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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

東信の道祖神と五輪塔③

2024-08-30 23:05:21 | 民俗学

東信の道祖神と五輪塔②より

 

北佐久郡立科町牛鹿虎御前公民館前の道祖神

 

 五輪塔の残欠が道祖神とともに祭祀されていないか、それを察知したのは、何度も触れている岡村知彦氏の『石造文化財集成』によるところが大きい。地域ごと何冊も発行されている同書から「道祖神」だけに注目して閲覧していると、五輪塔が佐久地域に多いことに気がついた。頻繁に「五輪塔」があげられている。伊那谷には絶対ない世界である。それだけこの地域の歴史が古いということなのだろうが、同書の一覧表は、おそらく場所順に掲載されている。したがって同書に「道祖神」を見つけた際に、その前後に五輪塔が記載されていれば、同じ場所に祀られていないか、と疑った。そしてそうした場所をいくつか訪れたわけで、「東信の道祖神と五輪塔」①や②で紹介した道祖神は、そうした観点で実地に訪れ解ったこと。岡村氏の『東信濃の道祖神』では分からないことだ。

 さて、そうした観点で現地を訪れてわかった道祖神と五輪塔残欠の同居。ここで取り上げたのは立科町牛鹿の虎御前公民館前に祀られた道祖神である。岡村氏の『東信濃の道祖神』には合掌型双体立像の1基のみ報告されている。五輪塔残欠のことは何も記されていない。いっぽう『北佐久石造文化財集成―立科町編―』には、前述の道祖神に次いで「五輪塔(片)」が記載されており、数量2、備考欄に「(空風輪)」と記載されている。これだけでは同居しているか分からないため、現地で確認するしかないわけであるが、実はグーグルマップのストリートビューで事前に確認できた。もちろん五輪塔片かどうかは、やはり現地で確認するしかなかったが…。

 写真のようにだいぶ風化した双体像の両脇に小ぶりな丸い石がある。どう見ても五輪塔片である。道祖神と同居する上に、ほかの石碑がないことから、道祖神の仲間として十分捉えられる。

続く

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