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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

東信地域の道祖神

2024-08-03 23:03:59 | 民俗学

 東信域の道祖神について、長野県民俗の会が発行した『長野県道祖神碑一覧』によると、総数1209基を数えるが、実はこの数字には間違いとは言わないものの、正しい数字とは言えない部分がある。以前にも記しているが、この『長野県道祖神碑一覧』は、既存の資料を利用して作成している。東信地域にはいわゆる市町村教育委員会が発行する石造文化財報告書というものが少ない。したがって東信地域の道祖神数には計上漏れがあるということになる。この地域を悉皆調査され、私家版として発行されているものがある。岡村知彦氏によるもので、それらは佐久市図書館には寄贈されていているが、所蔵している図書館は限られている。これらの資料を引用して前掲書を編もうとしたが、叶わなかったため、データの精度が低くなっているというわけである。岡村知彦氏は、東信地域の石神、石仏を悉皆調査されている。東信地域といってもその範囲は広い。このエリアを悉皆調査されたという成果には頭が下がるわけだが、これは短期間でできるものではない。長年かけて調査をされ、さらにそれらを私家版として発行し、図書館に寄贈している。誰も真似できないこと。これを例えば南信版としてわたしに実行しろと言われても無理である。生業を持ち、そして休日には農業をする私には、到底今からでは無理なこと。どれほど熱意があったとしても、この広範な地域を悉皆的に歩くのは、容易ではなく、印刷物として発行するのは不可能だ。南信地域では、上伊那については竹入弘元氏によって道祖神の悉皆調査が行われていて『長野県上伊那誌』にまとめられているが、こうした地道な調査が郷土史において貴重な資料であることは言うまでもない。岡村氏は道祖神のみではなく、全ての石造物を対象に調べ上げている。それら資料を閲覧するにも容易ではないのが残念なことである。

 さて、東信域の道祖神数について岡村氏は「焼石ドーロクジンー東信濃の自然石道祖神―」(『日本の石仏』162 日本石仏協会)で触れている。それによると佐久地方に1235基、上田・小県地方に1721基、計2956基という。前述したように『長野県道祖神碑一覧』に取りあげた数は1209基であるから2.4倍にものぼる。ただし精査してないが、岡村氏が悉皆調査を終えてまとめとして昨年末に発行した『佐久浅学史伝 8 東信濃の道祖』をざっと見てみると、1箇所にたくさん祀られている自然石について、例えば20個あれば20基と数えていると思われる。ようは基数の数え方が一律でないため、単純に2.4倍とは言えない。なにより自然石道祖神の数え方は難しい。先ごろも触れた伊那市美篶上原の自然石道祖神は、いくつと勘定すればよいかわからない。双体道祖神や文字碑の道祖神を1か所に複数あればその数を1基として勘定はしているため、自然石も同様に勘定すべきとも言えるが、繰り返すが小さな石を1基として勘定するのには抵抗がある。やはり群としてひとつとして捉えるのが自然石の道祖神には適しているようにも思う。もちろん大きな物もあり、この議論の答えは容易には出せないと思う。いずれにしてもわたしは自然石についてはまとまって祀られていれば祭祀数1として捉えている。

 岡村氏は内訳を示しており、石棒25、丸石11、陽石81、陰石68、一般自然石556基としている。合計741基が自然石ということである。全体の25パーセントにあたる。そしてこれら形態ごとにコメントしており、石棒は「佐久八重原に集中」、丸石は「小県依田窪に集中」、陽石は「小県依田窪に集中」、陰石は「小県依田窪に集中」、一般自然石は「浅麓・依田窪・塩田平・真田」とある。最近依田窪の道祖神を訪れたが、必ずしも岡村氏のコメントに同調できるところまでわたしのコメントは至っていない。

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