Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

親の人生

2008-08-13 22:07:13 | ひとから学ぶ
 「消えゆく記憶受け継ぎたい」と題した記事を、信濃毎日新聞8/11朝刊のフロントラインというコラムに見つけた。この記事は長野県環境保全研究所の富樫さんという方が書かれたもので、環境保全というところに直結した内容ではないが、遠まわしにわたしたちは何をしなくてはならないか、というところを暗に教えてくれている。

 富樫氏は先ごろ父を喪ったという。84歳でなくなったということで、戦中から戦後への激動の時代を経験したわけだ。戦中をよく認識されている人たちは、当時のことをあまり口にはしない。わたしも戦後それほど時を経ていない時代に生まれながら、戦争のことはほとんど父や祖父から聞かなかった。わたしと父との世代の間には、戦争という事件に対してまったく乖離した世界がある。これはわたしだけのことではなく、意外と大勢の人が感じているはずである。あの戦争がいったいなんだったのか、そんなところを戦後生まれの人間はもちろん体感などできないが、言葉による継承という意味でもあまり接してこなかったといえないだろうか。そして、それは今でも遅くはないと思ういっぽう、高齢化していく親たちの姿を見ていると実現性も乏しいとわたしは思うようになった。それは、戦争ではない暮らしのことなどを聞こうとしても記憶がはっきりせず、こちらがイメージできるところまで聞き出せないからだ。いかに遠い時代を呼び起こすことは、強烈な印象だったとしても難しいかということがわかる。

 富樫氏は「父はそういった時代の移り変わりや感慨を口にする人ではなかった」といい、わたしと同じように父の姿を捉えている。そして「実家でそういうことが話題になることもほとんどなかった」と言うように、つい少し前に起きた大きな出来事でありながら、戦争を知らない子どもたちへ、わざわざ戦争のことを話題にしなかった戦争世代の姿が現れてくる。子どもたちが聞けばともかく、聞きもしなければそんな余計な経験を口にはしなかったのだ。「昔はナー」と口にすることは年寄りの口癖なのだろうが、こと戦争という部分についてはイメージできないほど具体的なものは登場しないのだ。もちろん誰もがそうであったとは言わないが、そういう傾向があったことは確かである。富樫氏は「歴史資料はあっても、当時の自分の祖先の記憶や具体的な体験は残っていない。実際は父の記憶のみならず、父が記憶していたであろう父の父母のことなどをほとんど伝えてもらってなかったことに気が付く」と言う。忙しさに追われる日常の中、いつの間にか父や母はいなくなってしまう可能性が高い。「いなくなって気が付く」と思う人も多いはずだ。たとえばいずれ退職していたら農業を、と思っていても、それまで手伝っていた農業と、父がいなくなっての農業はまったく違う。農業だけではないだろう。それほどそれぞれの人々は、それぞれに多くを学び経験してきた。息子や娘として、いかにその人生の経験を聞くことができているのか、それぞれの人に問いたいとともに、わたしもまったくそうした実践をしてこなかったことに悔いが残る。成人し、親と違う世界に生き始めると、親など姿かたちだけのものになってしまう。何を伝えられたのかと自問すると、そこは空白だらけとなってしまう。そういう意味でも同居しない世界を見るにつけ、最悪なシステムを構築してしまっていると思わずにはいられないわけだ。
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