平成26年10月17日(金)
穴沢の頭1,983.2m、松峰2,077m、地蔵岳2,370.7m
御嶽山が噴火した日に阿弥陀岳南稜に登り、その後は10月になって毎週台風が来たせいもあるが、妻と2週続けて旅行や東京の美術館に行ったりして山はお休みだった。今年の紅葉は夏場に晴れて雨が多く、秋になると急に冷え込んできたので色付きが良い様だし、例年より早く進んでいる。関東近辺で見ると1,500m位が見頃といった感じか。このところ遠出ばかり続いているが、まだアルプス方面でも登れそうだ。とは言え3,000m級は新雪の便りもある。普通に道のある山が続いていたので、今回はしばらく前から計画していた南アルプス仙丈ヶ岳の古い登山ルートの途中にある薮山に登ることにした。
現在の仙丈ヶ岳登山口である北沢峠に向かう旧長谷村の戸台口から大鹿寄りに少し進んだ市野瀬集落の一段上に柏木という山上の小さな集落がある。そこから延々と尾根が続いて、仙丈ヶ岳まで道が繋がっている。仙丈ヶ岳まで一日で往復することも日が長い時期なら可能だろうが、標高差が1900mもあるのでかなりのハードピストンだ。昔は仙丈ヶ岳に直接登るルートとして利用されていたようだが、メインのルートではなかったのだろう。丁度中間地点には松峰小屋という無人小屋がある。このルート上には穴沢の頭、松峰、地蔵岳、丸山谷の頭という名前が付いた幾つかのピークがあるが、ルートは全ての頂上を巻いている。ネットではこれらのピークを踏んでいる記録が幾つか散見された。今の時期は日が短くて、こんなロングピストンも厳しいとは思うが、丸山谷の頭まで行ければ良いけど、地蔵岳までなら何とか大丈夫だろうというくらいの気分だった。
木曜の夕方、仕事を終えてそのまま登山口に向かった。何時ものコースで、内山、麦草、杖立と峠を越えて高遠から長谷に向かう。戸台口の先、入野谷という生涯学習施設(宿泊入浴施設)の手前から橋を渡って、そのまま柏木集落までジグザグに上る。この集落に入って上り詰めた所に水道施設があり、その手前に『仙丈ヶ岳駐車場』があった(集落に入ると道が3つに分かれているが、左に折れる道がその道、真ん中は直ぐに行き止まり、右はずっと上まで続く専用林道の入口)。何時もながらこの方面は遠いので11時を回ってしまった。登山口の駐車場は個人が土地を借りて登山者用に供用していると看板に書かれてあり、大変奇特なことだと感心した。登山者をあまり快く思わない山里の人もいる中で、おそらくこの提供者は山が好きな方なのだろうと勝手に解釈した。一応テープで場所割りがあって、5台分のスペースがある弓形の駐車場だった。満天の星空で、この時期としてはかなり冷え込んでいる。途中の麦草峠では車外1℃と温度計が指していたから、初冬の様な冷え込みだ。今回から冬用のシュラフを積んできた。アラームを5時半にセットしてシュラフに潜った。6時出発ではやや遅いとは思うが、そのくらいにならないと明るくならなくなった。
5時半に目覚める。かなり冷え込んでいるので直ぐにシュラフから出られない。ゆっくり支度をしてパンを食べ、6時17分に出発する。道は水道施設の上から標識に従って左折し、トラバースするような感じで水平移動する。あちこちにある看板から『孝行猿の碑』というものがこの先にあるらしい。真っ直ぐ進んでいく林道にも孝行猿と示されていたが、『仙丈ヶ岳登山道』は左を差していた。先に進んで畑がシカ囲いされたところに再び標識があり、『孝行猿の碑』へはここから上に向かう様に示されている。これからすると、最初の分岐にあった標識は、車道は右、歩道は左ということらしかった。青山学院大WVと書かれた錆びたプレートが木に打ち付けられている。錆びていてよく読めないが、松峰、地蔵岳、仙丈ヶ岳と書かれていたようなので、地蔵尾根の案内のために付けられたものらしい。こんなものが有るところを見ると、往時からこのルートは余りポピュラーなものでは無かったのだろう。それはそうと、群馬辺りではM大の青プレートを良く見るが、南アルプス周辺では青学WVの古いプレートを良く見る。
見下ろす集落の向こうには三峰川対岸の戸倉山が紅葉して台形に大きく聳えて見えている。明日はあちらから今日登っているこの尾根を見てみよう。この分岐から落葉松林の中、掘割のような道を緩く上っていく、しばらくすると『孝行猿200m』とあり、林道を横切る。更に緩く登っていった先に孝行猿の石碑があった。説明書きによれば、戦前の教科書に取り上げられて当時は有名だった『孝行猿の物語』の舞台になったのがこの辺り(柏木集落)なのだとある。鉄砲に撃たれて死んだ親ザルの手を一生懸命温める3匹の子ザルの話ということだ。親孝行を尊ぶことを暗に示唆したくてこの様な題材を載せたものだろうが、サルの習性からするとこの話は眉唾物と言う気がしないでもない。しかし、一方では昔日の日本人の心を偲ばせる悲しく美しい話でもある。この物語は実話として紹介され、語り元の家も柏木集落には現存するらしい。
詳しくは(http://www.cbr.mlit.go.jp/mibuso/siryou_kan/05saru.html)
孝行猿の石碑の先でまた林道を横切る。その都度「仙丈ヶ岳・市野瀬」と方向表示された立派な標識がある。この先、落葉松の尾根がずっと続き、都合4回林道を横切った。この林道は林業専用林道ということだが、かなりフラットで良い道なので四駆でなくても走れそうだ。実際林道工事の作業員を乗せた乗用車が行き来していた。現在は穴沢の頭(1,983.2m)の先、約1900mの所が終点になっていて、更にそこから穴沢の頭を東に回りこんでいく所が工事中だった。柏木集落の駐車場が標高1140mだから、1900mの林道終点まで車で上れば760mの標高差を時短できるが、ここは専用林道で残念ながら開放されることも無いようだ。(入口にゲートが無いので通行することは可能?)
最後に林道に出ると、しばらくはそのまま林道を歩いて林道工事のプレハブ詰め所のところからまた登山道になる。林道からは眺めが良く、正面に中央アルプスの山並みがずらりと並んで、登ってきた尾根がうねうねと下っている。もう戸倉山もここより低くなって見下ろす様な形になった。周辺はブナを中心にした落葉樹で、モミジの赤も混じってこの辺りの紅葉は見ごろになっていた。
工事関係者が作ったと思われる案内標識が、林道で分断された登山道を案内している。さて、地図によればこの先に見える黄葉の小山辺りが穴沢の頭の様だ。林道から直登すると、木造の壊れかけた雨量計小屋らしいものの残骸があって、踏み跡も分からなくなる。踏み跡に見えるものを良く見るとシカの糞が沢山落ちているので、これはケモノ道だろう。見当をつけた高みに登って見たが、頂上には倒木の他には何も無かった。一旦下って、林道下に平行している登山道を進むと、先に見える小山2つを過ぎた鞍部から、戻るような形で最初の小山に登るが、ここにも何も無かった。こんな無駄足を踏むのなら、穴沢の頭は帰りに踏んでも良いのだが、帰りは時間的にどうなるか分からないので、行きに全てのピークを踏んでおくことにした。結局、その先の最後に登った小山が穴沢の頭だったので、2つばかり無駄なピークを登ったことになった。穴沢の頭に9時30分に着いた。木々に囲まれて眺めもないが、三等三角点標石が細いシラビソなどの間にぽつんとあった。登山道からピークまでは落葉松林の中で、薮も無くどこでも歩けるが、探し回った分の時間をロスした(今日はGPSを持たない)。穴沢の頭の直ぐ下を走る林道に降りると、行く手に高く新雪を頂いた仙丈ヶ岳が現れた。とてもあそこまで日帰りでピストンという気分には成れない程、そこは遥かに遠く高く見えた。
登山道に戻ると、黄葉に彩られた三角型の山が直ぐ向こうに見える。これが松峰に違いない。この辺りからは、下からあったピンクテープの他に赤丸ペンキ印なども見られる。ここまでの登山道にはマーキングもうるさい位あって、迷う様なことはない。しばらく平坦に進んでから、松峰はほぼ1900mのコンター沿いに南側を巻いていくようになった。地図に依れば、松峰には2つピークがあって、東側のピークに三角点があるようだ。松峰を巻く道は草丈が高く、道型はハッキリしているものの、半ば草に埋もれていた。途中の道の上に新鮮なクマの糞があった。今しがたしたばかりといった感じで、臭いも新鮮なので、つい周囲を見渡してしまう。これを見た後は、ザックに括りつけたベルをなるべく大きく鳴る様にザックを振りながら歩いていく。
穴沢の頭から松峰に移る辺りで尾根は南に大きく折れるので、振り返ると登ってきた尾根が正面に見下ろせる。大分うねうねと遠くに延びて、手前の稜線(穴沢の頭付近)の下に低く遠く戸倉山が見えていた。ここまででも随分歩いた感じだ。標高差的には800mくらいは稼いでいる。ここから南の展望があるので良く見ると、見覚えのある双耳峰、二児山が大きくシルエットになって見えていた。そこから続く稜線の果てには塩見岳が高く、長く続く途中の小黒山や樺山等の稜線は去年歩いた所なので起伏の1つ1つにも思い当たるところがあり懐かしかった。
松峰を巻き終わって鞍部に出ると、ここもテープ類が賑やかだ。ここから反対側に緩く落葉松の斜面を登り返す。頂上への踏跡は見当たらない。頂上付近は若干倒木がうるさいが大したこともなく、10時28分に松峰山頂に着いた。シラビソの木にkumoの松峰標識が健在だった。大分疲れてきたので、ここで少し休もうかと思っていたが、細い潅木が茂る薮の中で休むような場所でもないので直ぐに下る。
松峰を巻き終わった登山道から先を見ると、行く手には今までの穴沢の頭や松峰といった黄葉の小山という雰囲気とは異なった黒木の大きな山が立ちはだかる。これが地蔵岳で、そこまでの稜線の途中には2,087mの小さなピークもある。2,087mピークを下ってから地蔵岳には350mばかり登り返すことになる。2,087mの小ピーク辺りまで来たら、朝から眠くて仕方が無かったのに疲れが加わり、しばらく横になって眠ってしまった。20分くらい眠って、目が覚めてから歩き出したら、あろうことか元来た方に戻っていた。来た方角と反対側に向いて横になったのが原因だろう。目が覚めてから来た方角を錯覚してしまった。しばらく歩いてから、延々と下っているのでおかしい、地蔵岳には登るはずだが…で、気がついた。見覚えのある倒木がそこに横たわっていた。ここでも往復30分のロスで、眠った時間も合わせると50分近くロスしている (これも今回目的地まで行けなかった原因の一つか)。引き返して下りきったら、ようやく松峰小屋分岐に出た。松峰小屋まで100mということなので、ここは帰りに降りることにして先に進む。
松峰を巻く所で南から東に方向転換した道は2,087mピークでまた南に方角を変える。この様にこの尾根は南に東にまた南にとピークを巻く度に進行方向を変えるので錯覚に陥り易い。地蔵岳の登りも見えていた感じとは違う方向から尾根に登っていく様になるが、かなりきつい登りだ。コメツガが鬱蒼と茂った樹床は緑のビロードのように苔むして、これまでとは随分違ってようやく南アルプスの原生林と言った感じになってきた。登り一辺倒だったものが、2,200mコンター辺りからは山頂部分を巻き始める。地図を見ると地蔵岳の場合は北面側を巻いていくのだが、コンターの間隔が広いこちら側から頂上に登る方が、巻き終わってから登るより良いように見えるので、巻き始めの地点から頂上に直登する。苔むした斜面には岩も散在して倒木もあり、深山も佳境に入ってきた感じがある。
登りついた山頂部は意外に広く、目にしただけでも幾つもの高まりがあった。最初に登りついた北側の高まりには頂上を示すようなモノは何も無く、シラビソの倒木が折り重なっている。行く手東側にもっと高い所があるのでそこまで行ってみたが、何も無い。地図や記録の写しを出して見ると、ここにはちゃんと三角点があるようだ。頂上部は南に長く延びているが、地図を良く見ると三角点の位置はそちら側にマークされている。途中倒木のジャングルを巻いて南外れまで行くと、果たして狭い薮の片隅に三等三角点がぽつんとあり、木の低い位置には『地蔵岳2371m』と書かれた黄色いプラ標が付いていた。地蔵岳山頂に1時21分に着いた。周囲を良く見渡したが、ネットの記録ではここにあったらしいkumoの標識は既に見当たらなかった。薮の先が明るく見えるのでそこまで行ってみると、木々の先が切れ落ちた斜面になっていて、窓の様に西や南の方角の景色が見えた。やや霞んできた南に二児山から小黒山・塩見岳への稜線、西方向には頂上部の雲が取れた中央アルプスと低い伊那山脈の山並みが見えていた。
地蔵岳到着が大分遅くなってしまった。今日はもう丸山谷の頭までは難しいだろう。しかし、地蔵岳と丸山谷の頭の間にある石灰岩のピーク(2400m峰)まで登れば仙丈ヶ岳が見えるかもしれない。ここに到る途中で木々越しの、あるいは遥か遠くに新雪の仙丈ヶ岳を見たが、ここまで登ったのだからぜひ間近に仰いで見ておきたかった。そんなことから時間も押してきているが、丸山谷の頭方向に下っていく。樹相はシラビソが中心になってきて、まだ樹林帯ながら大分アルプスらしさが漂う様になった。地蔵岳から先は、これまでよりも道型がはっきりとしてきた。相変わらずテープ類はうるさいくらいだが、松峰から地蔵岳辺りと比べるとしっかりした普通の登山道と言った感じになった。地蔵岳の下りはあっという間で、疎らな木々越しに南方面の展望が時々見える。稜線沿いのシラビソは枯れて、白骨の様なものも多い。丸山谷の頭との中間峰(2,400m)は南側が石灰岩の岩壁になっている。頂上間近で切れ落ちた斜面に出て南や西の展望が広がる。ここは今日一番の展望スポットだったが、残念ながら仙丈はここから見えない。登りついた2400mピークの山頂も西側は展望が広がっているが、その他は木に囲まれて眺めが無い、わずかに木々の間から北側の鋸岳と仙丈ヶ岳の馬の背辺りが見えた。ここでもう1時47分になっている。丸山谷の頭側に下っていくと行く手の仙丈は木のスリット越しには見えているが…更に下っていくと、東側に木々の無い崩壊斜面らしい空間がわずかに見えている。期待しながらそこまで降りて見ると、正面に丸山谷の頭にのしかかる様な、何も邪魔されない新雪の仙丈ヶ岳が大きく姿を現した。今日はここまでだ…。もう時刻は既に2時を回っている。どう考えてもタイムリミットは過ぎていた。今の時期、日が落ちるのが4時半頃で、5時を過ぎればすっかり暗くなってしまう。
新雪を頂いた仙丈ヶ岳の頂上部が手に取るように良く見えるが、ここからあそこまでは、まだ高度にして700m近くある。丸山谷の頭も直ぐそこだが、今日はそこまでは届かなかった。かなり疲労して喉が渇いていたせいもあるが、仙丈ヶ岳を見上げながらリンゴは食べられたが、コロッケパンはぼそぼそして半分も喉を通らなかった。写真を撮ると2時20分に引き返す。帰りは下りで、その上全てのピークを巻いていくので楽なのだが、どんどん下がってくる太陽と競争?の様になる。復路は遅くなっていたのだが、松峰小屋が気になって下りて様子を見てきた。中は思ったほど汚くは無いものの昔の飯場小屋みたいで、とてもここに泊まろうという気になるものではない。中に入って戸を閉めると、板塀のあちこちに穴が開いていてそこから陽が差し込んでいる。冬場はすき間風が吹き込んで寒いだろう。小屋の中でテント張るのが良い使い方かな…。松峰を巻く辺りに差し掛かると、中央アルプスの山並みの上に輝かしい太陽が最後のきらめきを見せていた。林道に出たあたりで夕暮れの気配が濃くなってきた。丁度、仕事を終えた林道工事の作業員たちが3台の車に分乗して降りていく所だった。林道から登山道と何度か交差するうちにはすっかり暗くなって、ヘッドランプを出す。陽が沈むとあっという間に暗くなるのもこの季節の特徴だ。経ヶ岳辺りに日没の最後の光の名残が見えている。落葉松林の中、次第に空気が冷たくなってきてシカの悲しげな鳴き声が静けさを際立たせていた。
孝行猿の碑辺りまで来たら、ヘッドランプの光はもう足元しか照らさない漆黒の闇になった。ライトを消すと満天の星空。柏木集落の明かりが遠くに小さく見えてきてだんだん近づいてくる。思った以上に疲労した重い脚を引きずり、ようやくのことで6時30分に駐車場に戻ってきた。ロス歩きもあったし、疲れと眠気に負けて眠り込んでしまったロスタイムもあったので、往復12時間もかかってしまった。着替えをすますと、柏木集落から国道に出て直ぐの『入野谷』に寄って入浴する。長谷村当時に作られた生涯学習施設だが、今は『ゼロ磁場の宿』ということでゼロ磁場の分杭峠がパワースポットとして人気が出ていることにあやかっている。ゼロ磁場の石を湯槽に入れて『気の湯』と名前を付けているが、もちろんここは温泉ではない。南アルプス登山口の仙流荘もただの沸かし湯だし、長谷には温泉は出ないようだ。しかし、きれいな浴槽と浴室が3つもあり、そこにその時は1人しか入浴していなかったので、ほぼ貸し切り状態で快く疲れを癒した。温泉ではないこともあり、いつもこの前を素通りしていたが、雰囲気が良くてまた入浴しても良い施設だ。
入浴後は駒ケ根に出て食事を済ませ、明日登る戸倉山の駒ケ根側登山口である戸倉キャンプ場に向かった。
穴沢の頭1,983.2m、松峰2,077m、地蔵岳2,370.7m
御嶽山が噴火した日に阿弥陀岳南稜に登り、その後は10月になって毎週台風が来たせいもあるが、妻と2週続けて旅行や東京の美術館に行ったりして山はお休みだった。今年の紅葉は夏場に晴れて雨が多く、秋になると急に冷え込んできたので色付きが良い様だし、例年より早く進んでいる。関東近辺で見ると1,500m位が見頃といった感じか。このところ遠出ばかり続いているが、まだアルプス方面でも登れそうだ。とは言え3,000m級は新雪の便りもある。普通に道のある山が続いていたので、今回はしばらく前から計画していた南アルプス仙丈ヶ岳の古い登山ルートの途中にある薮山に登ることにした。
現在の仙丈ヶ岳登山口である北沢峠に向かう旧長谷村の戸台口から大鹿寄りに少し進んだ市野瀬集落の一段上に柏木という山上の小さな集落がある。そこから延々と尾根が続いて、仙丈ヶ岳まで道が繋がっている。仙丈ヶ岳まで一日で往復することも日が長い時期なら可能だろうが、標高差が1900mもあるのでかなりのハードピストンだ。昔は仙丈ヶ岳に直接登るルートとして利用されていたようだが、メインのルートではなかったのだろう。丁度中間地点には松峰小屋という無人小屋がある。このルート上には穴沢の頭、松峰、地蔵岳、丸山谷の頭という名前が付いた幾つかのピークがあるが、ルートは全ての頂上を巻いている。ネットではこれらのピークを踏んでいる記録が幾つか散見された。今の時期は日が短くて、こんなロングピストンも厳しいとは思うが、丸山谷の頭まで行ければ良いけど、地蔵岳までなら何とか大丈夫だろうというくらいの気分だった。
木曜の夕方、仕事を終えてそのまま登山口に向かった。何時ものコースで、内山、麦草、杖立と峠を越えて高遠から長谷に向かう。戸台口の先、入野谷という生涯学習施設(宿泊入浴施設)の手前から橋を渡って、そのまま柏木集落までジグザグに上る。この集落に入って上り詰めた所に水道施設があり、その手前に『仙丈ヶ岳駐車場』があった(集落に入ると道が3つに分かれているが、左に折れる道がその道、真ん中は直ぐに行き止まり、右はずっと上まで続く専用林道の入口)。何時もながらこの方面は遠いので11時を回ってしまった。登山口の駐車場は個人が土地を借りて登山者用に供用していると看板に書かれてあり、大変奇特なことだと感心した。登山者をあまり快く思わない山里の人もいる中で、おそらくこの提供者は山が好きな方なのだろうと勝手に解釈した。一応テープで場所割りがあって、5台分のスペースがある弓形の駐車場だった。満天の星空で、この時期としてはかなり冷え込んでいる。途中の麦草峠では車外1℃と温度計が指していたから、初冬の様な冷え込みだ。今回から冬用のシュラフを積んできた。アラームを5時半にセットしてシュラフに潜った。6時出発ではやや遅いとは思うが、そのくらいにならないと明るくならなくなった。
5時半に目覚める。かなり冷え込んでいるので直ぐにシュラフから出られない。ゆっくり支度をしてパンを食べ、6時17分に出発する。道は水道施設の上から標識に従って左折し、トラバースするような感じで水平移動する。あちこちにある看板から『孝行猿の碑』というものがこの先にあるらしい。真っ直ぐ進んでいく林道にも孝行猿と示されていたが、『仙丈ヶ岳登山道』は左を差していた。先に進んで畑がシカ囲いされたところに再び標識があり、『孝行猿の碑』へはここから上に向かう様に示されている。これからすると、最初の分岐にあった標識は、車道は右、歩道は左ということらしかった。青山学院大WVと書かれた錆びたプレートが木に打ち付けられている。錆びていてよく読めないが、松峰、地蔵岳、仙丈ヶ岳と書かれていたようなので、地蔵尾根の案内のために付けられたものらしい。こんなものが有るところを見ると、往時からこのルートは余りポピュラーなものでは無かったのだろう。それはそうと、群馬辺りではM大の青プレートを良く見るが、南アルプス周辺では青学WVの古いプレートを良く見る。
見下ろす集落の向こうには三峰川対岸の戸倉山が紅葉して台形に大きく聳えて見えている。明日はあちらから今日登っているこの尾根を見てみよう。この分岐から落葉松林の中、掘割のような道を緩く上っていく、しばらくすると『孝行猿200m』とあり、林道を横切る。更に緩く登っていった先に孝行猿の石碑があった。説明書きによれば、戦前の教科書に取り上げられて当時は有名だった『孝行猿の物語』の舞台になったのがこの辺り(柏木集落)なのだとある。鉄砲に撃たれて死んだ親ザルの手を一生懸命温める3匹の子ザルの話ということだ。親孝行を尊ぶことを暗に示唆したくてこの様な題材を載せたものだろうが、サルの習性からするとこの話は眉唾物と言う気がしないでもない。しかし、一方では昔日の日本人の心を偲ばせる悲しく美しい話でもある。この物語は実話として紹介され、語り元の家も柏木集落には現存するらしい。
詳しくは(http://www.cbr.mlit.go.jp/mibuso/siryou_kan/05saru.html)
孝行猿の石碑の先でまた林道を横切る。その都度「仙丈ヶ岳・市野瀬」と方向表示された立派な標識がある。この先、落葉松の尾根がずっと続き、都合4回林道を横切った。この林道は林業専用林道ということだが、かなりフラットで良い道なので四駆でなくても走れそうだ。実際林道工事の作業員を乗せた乗用車が行き来していた。現在は穴沢の頭(1,983.2m)の先、約1900mの所が終点になっていて、更にそこから穴沢の頭を東に回りこんでいく所が工事中だった。柏木集落の駐車場が標高1140mだから、1900mの林道終点まで車で上れば760mの標高差を時短できるが、ここは専用林道で残念ながら開放されることも無いようだ。(入口にゲートが無いので通行することは可能?)
最後に林道に出ると、しばらくはそのまま林道を歩いて林道工事のプレハブ詰め所のところからまた登山道になる。林道からは眺めが良く、正面に中央アルプスの山並みがずらりと並んで、登ってきた尾根がうねうねと下っている。もう戸倉山もここより低くなって見下ろす様な形になった。周辺はブナを中心にした落葉樹で、モミジの赤も混じってこの辺りの紅葉は見ごろになっていた。
工事関係者が作ったと思われる案内標識が、林道で分断された登山道を案内している。さて、地図によればこの先に見える黄葉の小山辺りが穴沢の頭の様だ。林道から直登すると、木造の壊れかけた雨量計小屋らしいものの残骸があって、踏み跡も分からなくなる。踏み跡に見えるものを良く見るとシカの糞が沢山落ちているので、これはケモノ道だろう。見当をつけた高みに登って見たが、頂上には倒木の他には何も無かった。一旦下って、林道下に平行している登山道を進むと、先に見える小山2つを過ぎた鞍部から、戻るような形で最初の小山に登るが、ここにも何も無かった。こんな無駄足を踏むのなら、穴沢の頭は帰りに踏んでも良いのだが、帰りは時間的にどうなるか分からないので、行きに全てのピークを踏んでおくことにした。結局、その先の最後に登った小山が穴沢の頭だったので、2つばかり無駄なピークを登ったことになった。穴沢の頭に9時30分に着いた。木々に囲まれて眺めもないが、三等三角点標石が細いシラビソなどの間にぽつんとあった。登山道からピークまでは落葉松林の中で、薮も無くどこでも歩けるが、探し回った分の時間をロスした(今日はGPSを持たない)。穴沢の頭の直ぐ下を走る林道に降りると、行く手に高く新雪を頂いた仙丈ヶ岳が現れた。とてもあそこまで日帰りでピストンという気分には成れない程、そこは遥かに遠く高く見えた。
登山道に戻ると、黄葉に彩られた三角型の山が直ぐ向こうに見える。これが松峰に違いない。この辺りからは、下からあったピンクテープの他に赤丸ペンキ印なども見られる。ここまでの登山道にはマーキングもうるさい位あって、迷う様なことはない。しばらく平坦に進んでから、松峰はほぼ1900mのコンター沿いに南側を巻いていくようになった。地図に依れば、松峰には2つピークがあって、東側のピークに三角点があるようだ。松峰を巻く道は草丈が高く、道型はハッキリしているものの、半ば草に埋もれていた。途中の道の上に新鮮なクマの糞があった。今しがたしたばかりといった感じで、臭いも新鮮なので、つい周囲を見渡してしまう。これを見た後は、ザックに括りつけたベルをなるべく大きく鳴る様にザックを振りながら歩いていく。
穴沢の頭から松峰に移る辺りで尾根は南に大きく折れるので、振り返ると登ってきた尾根が正面に見下ろせる。大分うねうねと遠くに延びて、手前の稜線(穴沢の頭付近)の下に低く遠く戸倉山が見えていた。ここまででも随分歩いた感じだ。標高差的には800mくらいは稼いでいる。ここから南の展望があるので良く見ると、見覚えのある双耳峰、二児山が大きくシルエットになって見えていた。そこから続く稜線の果てには塩見岳が高く、長く続く途中の小黒山や樺山等の稜線は去年歩いた所なので起伏の1つ1つにも思い当たるところがあり懐かしかった。
松峰を巻き終わって鞍部に出ると、ここもテープ類が賑やかだ。ここから反対側に緩く落葉松の斜面を登り返す。頂上への踏跡は見当たらない。頂上付近は若干倒木がうるさいが大したこともなく、10時28分に松峰山頂に着いた。シラビソの木にkumoの松峰標識が健在だった。大分疲れてきたので、ここで少し休もうかと思っていたが、細い潅木が茂る薮の中で休むような場所でもないので直ぐに下る。
松峰を巻き終わった登山道から先を見ると、行く手には今までの穴沢の頭や松峰といった黄葉の小山という雰囲気とは異なった黒木の大きな山が立ちはだかる。これが地蔵岳で、そこまでの稜線の途中には2,087mの小さなピークもある。2,087mピークを下ってから地蔵岳には350mばかり登り返すことになる。2,087mの小ピーク辺りまで来たら、朝から眠くて仕方が無かったのに疲れが加わり、しばらく横になって眠ってしまった。20分くらい眠って、目が覚めてから歩き出したら、あろうことか元来た方に戻っていた。来た方角と反対側に向いて横になったのが原因だろう。目が覚めてから来た方角を錯覚してしまった。しばらく歩いてから、延々と下っているのでおかしい、地蔵岳には登るはずだが…で、気がついた。見覚えのある倒木がそこに横たわっていた。ここでも往復30分のロスで、眠った時間も合わせると50分近くロスしている (これも今回目的地まで行けなかった原因の一つか)。引き返して下りきったら、ようやく松峰小屋分岐に出た。松峰小屋まで100mということなので、ここは帰りに降りることにして先に進む。
松峰を巻く所で南から東に方向転換した道は2,087mピークでまた南に方角を変える。この様にこの尾根は南に東にまた南にとピークを巻く度に進行方向を変えるので錯覚に陥り易い。地蔵岳の登りも見えていた感じとは違う方向から尾根に登っていく様になるが、かなりきつい登りだ。コメツガが鬱蒼と茂った樹床は緑のビロードのように苔むして、これまでとは随分違ってようやく南アルプスの原生林と言った感じになってきた。登り一辺倒だったものが、2,200mコンター辺りからは山頂部分を巻き始める。地図を見ると地蔵岳の場合は北面側を巻いていくのだが、コンターの間隔が広いこちら側から頂上に登る方が、巻き終わってから登るより良いように見えるので、巻き始めの地点から頂上に直登する。苔むした斜面には岩も散在して倒木もあり、深山も佳境に入ってきた感じがある。
登りついた山頂部は意外に広く、目にしただけでも幾つもの高まりがあった。最初に登りついた北側の高まりには頂上を示すようなモノは何も無く、シラビソの倒木が折り重なっている。行く手東側にもっと高い所があるのでそこまで行ってみたが、何も無い。地図や記録の写しを出して見ると、ここにはちゃんと三角点があるようだ。頂上部は南に長く延びているが、地図を良く見ると三角点の位置はそちら側にマークされている。途中倒木のジャングルを巻いて南外れまで行くと、果たして狭い薮の片隅に三等三角点がぽつんとあり、木の低い位置には『地蔵岳2371m』と書かれた黄色いプラ標が付いていた。地蔵岳山頂に1時21分に着いた。周囲を良く見渡したが、ネットの記録ではここにあったらしいkumoの標識は既に見当たらなかった。薮の先が明るく見えるのでそこまで行ってみると、木々の先が切れ落ちた斜面になっていて、窓の様に西や南の方角の景色が見えた。やや霞んできた南に二児山から小黒山・塩見岳への稜線、西方向には頂上部の雲が取れた中央アルプスと低い伊那山脈の山並みが見えていた。
地蔵岳到着が大分遅くなってしまった。今日はもう丸山谷の頭までは難しいだろう。しかし、地蔵岳と丸山谷の頭の間にある石灰岩のピーク(2400m峰)まで登れば仙丈ヶ岳が見えるかもしれない。ここに到る途中で木々越しの、あるいは遥か遠くに新雪の仙丈ヶ岳を見たが、ここまで登ったのだからぜひ間近に仰いで見ておきたかった。そんなことから時間も押してきているが、丸山谷の頭方向に下っていく。樹相はシラビソが中心になってきて、まだ樹林帯ながら大分アルプスらしさが漂う様になった。地蔵岳から先は、これまでよりも道型がはっきりとしてきた。相変わらずテープ類はうるさいくらいだが、松峰から地蔵岳辺りと比べるとしっかりした普通の登山道と言った感じになった。地蔵岳の下りはあっという間で、疎らな木々越しに南方面の展望が時々見える。稜線沿いのシラビソは枯れて、白骨の様なものも多い。丸山谷の頭との中間峰(2,400m)は南側が石灰岩の岩壁になっている。頂上間近で切れ落ちた斜面に出て南や西の展望が広がる。ここは今日一番の展望スポットだったが、残念ながら仙丈はここから見えない。登りついた2400mピークの山頂も西側は展望が広がっているが、その他は木に囲まれて眺めが無い、わずかに木々の間から北側の鋸岳と仙丈ヶ岳の馬の背辺りが見えた。ここでもう1時47分になっている。丸山谷の頭側に下っていくと行く手の仙丈は木のスリット越しには見えているが…更に下っていくと、東側に木々の無い崩壊斜面らしい空間がわずかに見えている。期待しながらそこまで降りて見ると、正面に丸山谷の頭にのしかかる様な、何も邪魔されない新雪の仙丈ヶ岳が大きく姿を現した。今日はここまでだ…。もう時刻は既に2時を回っている。どう考えてもタイムリミットは過ぎていた。今の時期、日が落ちるのが4時半頃で、5時を過ぎればすっかり暗くなってしまう。
新雪を頂いた仙丈ヶ岳の頂上部が手に取るように良く見えるが、ここからあそこまでは、まだ高度にして700m近くある。丸山谷の頭も直ぐそこだが、今日はそこまでは届かなかった。かなり疲労して喉が渇いていたせいもあるが、仙丈ヶ岳を見上げながらリンゴは食べられたが、コロッケパンはぼそぼそして半分も喉を通らなかった。写真を撮ると2時20分に引き返す。帰りは下りで、その上全てのピークを巻いていくので楽なのだが、どんどん下がってくる太陽と競争?の様になる。復路は遅くなっていたのだが、松峰小屋が気になって下りて様子を見てきた。中は思ったほど汚くは無いものの昔の飯場小屋みたいで、とてもここに泊まろうという気になるものではない。中に入って戸を閉めると、板塀のあちこちに穴が開いていてそこから陽が差し込んでいる。冬場はすき間風が吹き込んで寒いだろう。小屋の中でテント張るのが良い使い方かな…。松峰を巻く辺りに差し掛かると、中央アルプスの山並みの上に輝かしい太陽が最後のきらめきを見せていた。林道に出たあたりで夕暮れの気配が濃くなってきた。丁度、仕事を終えた林道工事の作業員たちが3台の車に分乗して降りていく所だった。林道から登山道と何度か交差するうちにはすっかり暗くなって、ヘッドランプを出す。陽が沈むとあっという間に暗くなるのもこの季節の特徴だ。経ヶ岳辺りに日没の最後の光の名残が見えている。落葉松林の中、次第に空気が冷たくなってきてシカの悲しげな鳴き声が静けさを際立たせていた。
孝行猿の碑辺りまで来たら、ヘッドランプの光はもう足元しか照らさない漆黒の闇になった。ライトを消すと満天の星空。柏木集落の明かりが遠くに小さく見えてきてだんだん近づいてくる。思った以上に疲労した重い脚を引きずり、ようやくのことで6時30分に駐車場に戻ってきた。ロス歩きもあったし、疲れと眠気に負けて眠り込んでしまったロスタイムもあったので、往復12時間もかかってしまった。着替えをすますと、柏木集落から国道に出て直ぐの『入野谷』に寄って入浴する。長谷村当時に作られた生涯学習施設だが、今は『ゼロ磁場の宿』ということでゼロ磁場の分杭峠がパワースポットとして人気が出ていることにあやかっている。ゼロ磁場の石を湯槽に入れて『気の湯』と名前を付けているが、もちろんここは温泉ではない。南アルプス登山口の仙流荘もただの沸かし湯だし、長谷には温泉は出ないようだ。しかし、きれいな浴槽と浴室が3つもあり、そこにその時は1人しか入浴していなかったので、ほぼ貸し切り状態で快く疲れを癒した。温泉ではないこともあり、いつもこの前を素通りしていたが、雰囲気が良くてまた入浴しても良い施設だ。
入浴後は駒ケ根に出て食事を済ませ、明日登る戸倉山の駒ケ根側登山口である戸倉キャンプ場に向かった。
最近山に登って居る途中で眠くなって昼寝をしてしまうことが良くあります。歳とって体力が無くなったことも原因でしょう。山登りについての運動生理学の本を読みましたが、疲れると体温が上がって眠くなるらしいです。ですからそのせいですかね。登って来た方と反対側を向いて寝ていたので、起きたときに方向感覚がおかしくなって勘違いしたのです。ただ、昼寝しなくても丸山谷の頭は厳しかったと思います。
南アは藪が少ないですね。西側は倒木が多いですが東側はどこでも歩ける感じです。中央アルプスは笹薮ひどいですよ。南アに笹が少ないのは、シカが多くて笹を食べてしまうことも要因の一つでしょうか。青学のプレートは共通した特徴は無いですね。名前が書いてあるから分かるようなものです。