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出征兵士への祈祷願い 後編

2023-05-27 23:26:19 | 歴史から学ぶ

出征兵士への祈祷願い 前編より

 

拝啓
今回日支事変に出征致したる左の軍人の御祈祷をお願い致します
住所姓名 下伊那郡河野村
       □□□□□三十三才のものに
尚御祈祷料として金伍拾銭お送り致します故お受取願いたます
                □□□□□
                  妻□□□

 封筒の裏書には11月11日とあり、消印は昭和12年である。前編の依頼主が母なら、これは妻である。

拝啓
今回日支事変に出征したる左の軍人の御祈祷をお願い致します
住所姓名 下伊那郡河野村□□□□□(A)
三十六才のものに 尚御祈祷料として金伍拾銭お送り致します故何卒お受取下さいませ
               下伊那郡河野村
                 □□□□□妻
                   □□

 1通目の依頼と、文面がほぼ同一である。まるでひな形があったかのように。これは昭和12年10月23日と裏書にあり、1通目のものより20日ほど前のもの。実は依頼文は妻の自筆のようだが、封書の裏書の差出人には「母」とあり、妻の名とは違った名が書かれている。実はこの2通目の差出人は、もう1通依頼文を送っている。同じ10月23日と裏書にあるから、同日に2通投函したことになる。3通目は明らかに2通目とは異なる書体であり、書いているのはおそらく父なのだろうか。内容は次のようなもの。

拝啓
今回日支事変に出征したる左の軍人の御祈祷をお願い致します
住所姓名 下伊那郡河野村□□□□□(B) 二十七才男のものに
尚御祈祷料として金伍拾銭お送り致します故何卒お願します
                河野村
                 □□□□□(B)

 依頼文の文中の名前(B)と依頼者の名前(B)は同一である。おそらく2通目の(A)の弟にあたるのだろう(B)は。ようは兄弟2人が同時に出征したという例である。したがって差出人が両者の「母」となったわけである。母の思いの深さが伝わってくる。

 このほかにも「河野村」から送られてきた依頼文がいくつも残されている。いずれも昭和12年10月から11月にかけてのものである。未婚であれば「母」が、結婚していれば「妻」が依頼している。ちなみにそれらの祈祷料はすべて50銭である。

 


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