今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・飯森山

2013年10月01日 | 山登りの記録 2013
平成25年9月23日(月)
 高倉ノ頭1,380.7m、大倉の頭1,482m、鉢伏山1,576.2m、飯森山1,595m
 8月は2回北アルプスに行ったが、その後は忙しいのと、お天気の具合もあり、なかなか山に行けない。9月ももう終わろうとしている。北アルプスに続けて行ったので、南アルプス行きは今シーズンはもうお預けだ。今回は3連休だが、土日は用事があってダメ。月曜に振替休日を1日プラスして、しばらく前からずっと登ろうと思っていた北会津の飯森山と、猪苗代湖北岸の川桁山に登ることにして日曜の午後家を出た。3連休のせいで日光市内ではかなりの渋
滞、山王峠経由で会津入りし、若松ではお祭りの迂回があったが、夜の9時頃になんとか飯森山登山口の日中ダム駐車場に着いた。ダムの事務所は明かりが点いていていたが、間もなく職員もいなくなって真っ暗になった。曇り空の下に、ロックフィルダムに貯まった水が黒々と見えている。ここも水は半分くらいしか無いようだ。寒くないが、今回から3シーズン用のシュラフに潜って眠った。

 翌朝5時に起きた。ぐずぐず支度をしてパンを食べ、5時50分に車を後にする。駐車場には他に車も無い。ダムサイトの道を5分くらい歩いたところに「日中飯森山登山口」の標柱が立ち、そこから急な山道が登っていた。5時51分に登山者カード入れに記入して投函する。飯森山までの大きな概念図があり、傍らには石祠があった。かつては信仰を集めた霊山であったようだが、今回登ってみて、標識類は朽ち果て、所々にある石祠も石の残骸に成り果て、現在はその歴史も薄れてしまっているように感じた。鉢伏山から先は草に埋もれ、ガイドブックで紹介されている以上に、登る人も少ない山という印象を受けた。

 巨木が茂る薄暗い森の中からいきなりの急登で、大峠道路(R121号)の日中トンネル入口を下に見下ろし、尚もジグザグに登り詰めると6時40分に「見晴台」のプレートが置いてある所に出る。見晴台とは名ばかりで、木々に遮られ何も見えない。下を走る大峠道路は、本来の大峠より随分北に掘られたトンネルで米沢に抜けている。若い頃、飯豊山へ向かう途中、旧大峠の延々と続く悪路を夜間走行したことを思い出す。この峠は一体いつになったら町に下り着くのか?と思った程、それは長く険しい悪路だった。その道も、今は待望のトンネルが抜け、喜多方からのルートはやや北に変更されたものの、難なく米沢に抜けている。現在ダムがある日中は、また国鉄日中線というローカル線が熱塩駅まで通じていたことも記憶している。C11という小型のタンク型蒸気機関車が走っていた。この日中線も、米沢までの開通どころか本来は東北縦貫鉄道計画路線の一部だったということだ。第二次大戦前、関東から内陸部を縦貫して東北まで続く長大な鉄道計画があり、日中線はその一部であったらしい。今にして思えば、決して標高も高くない吾妻連峰と飯豊連峰の隙間の山、福島・山形の県境を作る飯森山一体の山々がその計画の障壁になっていたのだった。大峠越えの悪路も、大変短かいローカル線だった日中線も、いわば今日の登ろうとしている山とは大きな因果がある。そんなことを思いながら、急な登りを頑張る。

 見晴台を過ぎると稜線に乗り、幾分傾斜は緩むが、幾つものピークを越えていくのでアップダウンが多く疲れる。朝のうちは周囲の山が見えていたのに、薬師、地蔵とあるプレート地点を過ぎ、岩崖が目立つ高倉ノ頭を越える付近からガスが稜線を覆い始めた。この辺りは南側が切れ落ちた崖の縁を行くのだが、はるか真下に小さく見える赤い鉄橋(大峠道路の橋)を通過する車を俯瞰する。車の音がここまで反響してくる。そのうちすっかりガスに包まれ、もうろうとした霧の中になってしまった。ツツジなどの潅木類は赤や黄に染まり、稜線は紅葉が始まっていた。

 7時間以上も寝たハズなのに、霧に包まれたせいでも無いだろうが、何故か眠くて仕方が無い。登り始めて2時間くらいで、余りに眠くてザックを降ろして少し眠ってしまった。ホンの2,3分眠っただけだが…。崖っぷちは高倉ノ頭の先までで、そこからはブナ林を上下する。この辺りから稜線の北面を巻く道になると見事なブナの木が多い。キノコはまだ始まったばかりで、登山口からあちこちに生えたものを沢山見てきたが、ハツタケ属のものがほとんどで、クサハツ、チシオハツといった夏のキノコ類が多い。ブナの木にもヌメリスギタケなどの初秋のもの、登山口付近はサマツモドキの群生があった。もともと食べられないものが多いが、福島県内は野生キノコの放射線量がいまだに高いという事なので、どっちにしても観察するだけだ。

 9時5分に大倉ノ頭を過ぎ、ヌタ場の様な小さなぬかるみがあるばかりの所で『血の池』と書かれた錆びたプレートを見て、更に大きく下って高倉キャンプ場という鞍部の窪に9時40分に降りた。キャンプ場と言っても道の両側にテントが1張りづつ張れる程度の切り開きがあるだけの所だ。ここから急な登りを登り切ってようやく10時10分に鉢伏山に着いた。三等三角点が薮に囲まれた小平地にぽつんと立っているだけだ。大分傷んだ石祠と思われるものがその後ろの藪の中に見える。ここのプレートも大分錆びて読めなくなっていた。ここからは飯豊連峰の眺めが良いらしいが、残念ながら白い帳に包まれて全く眺めは無い。お腹が空いてきたのでカレーパンを食べて小腹を満たす。こんなにゆっくり歩いているのに、後続の人にも追いつかれないのは、今日はぼく以外登る人も居ないのだろうか?全く眺めも無くなって、長い道のりを鉢伏山までやってきたが、飯森山はこの先更に1時間は掛かるというのだから随分アプローチの長い山だ。重い腰を上げ、10時21分に鉢伏山を後にする。

 鉢伏山からは道に草が被り気味になる。急降下して種蒔というおかしな名前が付いた鞍部に降りた。飯森山までのコースに付けられた各地点名は、飯豊本山のコースに付けられた地名と重複しているという、かつて飯森山の山頂に飯豊本山にあった神社を安置したことがあってそのせいだというが、飯豊連峰は若い頃に登ったきりなので地点名の記憶も無い。鉢伏山と飯森山の鞍部は3段になった小さな三角湿原になっていた。初めに現れた最低鞍部の湿原は黒い水がホンの少し池になり、じめじめして汚らしい感じで余り良い印象ではない。水生昆虫がうごめいているのが水の波紋で分かる。時期によるとヌカカやブヨ等、歓迎しない虫たちの大量お誕生場所に違いない。この縁を滑らないようにトラヴァースする。羊歯や笹が掘割のような道を完全に覆っていて、薮こぎしていくようなルートだ。雨の後や早朝の朝露の時間だとびっしょりになるだろう。ミズバショウの大きな葉も見られたので、時期には咲くのだろう。三段の湿原を過ぎると、飯森山への最後の急登になる。

 ブナの巨木が霧に浮かび上がる。登るに従って一直線の更に急な登りになり、周囲の木々の丈も低まって薮を一直線に登りあげると、一筋道が辿る稜線に出た。オヤマボグチが登山道脇に咲いていた。緩い上り下りが続き、なかなか頂上にならない。残念ながら相変わらず周囲はガスの白い帳で展望は無かった。11時15分に藪を北側に回りこむようにして、丸くそこだけ裸地になった飯森山山頂に着いた。途中で何度も居眠りしたとはいえ5時間以上も掛かってしまった。真ん中に一等三角点標石がぽつんとあって、そこにも崩れた石祠の残骸みたいなものがある。この時、山頂には神社(石祠)が2つあると思っていたのだが、これは山頂から更に北に少し進んだところにあったらしく、帰ってきてからあらためてガイドブックを読んで分かった。残念ながら神社には行けなかった。

 薮に囲まれた窪のような山頂は、仮に晴れていてもこの地点からの眺めは良く無さそうだ。北に進む切り開き道(大桧沢からのルート)の先か、山頂手前の稜線からは展望がありそうだった。しかし今は真っ白い霧の中、紅葉し始めた潅木がわずかな彩りを見せるばかりだった。山頂に着いたら食べようと思っていたリンゴをかじる。その間に湯を沸かし、カップラーメンを作る。リンゴを食べてカップラーメンも食べ、カリントウやセンベイまでつまんで腹一パイになった。霧の向こうからカケスのしわがれ声が聞こえるくらいで静かそのもの。やってくる人も無く、全くの静寂境だった。11時45分にガスに包まれた飯森山頂を後にする。ますます雲が厚くなっているのか?ぽつりぽつりと落ちてきたが、それきりで雨にまではならなかった。山頂からしばらく高低差の無い稜線を進んで振り返ると、黄や赤に変わりつつある低木の向こうに、ほんの一瞬、飯森山の山頂稜線と栂峰付近の山並みが見えたが、カメラを出すまでも無く直ぐに見えなくなった。

 鞍部の湿原まで急降下し、再び急登して12時34分に鉢伏山に戻ってくる。変わらないガスの中、帰りも上り下りの長い道のりだ。錆びてほとんど読めなくなってきている四角い赤黄の地名プレートや遭難碑等を確認しながら、時々座り込んで霧が去来するブナ林でぼーっとする。

 大倉ノ頭を下り、崖の縁沿いに稜線を絡む辺りまで来たらようやく霧も晴れ始める。下の大峠道路を行く車がケシ粒の様に見える。向かいの高倉ノ頭の岩壁も良く見えてきた。崖の縁の歩きが無くなる頃には、遠く雲を乗せた吾妻連峰や安達太良連峰等も見えてきた。山並み2つ程向こうに見える、高くは無いがなかなか形の良い双耳峰が目を惹く。後で調べたら会津100にもなっている高曽根山という山で、道の無い山らしいのだった(ピン止めしました)。飯森方面を振り返ると、大倉ノ頭の向こうにわずかに鉢伏山の山稜も見えていた。

 曇り空もいよいよ地蔵・薬師と下ってくる頃には陽が指し始め。登山口に降りついたらダム湖の上空は快晴の青空が広がっている。ヤレヤレ…。この日飯森山に登ったのは、ぼくだけだった様だが、人気の無い山というのも何となく頷ける山だ。ヒメサユリの咲く頃はそれでも幾らか人も登るようだが、人が少ないので薮っぽい所も多い。かつての信仰も大分薄れ、あるいは熱塩加納村が喜多方市に編入されてしまったせいなのか?旧熱塩加納村が整備した登山道も薮や倒木に埋もれ、案内プレート類は間もなく朽ち果ててしまうだろう。途中にあった石祠もことごとく残骸になっていた。

 日中ダムまで戻ると、遠くに会津盆地が黄色っぽく平らに広がって見えていた。ダム湖中央に突き立っている監視塔の補修工事でもしているのか?そこから金属を打ち付ける様な音が周囲の山々に反響している。駐車場には相変わらず1台も車が無かったが、ぼくが着替えをしていたら、ダム見物の観光客が相次いで2台の車でやってきて、ダムサイト周辺をウロウロしていた。支度を終えると、ダムを後に熱塩温泉に下った。熱塩温泉の老舗旅館で入浴する予定で居たが、日中線記念館という旧国鉄日中線熱塩駅をそのまま保存してある記念館に寄って行くことにしたので、少し先にある地域保健福祉センター「夢の森」という値段の安い日帰り温泉施設で入浴した。ここは旧村が設置した保健施設でもあり、日帰り温泉はオマケだが、露天はないものの、入浴料が300円と安く塩素臭もしない良い温泉だった。入浴後は喜多方の町に下って喜多方ラーメンなどを食べ、明日登る予定の川桁山登山口である猪苗代町に向かった。

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2 コメント

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もうちょっと開けた山かと思っていたのですが (ノラ)
2013-10-01 21:51:57
あさぎまだらさん こんばんは。飯森山って福島分県登山ガイドではもう少し道がはっきりしているように書いてあったのですが,現状では大分に静かな山に代わっているようですね。いつ行けるか分かりませんが,半リタイヤになる来年辺りには行けるかな。展望がないと辛い山になりそうです。
いづれにしてもお疲れ様です。記録有難うございます。
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ヒメサユリが咲いている時が良いようです (あさぎまだら)
2013-10-02 02:45:45
ノラさんこんばんは。
飯森山はガイドブックなんかではそういうかんじですよね。
僕もそう思っていたのですが、アプローチが長いのが人気のない要因みたいです。しぼれさんも言っていましたが、地元でも人気のない山の様ですね。でもおかげで静かな山を歩けました。展望が無かったのは残念でしたが…。
ヒメサユリが咲いている時はそれでも人も登るようです。
そんなプラスアルファが無いと地味な山という感じです。鉢伏山から先は特に登山道もあまり歩かれていない様でした。標識類も間もなく無くなりそうです。
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