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昭和62年の記憶② 和田村中組の獅子舞

2020-12-27 23:23:34 | つぶやき

昭和62年の記憶① 長門町長久保の獅子舞より

 長門町長久保において挽方による練りが行われるのは午後1時。それまで時間があったので、隣の和田村を訪れた。こちらも集落内をうかがっていると、子ども達が獅子頭を被って家々をまわっている姿が見えた。下和田の中組の獅子舞について歩いてみた。このことも、長久保同様に『まつり通信』323号(まつり同好会 1987.12.20発行)へ「道祖神の獅子舞い―長野県小県郡長門町を中心に―」と題して報告した。そのうちの「和田村の獅子舞」を引用してみよう。

 和田村の獅子舞

 和田村は長門町から旧中仙道を諏訪に向かった所にあり現在は隣接する町村になる。中組の獅子舞いは午前8時半より始める。一輪車に太鼓をのせ7人ほどで回っていた。女の子が殆どでここでも女の子に比べ男の子不足が目立っていた。上組では件数も多く、男の子達だけでハッピを着てしっかりした屋台を引いて行っているようだが、ここでは恰好も普段着で女の子が多いということでおとなしい獅子舞いであった。
 件数が少ないということで、こういう状態であるが、以前は男の子だけで行い、はやし唄も長かったという。
 各家を回る折、まず「かぜの神」送りの唄を歌い、笹で家中を払って左回りにまわる。
 唄は

 かぜのかみたたきだせ たたきだせ
 ふくのかみまつりこめ まつりこめ
 こばんや こつぶを すみからすみまで
 ほっこめ ほっこめ

というものである。
 そして獅子頭を被り太鼓に合わせて

 おしし十六
 ささげのとしだとね そーら
 みは三尺の剣をぬいて
 悪魔を払うとね そーら

と歌い舞いを行う。
 終わると御祝儀(取り決めがあり、たくさんはもらわないようである)をいただき次の家へ回っていく。
 道祖神とは関係ないと子供達は言うが実際はどうなのだろう(獅子舞は各家を回り、11時すぎに終わった。

 小県郡から佐久地方にかけての正月の獅子舞いの分布を見ると、小県郡の千曲川左岸から佐久地方にかけて広い範囲に現在も残されている。そしてそのほとんどが道祖神と関係がある点などから、本来はこの和田においても関係があったのではないだろうか。

 

旧和田村の獅子舞(昭和62年1月1日撮影)

 

昭和62年の記憶③ 南相木村の獅子舞

 


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