を弁明する必要もなかっただろうし、この悪党(大祭司カイアファ)を一発恐怖させてやろうとこの程度のことを言った可能性はある。

 もうすぐメシアがやってくる。それはバプテスマのヨハネが宣言したことであり、イエスもそのビジョンを見ていた。「悔い改めよ、神の国は近づいた」は単なる教理的な脅しではない。民衆の多くも、またこの終末的な空気の中にいた。
 だが、ここでイエスは、「自分が復活し、終末をもたらしにやってくるのだ」と宣言している。
 こうイエスは思っていたのか。こう言ったのか。

 おそらくそうだと思う。結果論から言えば、この予言は成就しなかった。後ほど改めて見るが、「実際の復活」とこのイエスの予言はずれがある。そこでいろいろな再解釈の議論が生まれた。
 むしろ普通に「三日後に復活する」という言葉だけ記録しておけば、それは一応成就したことになり、安泰である。(ルカが大祭司への「雲とともに云々」の答えを省いたのはそうした配慮だろう)。
 それなのにこうした言葉が残されたことを考えれば、イエスは、最後のエルサレム滞在中、このことを繰り返し言っていたとしか思えない。

      *      *      *

 イエスは予見していた。自分が衆目の中で虐殺されることを。そして三日後に復活することを。
 そして、それが「啓示された使命」であると捉え、自らがその使命を果たすことを受け入れていた。
 しかし、それは、一次イエス、あのガリラヤでのどやかに治病・宣教をしていたイエスの願いではなかった。あの頃イエスが願ったのは、彼と弟子の活動が大きな波となり、「地上に火をもたらす」ことであった。神の秩序に生きる人々が続々と生まれ、地上のすべての仕組みが大変革されることであった。
 だがイエスに別の使命が委ねられた。自らの命と尊厳を捨てて、ある巨大な啓示を与えるという使命を。
 イエスはそれに従った。だが、厭う気持ちもあった。最初のビジョンの後、ガリラヤで人目を避けたのは、まだ心の整理が着いていなかったからだろう。
 以後、使命に向かって進んでいく決意と、彼のもともとの願いとの間の葛藤は、強まっていく。
 受難物語のイエスは、素直に読めば、かなり「行ってしまって」いる。わざわざロバでエルサレムに入ったり、咎のないイチジクを呪って枯らしたり、神殿の屋台をひっくり返したり、パンと葡萄酒を自分の体と血だと言ってみたり、ユダに八つ当たりしたり……
 もちろん創作も多分に入っているのだろうが、イエスがかなり常軌を逸した行為をしたことは事実なのではないか。
 個人的な意見だが、一番ひどいのはパンと葡萄酒の話だと思う。イエスは自分が残虐に殺されるビジョンを見ていたので、その陰惨さを弟子に訴え、自らの苦しみを共にしてもらいたかったのだろう。その思いがこういうグロテスクな儀式になったわけだが、このおかげでその後世界中で奇妙な「人肉食」の儀式が繰り広げられ、それをめぐって奇矯な神学論争が起こったことを考えると、ちょっとこれはどうかと思わざるを得ない。おまけにこのことは彼の死の意味を別の解釈に逸らせてしまうということにもなった。それは贖罪のための犠牲の子羊という神学なのだが、それについては後述する。

 こうした文脈で考えると、「俺は雲に乗って帰ってきて、正しい信仰を持っている人間を集めるぞ」という宣言は、このおぞましい使命に突き進んでいく自分を、鼓舞するものではなかったかとも思える。わかった、俺は死んでやる。そして復活する。復活したら、絶対目にもの見せてやる。
 それはもともとのイエスの願いではなかった。十字架上の「神よ、何ゆえに我を見捨て給うや」は、ガリラヤでの美しい日々を思い返し、なぜあの延長に「神の国」がもたらされなかったのか、という「一次イエス」の恨みであったのかもしれない。

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