南佐久郡南牧村海ノ口大芝の道祖神
岡村知彦氏は、例えば『東信濃の道祖神』のあとがきにおいて「もとよりこれらの記録や統計には誤り多く、脱落もまた免れないでしょう」と記している。ようは完全ではないことを断っている。さらにピンポイントの地図を示さなかったことについて、凡例に「市町村発行の字切図と目標物とを参考にして現地行されることをお勧めします」と記している。とはいえ、これら一覧を頼りに現地におもむくのは容易ではなく、わたしのようなある程度「ここにあるだろう」という臭いを感ずる者でも簡単ではなく、一般の方がこれだけを頼りに現地を探すのは難しいだろう。所在についてもう少しヒントになるような記述があればピンポイントの図は不要鴨しれないが、この書を参考に現地へ行こうとする人はほとんどないだろう。それはともかくとして、前段の誤りのことである。そもそも本書は『石造文化財集成』からまとめ上げている。しかし、『石造文化財集成』と『東信濃の道祖神』の記載が同一ではない。修正を加えたのかどうかははっきりしないが、両者の関係も、現地に行こうとしない限りはっきりしないかもしれない。
南佐久郡南牧村海ノ口大芝の道祖神について、『東信濃の道祖神』には3基記載されている。
型式 丈 銘文
石祠流造 65 安永未四天
石祠流造 90 文政十三年寅十月吉日
石祠流造 60
しかし『石造文化財集成』には
型式 丈 銘文
流造 90 文政十三年庚寅十月吉日
自然石 25
流造 65 安永四□天
とある。順番はともかくとして、けっこう違うところがある。ここまで違うということは、昨年末に発行した『東信濃の道祖神』は、修正を加えたとしてか思えないのに、実は写真の通り、後者の書の方が基本的なところは正しい。ようは石祠3基ではなく、1基は自然石である。この大芝の道祖神を見たいと思ったのは、後者の書を見ていて、石祠と自然石の道祖神の両者が祀られていたからだ。ようは後者における「自然石」表示は自然石道祖神なのか、それとも記載漏れなのかを確認したかった。結果的には岡村氏の後者の書にある「自然石」は、まさに自然石道祖神だということが判明した。しかし、基本的に前者の書を見ながらデータをまとめたため、本当に正しいかどうか不明瞭ということになった。
さて、自然石は火山弾系である。石の上に小さな石が重なっていて、どのように意図があるのか、興味深い。