今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・御正体山、石割山

2009年01月07日 | 山登りの記録 2009
平成21年1月4日(日)
御正体山1,681.6m 石割山1,413.0m

 平成21年が明けた。お正月はお天気も安定し、弱い冬型でずっと晴れの日が続いている。お正月、最初の山は富士山が見える山ということに決めているから、富士山が良く見えて、人が少なそうな山を探していた。ノラさんに伺ったところ、大月周辺の山を推薦していただいた。ちょっと、遠いかな?…。で、その辺りの山をカシミールで見ていたら、あっそうだ、この山にしよう。と、いきなり登る山が決まってしまった。

 それは、御正体山だ。この山が特別に登りたい山だったと言うわけではない。ずっと昔、持っていた(まだ実家のどこかにあるでしょう)関東周辺の山のガイドブック、初版の『東京付近の山』というブルーガイドの一冊に出ていて、その名前から気になっていたのだった。当時のガイドを読むと、道志山塊の主峰であるが、展望も無く奥深い山で人が少ないとある。インパクトのある名前の山であるが、展望が無いのと、それに反して結構きつい山なのであまり人気が無いということらしかった。

 しかし、かつて三ツ峠山から見たその御正体山は、茫洋として大きく、大変存在感のある山だった。だから、そのいわくありげな名前に加えて、ずっと心の隅にあって気になっている山の一つだった。少し前に、やんごとないお方が登られたらしいが、だからといってこの山の人気が上がったと言うわけでは無いようだった。一般的には、そのくらい地味な山ということか…?ますます、ぼくが登る山としてふさわしいと思うのだった。

 御正体山の山頂は平坦な森林で、展望は全くないらしい。しかし、登山道途中にある送電鉄塔から、富士山や南アルプスの大展望があるということがネットの情報から分かった。それと、今回登ろうと計画した山伏峠からのコースだと、余裕があれば稜線続きの石割山もピストンできそうだ。石割山は、富士山の展望では定評があるところ、だから、富士山を見るという第一希望は◎。ということで、行き先は決まった。しかし、ネットの情報からこの山伏峠を登り口にしたことで、大変まごつくハメに陥ったのだった…が。

 3日の晩、早めに家を出る。正月は、ぼくと奥さんの実家に交互に滞在して、飲めないぼくは食い放題で怠惰な日々を送った。だから、山でシェイプアップしないと…。

 向かう御正体山は、埼玉・東京・神奈川を抜けて山梨県だ。東京を経由していくので、距離の割に時間が掛かるところ。一昨年のお正月に登った丹沢の『桧洞丸・蛭が岳』へのコースとほぼ同じだが、今回は更に少し遠い。高速を利用しないで4時間を目算していたが、結果は甘かった。正月休み明け、帰省のUターンの車も多く、5時間たっぷり掛かって山梨県道志村の山伏トンネルを抜けた。このトンネルを出て直ぐ、山中湖村側に御正体山の登山口があるということをネット情報で得ていた。

 山伏トンネルを出た所はちょっとした広場になっていた。しかし、ネット情報が古かったのか、そこには既に廃墟のホテル(山中湖高原ホテルというホテルがあった)はなく、ロープで先に入れないようにしてあり、個人の作業所?(ちょっと得体が知れない)らしい建物があって、登山口には入れない様だ。他のサイトでの情報で書き込みがあった地権者ともめている?というのはこの事らしい。つまり、山伏トンネル山中湖側の山伏峠に上がる登山口は現在利用できないという事なのだ。その上、トンネル脇の広場は駐車禁止の看板さえあった。さあ、困ったな。

 時刻は夜中の1時を回っている。少し山中湖側に下ってみたが、他に登り口らしい所は無いようだった。反対の道志村側に戻ってみたが、山伏トンネルから道志村方面は、全て道路脇の空きスペースに車が入れないようになっていて、全く駐車できるところはない。ますます、困った。そんな訳で、目的地に着いたは良いモノの、うろうろするハメになってしまった。

 再度、山伏トンネル山中湖側出口の広場に車を停めて、少し周辺を歩いたら、道志側に山伏峠に上る道があるという意味の看板があった。仕方がない、ここに駐車はできないが、トンネルの反対側からなんとか上れそうだ。山伏トンネルから山中湖側に道路を300㍍くらい降りた所に、林道の入口らしい車5台くらいは停められそうな空きスペースがあったから、そこに車を停めることにした。そこからトンネル反対側の登り口に向かうしかないだろう。シュラフに潜って、アラームは6時半とした。

 目が覚めたら、まだ6時半にはなっていなかったが、もう大分明るくなっていた。周辺の様子からすると、御正体山まで全く雪はなさそうだ。支度をしてパンを食べて7時8分に出発する。支度をするときになって、今日はスパッツを忘れてきたことに気づいたが、まあ雪もなさそうだし、スパッツも要らないだろう。

 山伏トンネルの道志側には公園風に整備した様な空き地がある。しかし、そこは車止めの杭が打たれて、中に車が入れないようになっていた。何か、駐車スペースがあることでトラブルでもあったのだろうか?或いは、こういった所のあちこちが、暴走族のたまり場になっている事への対策なのか?道志側は執拗に道路脇に車が停められないようになっていた。この、公園風の空き地の隅に東電巡視路の杭と山伏峠に向かう登山口の案内看板が立っていた。旧山伏トンネルらしい坑道口が土砂で埋まっている所から、ジグザグに踏跡が上がっていた。一登りで山伏峠に上がる。稜線はしっかり道が付いている。

 道に被る笹をきれいに刈り払ったばかりのようで、刈られた笹が敷き詰められている道は整備されているが、東電の関係者が送電線巡視路確保のためにしているようだ。登山道には訳の分からない事が書かれた看板が沢山あった。これも、地権者が立てたモノか?いずれにしろ、関わり合いにならない方が良さそうなperson。

 緩い稜線をしばらく進むと、次第に急な登りになる。早くも木の間越しに、驚くほど大きな富士山が姿を現す。この時期としては、真っ白なのは上の方だけで、向かう御正体山には雪なんかありそうもない。それにしても、吉田口登山道のジグザグまで良くわかるほど、でっかい富士山!先での展望が楽しみだ。

 急な登りで少し汗ばむと、7時59分に石割山分岐に着いた。ここには三面標識が立っていた。樹間から、行く手の御正体山が姿を現す。結構な遠さ!ほぼ同じ様な距離で、北に鹿留山と、その肩に三ツ峠山がのぞいている。南アルプスの白い山並みも見える。

 御正体山の手前を横切る高圧線が例によって煩わしいが、この先にある高圧鉄塔のお陰で展望があるようだから、今日の所は仕方がないか…。御正体山に向かう稜線を辿ると、ちょっとした上りを経て、直ぐに『石割奥ノ岳』の標識のあるピークに8時7分に着く。ここからも眺めはない。奥ノ岳という名前は、石割山から見て『奥』ということなのだろうか?この先に、御正体山まで中ノ岳・前ノ岳と続くが、その伝でいくと、これは説明が付かない。中ノ岳は御正体と石割の『中』で、前ノ岳は御正体の『前』ということなら説明が付くが、どういう基準で付けたのかは不明。

 奥ノ岳から下って少し上り返すと、高圧鉄塔に出た。高圧鉄塔自体は余り歓迎しないが、そのお陰?で、ここからは本当に見事な眺めが広がる。高圧鉄塔には『西群馬幹線256』と書かれていたから、この高圧線は奥秩父を越えて、先月登った新三郎や御座山を、更には峰雄山と『ずみ岩』の間を抜けている、あの幹線だ。

 快晴の空の下、石割山の上に巨大な富士山が見事。富士の裾野の向こうには南アルプスがずらっと白い峰頭を並べていた。北に、被る様になってきた御正体山の西隣には、鹿留山・杓子山が大きい。これを見るだけでも登る甲斐があるというもの。富士山ばかりに目がいくが、東には丹沢の山並みもシルエットになっている。大室山と蛭ヶ岳は形から判るが、他は馴染みが無くて良く分からない。ここで、しばらく写真を撮るために時間を取った。

 8時31分に送電鉄塔から再び稜線を辿る。下って直ぐに山梨県が立てた真新しい木製標識があった。これによると、ここから下る送電線巡視路が下の林道(外ヨリ林道)に降りているらしいので、林道(鹿留林道・現在は一般車通行不可らしい)から登れば大分時短できるようだ。上り返した所が中ノ岳、ここも樹林の中で眺めはない。単調な稜線を上り下りする。樹相はブナ・ナラとハリモミの混交林で、この付近はあまり太い木は無い。御正体山の東に下った谷底にR413と道志村の集落が見える。ここから見下ろす道志の白井平からは、御正体山への最短の登山道が上っている。

 前ノ岳の標柱が立つピークを9時19分に通過。ここにはベンチがあった。一度下ってから、御正体山へ最後の登りになる。一気に250㍍近くを稼ぐことになる。登りの途中で、富士山が良く見える所があった。上りきると、山頂部は平坦になる。尚も、ブナやモミの巨木が見事な森を緩く上り、小さな社を右に見て、公園の中のような森の北端が広々した御正体山の山頂だった9時52分御正体山頂着。

 一等三角点標石と山梨百名山の標柱・御正体山自然保全地区の説明看板・皇太子登山記念の標識等があり、赤い屋根の小さな木製の社が建っていた。社をのぞき込むと、中に伊邪那岐命と書かれたお札が納められていた。真ん中に真新しい木製のベンチとテーブルまで設置してある。日陰に融け残った雪が斑にあったが、ここしばらく降雪は無いようだ。ベンチとテーブルは霜で真っ白だった。

 何故か、カラスが巨木ブナの梢でカーカー鳴いているが、その他には何の音もしない。今のところ、ヒトケのない御正体山山頂はひっそりとしていた。展望は全くないが、周辺はブナやミズナラにハリモミ等の巨木が茂り、これはこれでとても良い、丹沢の桧洞丸の山頂に雰囲気が似ていた。一等点の脇に腰掛けて空を見上げる。すっかり木々は葉を落とした季節だから、むしろその他の季節よりもこの山頂は明るい雰囲気だろう。あまり下調べをしなかったから、ここにある方面標識を見ると、随分あちこちから登れる山なんだなあと思った。道志でも白井平からの方がずっとアプローチが短い様だ。その分、やや標高差があるようだが…。

 ここの一等三角点は、欠けてしまった周囲をセメントで修復してあるようで、つぎはぎの標石は少し異様だった。大きなコロッケパンを平らげると、10時22分に山頂を後にした。

 平坦な山頂を下降点まで歩いている途中で、5人のハイカーとすれ違う。やはり、年初の日曜日だから、静かな山でも人には会うだろう。時間差で独り占めの山頂を楽しめて良かった。急な下りを下り始めて、また1人すれ違う。前ノ岳・中ノ岳と上り下りして、11時28分に、また送電鉄塔に出る。再び富士山の大展望。南アルプスの白峰三山から笊ヶ岳までが、遠く白く光っていた。

 11時45分に石割山分岐から、今度は東に稜線を進む。まだ充分時間があるし、やはり歩き足りないから石割山へ向かう事にした。石割分岐でもご夫婦らしいハイカーとすれ違った。御正体山も結構人気があるようだ。

 石割分岐からは、石割山よりやや高いピークを幾つか上下する。刈り払われていた御正体山のコースに比べると薮がちで、スズタケが延びているところはかき分けて進む様な所も多い。稜線南の国道側は所々カヤトの部分があり、そこからは山中湖が見下ろせた。

 痩せた稜線になると、北側は向かいの杓子山と鹿留山が近い。御正体山は次第に離れて遠くなっていく。途中のピークはほぼ巻いて、比較的楽なコースだ。石割山の手前でも、256送電鉄塔先にあった山梨県作成の真新しい木製方面標識と同じモノが建っていた。これも、送電線巡視路を案内している。近頃は、昔からの登山道よりも、林道や道路から最短ルートで稜線に上がる、送電線巡視路がハイキングコース扱いになっている。

 石割山山頂の直ぐ手前にも送電鉄塔があって、ここにも下の二十曲峠から道が上ってきていた。12時37分石割山山頂着。先着のハイカーが1人いた。山頂に滞在していた40分くらいの間、全部で7人の人が入れ替わり山頂にやって来た。御正体で8人と石割山で7人の、合計15人のハイカーに会ったことになるが、この辺としてはいたって静かな方だろう。土台までむき出しの三等三角点と山梨百名山の標識や、周辺ハイキングコースの案内看板に、幾つもの方面標識が賑やかだ。

 広々した石割山山頂は、カヤトの原が広がり(裸地の方が多いが…)、成る程定評通りの大展望で、眼下に光る山中湖を前に富士山が裾野まできれいに見えた。全く、文句のない展望台だった。早速湯を沸かし、カップラーメンを食べる。いつまでも見飽きない眺めだ。富士山はやっぱり眺めて最高の山だな。

 13時16分に石割山頂を後にする。途中眺めの良い岩頭に上って、富士山の最後の展望を楽しみ、来た道を引き返す。午後になると足早に夕方のような雰囲気になるが、緩い上下の稜線歩きは楽しい。14時9分に石割分岐から山伏峠に下る。石割山まで行っても、まだ充分余力を残して余裕のハイキングだった。14時39分に山伏トンネルに下り、14時46分に車に戻った。

 帰りは『道の駅道志』でおみやげを買って、道志の湯で汗を流した。余り広くない温泉は日曜とあってお客も多く、ゆったりと言うわけにはいかない。日帰り温泉施設としては特に可も無し不可も無しで、平凡な温泉だった。夕暮れの『道志みち』を後に帰路についた。

 高速を利用しなくても、どうにか9時には家に帰れた。年初にふさわしい富士山展望の山登り。今年も沢山登りたいなあと、日本のお山の総大将『富士山』に希望を託した新春ハイキングだった。

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7 コメント

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御正体山の登り口 (ノラ)
2009-01-07 21:48:45
あさぎまだらさん こんばんは。私が持っているアルペンガイド(山渓)東京周辺の山550コースっていうのはたぶんあさぎまだらさんが持っているのと同じものと推定します。それには山伏峠へは降りで向かってます。細野の三輪神社から登ったような気がしますが,まだ記録を残していない時代なので不明です。記録を残していないと,全く思い出せないです。山伏峠への下りでは富士山の展望はあると書いてあります。私はピストンしたのだろうか?---山中湖周辺の平野は住んでいる場所から電車とバスで4時間半はかかりますから遠いです。
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ブルーバックスガイドです (あさぎまだら)
2009-01-07 23:56:43
ノラさん、こんばんは。山渓のアルペンガイド「東京周辺…」も持っていますが、ぼくが書いたのはブルーバックスの「東京付近の山」の方です。多分これの方がずっと古くて、山渓のは二番煎じだったと思います。

それは別として、山伏峠から石割分岐の間で富士山が見えるところがあります。それのことでしょうか?
高圧鉄塔は古いものじゃありませんから、その当時は無かったと思います。少し前の御正体山の写真には高圧線は写っていませんから。この高圧幹線は大分山の景観を台無しにしていますね。御座山もこの同じ幹線が山の上部を横切っているので、景観上×です。

確かに、記録を取っていないと忘れてしまいますね。ぼくも、若い頃は記録も取らなくて、カメラも持たなかった事が多いので、登ったハズの山の記憶が全くないものも沢山あります。
山に居さえすれば良かったあの頃は、記録を付けることも、写真を撮ることも、全く興味がありませんでした。登ったハズの『幻の山』は幾つもありますよ。
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ブルーガイド (重鎮)
2009-01-08 22:26:45
ひょっとすると私と同じかも。
私のは実業之日本社から出た昭和54年の初版です。
このころは、遠くの山に憧れを持っていました。(今でもそうですが)
ともかく、群馬から外に出ることが、冒険と考えていました。
ところで、コロッケパンは旨いですね。
伊勢崎市民病院の近くの「神社コロッケ」が食べてみたいと思うこのごろです。


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それです! (あさぎまだら)
2009-01-08 23:19:48
そうなんですか。それです。
あのガイドブックは、広域を扱った最初のガイドブックだった?と思います。分厚いガイドブックの隅から隅まで、暗記するくらい繰り返し読んで、行けない遠くの山に想いをはせていました。
多分、あのガイドブックが当たったので、ヤマケイも『東京周辺の山』を出したと思います。
ブルーガイドのは、その後改訂版が出て、それも持っていますが、最早初版の輝き?は無かったように思いました。

ですから、今あちこちの山を計画したりする時の基礎知識は、あのガイドブックで得たものが多かったですね。

伊勢崎の「神社コロッケ」?初耳です。伊勢崎は、時々石井スポーツ(地元の山の店)に出かけるから、今度調べてみます。
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コロッケパンって大きいですね (ノラ)
2009-01-09 19:33:32
あさぎまだらさん 重鎮さん こんばんは。コロッケパンってこの前私も見つけて買って山に持ってきましたが,大きくて,あれ食べるとかなりお中がいっぱいになりますね。
私が持っている山渓のも隅から隅まで読んでいるのは同じです。今でも南アルプスの大無間山黒法師山とか板取山ってどんな山なのか関心があります。そういえばあさぎまだらさんは行かれたことありそうですね。
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大無間山 (あさぎまだら)
2009-01-09 22:07:52
ノラさんこんばんは。
コロッケパンは旨いです。ヤマザキのとかフジパンのとか、良く食べてます。この間のは新製品のカレーコロッケパン!おたふくソースバージョンでした。カレーパンとコロッケパンの両方を食べた気分…。

大無間山は登ってますが、他の2山はまだです。やっぱり遠くの山は憧れますね。
大無間のは2006年の記録にあります。
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2007年でした (あさぎまだら)
2009-01-09 22:13:25
ノラさんごめんなさい。
2007年でした。ボケてますね…。
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