Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

物と人の交流②

2008-08-26 22:05:13 | 民俗学
物と人の交流①より

 「物と人の交流」といっても多様である。経済至上主義社会にあって、まさに物の交流が国の豊かさに表れる。オリンピックが終わったが、これもまた人の交流であるとともに、どれほど批判があろうとも国の力を誇示するためにメダル獲得のために国も支援する。国という名の下に競い合うのだから、ではその国とはどういうものかということになるが、国籍によって判断される。高校野球において、他県の出身者を集めて甲子園にやってくるチームがあっても、これはあくまでも学校チームであって、県代表チームではない。ところが甲子園にやってくると、学校というよりは県という看板を背負っているような注目を集める。多国籍人種でない日本という国、また県も含めた地域のこれまでの経緯がこうした地元意識を育ませるのだろう。オリンピック代表チームが、もしすべて帰化した人たちで編成されていたらどうだろう。気持ちの中ですんなり受け入れられるかは疑問である。そして、そうした関係が普通ではないと認識させられるのは、個人種目で帰化してまでオリンピックに出るようなアスリートがいないことだ。環境に恵まれているからといってケニヤのワンジルが仙台育英高校を出たからといって、日本代表ではない。お国意識という場合、国は国内では県の枠になる。あえて日本人は地域意識の強い国民といえるだろう。大きくも小さくも、それぞれに地域枠を認識し、常にその枠を広げたり狭めたりしている。果たして物と人の交流という評価基準にもなりうる世界の視点を、民俗学はどこに置いているのだろう。

 『日本の民俗』3巻「物と人の交流」(吉川弘文館2008/6)では、「市と行商」において農山漁村を主眼におきながら物を求める側と提供する側の経緯を踏まえた上で現代の市とこれからの市を想定している。一つ目が求められて成立した交流だとすれば、二つ目として「招かれざる客」という捉えかたで「旅と観光」について触れ、民俗学者は柳田や宮本のように観光を体験する必要があるという。三つ目の「異文化の交流」では全国に100万人いるとも言われる朝鮮系住民の意識から、異文化には民族文化と設定するのではなく、「生きる方法」としての民俗をめぐる差異と交流に目を向けなくてはならないと説いている。異文化と交流するという視点では差異はあたりまえということになるだろう。むしろそれぞれが生きるために民族の材料を選択していることの方が民族的アイデンティティの違いよりも大きな意味を持っているという。

 市・観光・異文化という三点の交流現場において現代に生きる方法を探ったということになる。交流の現場ということになれば、この三点以外にもさまざまなものがあるだろうが、あえてこの三つの現場に視点を当てたというところに意図があったのだろう。その根底には、柳田にしても宮本にしても民俗学の旅に出ていたというところにあるのかもしれない。そもそも民俗学そのものが交流の現場で見出されてきたものだったといえる。

 続く。
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