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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

牛頭観音

2024-08-23 23:57:48 | 民俗学

南佐久郡南牧村板橋コメリ野辺山店南の「牛頭観世音」

 

南佐久郡南牧村板橋山の神の石碑群

 

 自然石道祖神を東信地域に訪ねているが、併せて気がつくことがいろいろある。以前にも触れたが、五輪塔、あるいは五輪塔片が多く一般の石仏石神と並んでいる姿を見るのもそうであるが、「牛頭観音」が多いのにも驚いた。とりわけ南佐久南部の南牧村である、多いのは。それは岡村知彦氏が著している『南佐久石造文化財集成』の「南牧村・川上村」編を見ていると気がつく。岡村氏はこれらを「鳥獣供養塔」と類別しており、「馬頭観音」同様に「牛頭観音」とは類別していない。ようは「鳥獣供養塔」とし、銘文欄に「牛頭観世音」と内容を記しているのである。なぜ馬頭観音同様に類別として「牛頭観音」としなかったのか、疑問がわくが、これらがいずれも現代の供養塔だからかもしれない。多くが昭和50年代に建立されており、古いものでも昭和30年代に遡る程度である。昭和62年に板橋の農協庭に建てられた「牛頭観世音」には、「南牧畜産展開は昭和二十八年の集約酪農地域指定に始まる」とその背景が記されている。平成の牛頭観音も目立ち、現在でも供養塔としてそれらが建立される。こうした光景はほかではあまり見られないこと。

 1枚目の写真はコメリ野辺山店南側の細い道に沿った小さな林の中にあるもの。「牛頭観世音」は昭和56年に建立されたもので、年銘とともに寄進者の名前が刻まれている。現代の牛頭観音は、ほぼこのスタイルで刻銘がされている。また、右側の小さな碑は、写真では読み取りづらいかもしれないが「牛馬頭観世音」とあり、牛と馬の両者を祀っている。「牛馬」と刻まれる観音もいくつか見られる。

 2枚目は板橋の山の神の社がある平に祀られている石碑群である。真新しい右端のものは背面に「馬牛頭観世音」とあり、前掲の「牛馬」とは文字が入れ替わっている。「平成十一年十二月吉日」とあり、建立者の名前が刻まれている。その左にたくさん並ぶ石碑群には「牛頭観世音」がいくつも見られる。

 3枚目は馬頭観音になる。「黒龍号記念碑」とあり、「大正七年八月吉日」建立である。4枚目はいずれも昭和53年に建立された「牛頭観世音」である。このように戦後に建てられた牛頭観音がたくさん並ぶ空間は、このあたりの特徴である。

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