憑霊・霊障とその対処という問題は、理論的にはっきりと解明されているわけでもありませんし、人間の現実というのは実に様々なので、なかなか何かを言うことは難しいものです。
ただ、一般的には、心身健康で、低級で悪辣な考えを頻繁に抱いたりしなければ、むやみにそうした災難には遭わないでしょう。
《こうした存在〔未浄化霊〕は霊的欠陥のある男女にのみ憑依することをよく知っておかなければならない。自己中心的な人や意志の弱い者、無気力であったり未発達な魂は彼らに扉を開いているのと同じであるが、健康でバランスのよくとれた人々は、死の岸辺に打ち寄せられてきた仲間に対する責任や配慮の感覚をほとんどか、全く欠いた人間のカスの如き霊を寄せつけない。》(『人間個性を超えて』第17章)
《そういう憑依現象は憑依される側の“弱み”または“自由意志”によってそういう事態になることを許しているということで、それがないかぎり発生しません。》(『霊の書』第2部第8章)
《人間がその罪深き心と卑しき生活によりて同類の邪霊を引き寄せその邪性を倍加すれば、その罪は人間自らが背負わねばならぬ。邪霊たちは人間の蒔いたタネを刈り取っているに過ぎぬ。邪霊を咎める前にまず人間自らがその過ちを知らねばならぬ。魂と身体(からだ)の管理をおろそかにしたために道を間違えたのである。》(『霊訓』第3節)
要するに、ネガティブな考えばかりしていたり、邪な欲望を抱いていると、そうした波長に引き寄せられて、よからぬ霊的影響を引き込んでしまうということです。
そして、基本的な対処法とは、当人が「自らを浄め、高める」ということでしょう。
《――憑依された状態から自力で脱することは可能でしょうか。
「可能です。本気でその気になれば、いかなる束縛状態でも解くことが出来ます」》(『霊の書』同前)
「本気でその気になる」のは、確かになかなか難しいことではありますが、生活や環境を浄め、心身を浄め、霊的な本を読んで正しい知識を得、自らを高めようと祈れば、よっぽどのものでない限り、自分で解決することができるということでしょう。
* * *
ふざけた気持ちで“心霊スポット”へ行って、変な目に遭うのは、自業自得で、何をか言わんやです。それを煽って見せ物にしたりする輩も、いいことにはならないと思います。礼儀・敬意・畏怖のない人間には、誰だって――霊であっても――「ちょっと痛い目に遭わせてやろうか」くらいのことは思うものでしょう。
そういった不逞の輩は別にして、通常の生活をしていて何か霊的な干渉を受けたとしたら、それは“何らかの意図”があるのかもしれません。
霊的文化が強く残る沖縄では、今でも「ユタ」が生まれています。霊能者ですから、遺伝的要素が大きく影響しますが、必ずしも血族継承というわけでなく、一般の家系からも誕生することはあるようです。
このユタが、自らの霊能力に目覚める時に、「神ダーリ」と呼ばれる憑霊・霊障現象が起こります。強迫夢、幻視・幻聴、そして様々な心身症のような症状が出現するわけです。こうした状態が一定期間続き、その間、先輩ユタの指導を受けて、特定の霊格としっかりした結びつきができると、症状は治まります。最初の霊障現象から安定するまで、かなりの時間がかかることも多く、その間は非常に苦しいと言われています。いわゆる「巫病」です。
人間の通常の意識からすれば、しんどいことですけど、何らかの霊的なプログラムがあるのなら、致し方ないのかもしれません。
霊縁による霊障といったもの――当人の自滅によるものでないもの――は、ある意味では、その人に霊的な世界を気づかせる契機なのかもしれません。良くない譬えですけど、「死んだらおしまい」と思っていた人に、ちょっとしたことが起こり、お墓参りをするようになった(よくある話です)というのは、必ずしも死者霊の祟りではなく、何かがその人に「気づき」を与えようとしているのかもしれません。
そうしたことによって「ああ、魂というのはあるのかもしれないなあ」と思えるようになったのなら、多少のことはあったにせよ、それはむしろ「恩寵」なのではないでしょうか。
だとしたら、単に「何か変」と思い、霊能者を頼ってお祓いしてもらって「ああこれで済んだ」と解決してしまう(当人が何も変わらない)のはよろしくないことになるでしょう。
「霊の悪影響」をことさらに言い立てるのは、「心理的抵抗」であって、人の目を霊的な問題から逸らせようという「何か大きな力」の一環だとも言えます。
確かに霊的存在の中にはよからぬ影響を与えるものもいるでしょうが、それを言えば人間だって同じもの。いや、むしろ人間の方が恐いかもしれません。人間が恐いから外に出ないという人はほとんどいないわけで、霊的存在だけを無闇に恐がるのは変でしょう。
憑霊・霊障といった問題は、知見が少ないだけに、なかなか真正面に向き合うことが難しいものですが(霊能者はそれぞれ主観的なことを言うようですが)、無闇に恐ろしがったり、おぞましいものと捉えたりせず、理性と道徳性を保ちつつ、対応していくのがよいのではないかと思います。
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