Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

小さな水路空間に見る

2008-08-07 12:24:39 | 西天竜

 伊那市から箕輪町あたりまでの水田地帯を歩いた。西天竜幹線水路といわれる昭和初期に造られた用水路から潤いを得て、千町歩ほどの水田地帯が安定した農業を営んできた地帯である。ところがこの一帯、比較的水田の区画は小さい。いわゆるほ場整備といわれるものが盛んに行われた昭和40年代から50年代の水田ではない。幹線水路が造成された当時に開田事業で整備されたものだから、せいぜい一反歩程度の大きさの水田である。実際はその後に整備されてもう少し大きく整備された水田もあるが、そうした水田は1割にも満たないだろう。幹線水路から暖簾が垂れ下がるようにそうした小さな水田に用水を供給する水路が真っ直ぐ天竜川に向かって降りてゆく。1枚あたりの水田の大きさが小さいから、そうした水路の数も多くなる。一反歩ならだいたい長い方の辺が60メートルくらい。ほ場整備されたところなら100メートル近い整備されたところは道幅も広いから整備されていないところに比較すると倍近い頻度で水路が下っていくことになる。千町歩ほどの範囲に200キロを超えようという用水路が走る。一説には一反区画の方が宅地にしやすいともいうから、伊那市から箕輪町にかけての水田地帯には、それを説くように住宅地が増え続ける。おそらく今から20年も前にそんな情況があったら、限りなく住宅が増え続けただろう。今は人口減という現実のなか使い捨て風に住宅が増える。増えた住宅はいずれ不要になっていく。まるで道路整備にも似た解決しない要望のように。

 そんな延々と続く水路はすべてコンクリートで舗装されている。農業にどれほど力が注がれているかはしらないが、ほ場整備を昭和40年代以降に行った空間よりは、明らかに管理は行き届いていない。「このあたりの人たちは草刈りをしないんですか」と聞きたくなるほどこの季節の草丈が目立つ。この水田は草を育てているのではないかと思うと、草丈に飲まれた大豆が見えたりする。もちろん管理された水田もあるが、一面水田地帯ではあるものの、虫食いのように土手草が管理された空間がぽつんぽつんと見られる。水口から入れられた水が、溢れるばかりに水田に流れ込み、オトシ(排水口)からだらだらと水路へ戻っていく。そんな水田の姿がよく見られる。水路を管理する側は、そうした管理は嬉しくない。常に用水路から水が供給され、また排水口へ流れ出ているとなると、施設の安定上うまくないというわけだ。延々と続く水路だけにずての不具合を修正するほど余裕はない。となれば、古くなってもなるべく長持ちするように施設を使って欲しいのだが、古くなった施設はつなぎ目などが緩んできて漏水を起す。とくに水口のあたりはそうした漏水がもっとも起きる場所である。かつての土水路ならともかく、コンクリートにされたからといっても土とコンクリートが完璧に仲良くなるわけではない。固められたものと分離した粒子が一体とはいえない。水か流れれば分離した粒子を押し流す。結局漏水というわずかな水の流れも周辺の地盤を軟弱化させ、とくに小規模なコンクリート製品は不安定化する。しいては沈下や浮上が起き、本体に疲労はなくとも水路そのものとしては不具合が大きくなるわけだ。

 水口はまだしも、排水口は水路の脇に垂れ流すように水が落ちる。水路脇の土は水の流れで飽和状態となり、さらに軟弱化する。この時代の人々は、それを自らの管理不十分とは思わない。施設管理側に対して「なんとかしろ」という具合になりがちである。農業の衰退、責任転嫁、篤農家の絶滅とそうした人々への意識など、環境悪化を嘆くまでもないが、結局現在はそうした人々の意思をも国はもしかしたら補助金で埋めているのかもしれない。もちろんかつてのような農業への期待を無くならせたのも国だから代償のようなものなのだが、どこか一致しない流れでもある。

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